第2話 小麦を収穫するためには、種を蒔かなければならない。

△△


小麦を収穫するためには、種を蒔かなければならない。 (クロライナ王国の牛飼いの老人の遺言)



「飛雁姫を生贄にすることを、中止していただきたいのです」


 王の発表した事項に対して真っ向から反対意見を述べた十九歳の若者に対して、王はそれでも表情を動かさなかった。顔が豊かな髭に覆われているから表情が分かり難いだけかもしれないが、王の脇に控える姫もまた一切の表情の変化を見せなかった。王も姫も、謁見者が話している最中に言葉を差し挟むつもりは無い様子だったので、ビドロは生贄に関する己の考え方を滔々と述べる。といっても、自分の胸の奥に熾火のように燃えている姫に対する慕情については表に出さないよう留意した。

 

 孔雀湖の水位低下がクロライナにとって存続の危機の問題であることと、その対処として生贄を捧げることまではビドロも同意する。しかし、クロライナ王国建国の伝承から鑑みるに、人一人の命まで必要とは到底思えない。ましてや、よりによって王の一人娘の姫を捧げる必要があるだろうか。王とて父親として一人娘に死んでほしくはないだろうし、姫が亡くなるということはクロライナ王家の血統が途絶えるということになるのではないか。


 事前に考えていた言うべきことは、漏らさず伝えることができた。そもそも姫を生贄として捧げるという方策は、孔雀湖の水位低下対策とはいえども最善とは程遠く、理不尽なものだ。クロライナの王は、王とは称していても人口一〇〇〇人少々の小国の君主であって、一人で何もかもを勝手に決めてしまう存在ではない。主な政策も側近の役人たちとの相談によって決定しているので、筋の通った論での説得ならば翻意も可能だとビドロは思っていた。


 ところが、事態はビドロが思い描いていた通りには進まなかった。謁見者ビドロの意見をきちんと最後まで聞いた上で、その程度の理屈は王であり姫の父親である自分は既に承知していると、王は重々しく述べた。隣に控える姫は、自分自身の生命に関わる問題であるものの、何の容喙もせずに黙って王とビドロの遣り取りを聞いている。自分の意見を却下された理由を聞かせてもらわなければ、ビドロは納得できなかった。


「これは占いで決まったことなのだ。ビドロとやら、お主とて、クロライナにおける運営方針は知っておるだろう」


 言われてようやく思い出すと同時に、占いという重要な要素を失念していたからには己が冷静さを欠いていたのだと反省せざるを得なかった。クロライナ王の仕事は、役人と協議の上で政策を決めること、クロライナ民同士の揉め事が発生した時に調停を行うこと、そして天を祀り地を寿ぐための儀式を執り行うことである。そして占いは、天と地の意向を伺って吉凶を問うものだった。占いを行うことができるのは王家の血を引く者だけ、つまり今ならば王と姫の二人だけに可能なことだった。


「ひ、姫の、ご自身のお言葉を聞かせていただきたいです。まだお若い姫が犠牲になる必要は無いのではありませんか」


「わたくしとて、無駄な死に方をしたいわけではありません。しかし、孔雀湖の水位が下がって民の生活に支障が出てきていることを見過ごすことはできません。わたくしの命がクロライナの未来に役立てることができるというのならば、喜んで生贄の責務を全ういたしましょう。小麦を収穫するためには、種を蒔かなければならない、と言われる通り、結果を得るためには何かを犠牲に捧げて結果を得るための労力を費やさなければならないのです」


 年齢を重ねたのだから当然ではあるが、姫の声は十年ほど前に聞いたものよりも、遥かに大人びていた。秋に豊穣を体現した小麦よりも金色に輝く髪の流れも、白龍堆砂漠のその名の通り白っぽい岩石よりも白く透き通る肌も、堆積砂が少ないせいで澄んで青く光る孔雀河のような双眸も、一方が円錐の底面状に開いてもう一方が尖った湾曲した骨製耳飾りを付けた耳も、全てが美しくビドロの目を惹きつけた。姫自身の言葉を聞いても、やはりビドロは納得できかねた。王や護衛の兵士たちの前であるからには、自分の本心を隠して建前のきれいごとを言っている可能性を否定できない。


「わたくしが生贄になるのが吉だということは、父ではなくわたくし自身が占って出た結果なのです。ここ近年、孔雀湖の水位低下によりクロライナの民の不安が増し、治安も悪化しつつあると聞きます。盗みの被害も随所で見られるとか。そういった民の不安を一刻も早く解消するためには、思い切った対処法が必要なのです」


 姫が生贄になるのは姫自身の占いの結果、といった客観的事実に嘘は無いのだろう。だけど姫の胸の裡の本心を嘘無く全てを語っているとは言い切れないはずだ。だが今、この場で姫が本音を言える状況ではないだろう。となるとビドロはもう手詰まりであり、ここで王と姫に決定を覆してもらうのは無理だ。


「わたくしが生贄として孔雀湖に入水するのは、次の満月の日を予定しています」


 次の満月の日までには、まだまだ日数的余裕がある。ならば、その間に決定を覆す方法を考え付くことができるかもしれない。いや、それ以前の問題として、孔雀湖の水位低下問題をなんとかすれば生贄は不要になる。原因を調査してみれば、光明が見えてくるかもしれない。


 結局、王の屋敷への怒鳴り込みは果たしたものの、姫を生贄に捧げるのをやめさせることはできなかった。それでもまだ完全に失敗が確定したのではない。ビドロは王と姫に対し謁見に応じてくれたことへの礼を丁重に述べて、王の屋敷を辞した。ビドロの孤独な戦いは新たな段階へと進むのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る