クロライナの飛雁

kanegon

第1話 木は湖畔に隠せ。


木は湖畔に隠せ。 (クロライナ王国の牛飼いの老人の遺言)



 ビドロは大激怒して、静かに礼儀を守った上ではあるが、王の屋敷に怒鳴り込むことにした。絶対に王の一人娘である美しい姫を助けなければならないと心に誓った。近年、孔雀湖の水位低下が目に見えて著しく、クロライナの民の生活に支障が出てきていることは誰でも知っている。だが、だからといって、姫を生贄として湖に捧げるという王の発表には納得できなかった。


 今年で十九歳になる青年のビドロは、牛飼いとして生活している。その一方で、個人の好みとして、年寄りたちから昔話や伝承を聞くのが好きだった。今までに幾つもの伝承を聞いてきた。それら伝承の内の一つに、孔雀湖とクロライナ王国の発祥に関するものもあった。


 鳥瞰すれば瓢箪のような中央部分がくびれた形をしている孔雀湖は、遥かな昔、白龍堆砂漠を渡る旅をしていたクロライナの民たちを救うために、初代の王となる人物が己の左耳を切り落として流れる血と共に渇いた大地に捧げたのだという。耳ではなく左目という異説もあるが、王の左耳が落ちた場所から清らかな水が湧き出し始め、やがてそこが現在の孔雀湖となり、その湖に南から注ぐ孔雀河の畔にクロライナという小さな王国を築いたのだ……と伝えられる。


 伝承が必ずしも当時起きていた出来事をそのまま正しく後世に伝えているとは限らないことは、ビドロも承知している。だが、耳を片方切って捧げただけで湖が一つ生まれたというのならば、その湖の水位低下に対するために姫の生命を捧げるのは過剰な残酷さではないのか。耳を切る必要すら無いかもしれない。血を捧げただけでも効果を期待できるかもしれない。やってみる価値はあるはずだとビドロは信じている。最悪の想定として命を捧げるにしても、その前にあらゆる代替手段を試みて、それでも無為に終わった時だけに限っても良いのではないか。


 王の屋敷に到着したビドロは、正面扉の前に立っている二人の門番に王への面会を求める旨を伝えた。もしも王が、地下室で儀式の最中であるとか他のクロライナ民同士の諍いを調停するための業務を行っているとかの場合は、後日改めて来るように言われることもある。しかし幸いなことにビドロは門番の一人に先導されて屋敷に入れてもらえた。王の屋敷に入るのは初めてだったので、ビドロは緊張して肉刺の多い掌にじんわりと汗をかいた。


 王の屋敷は、地面に穴を掘ってそこに胡楊樹材の柱を立てて木板の壁で各部屋が仕切られている構造だった。勿論平屋だが、儀式を行うための地下室があるという。貴重な木材をふんだんに使っている時点で、普通のクロライナの住民たちの家などよりは遥かに豪勢であった。案内されながらビドロは、屋敷の大きさに気持ちを圧倒されないよう、気合いを入れ直していた。


 屋敷の最奥にある謁見の間に導かれたビドロは、壁際に控える護衛の兵士たちの姿に少し戦きつつも土の床に片膝をついて、実った小麦の穂のように頭を垂れて控えた。目の前、ビドロの控える場所より二段高くなっている場所に木製の椅子が置かれていて、そこに重々しい髭を生やした王が座していた。王の左側、ビドロから見れば向かって右側、王よりも一段下にももう一脚の木製椅子が置かれて、そこには二十歳ほどの美しい女性が座っていた。 


 その美女こそが、王の一人娘である飛雁姫 (ひかりひめ)である。


 姫が本名ではなく愛称で呼ばれている理由は、光を受ければ金色に輝く黄褐色の長く艶やかな髪に二本の雁の羽根飾りを挿しているからだった。鳥の羽根飾りは本来、亡くなった人を葬る時に羊毛の帽子を被せてそこに鳥の翼になぞらえて二本挿すという使い方をする。十年ほど前に、姫の母親である王妃が事故で亡くなった時に、母と同じ羽根飾りを自らも挿すことによって幽明境を異にした母に寄り添いたいと姫が望んだためだった。姫の湖水のように青い瞳が自分を真っ直ぐに見つめていると思うと、ビドロは胸が熱くなり鼓動が大きくなるのを自覚せずにはいられなかった。


 やはり飛雁姫はお美しい、どんなことがあっても彼女をお守りしたい。ビドロにとって姫を救いたいという気持ちは、必ずしも純粋に人命を尊重したためではなく、美しい姫に対する憧憬があってのことだった。もしも生贄に指名されたのが見ず知らずの老人だったならば、気の毒とは思いつつも王の屋敷に怒鳴り込むまでの行動は取らなかったに違いない。矍鑠としている者はともかく、働けなくなった老人は口減らしのために自らの意思でクロライナを出て白龍堆砂漠を彷徨って一人で寿命を全うするのが慣例となっている。


 無論ビドロとて、人命を蔑ろにしたいわけではない。病気になった人は看病の甲斐無く死亡してしまうことが多いし、姫の母親である王妃もそうだったが怪我をした人が傷の悪化から死に至ることも多々あるが、それは仕方のないことだ。広大な白龍堆砂漠の中でぽつんと存在する孔雀湖畔の小さな緑地に頼っているクロライナ王国では、一〇〇〇人から一二〇〇人の間程度の人口を維持して行けるだけで、働けない老人を養うに足る生産力は無い。割り切った考え方ではあるが、働けなくなった老人を生贄とする方法もあるのではないか、とも胸の裡では思っている。


 王と姫へのご機嫌伺いの挨拶を済ませ、ビドロは自らの名前と職業を名乗った。臆することなく王を真っ直ぐに見つめ返すが、どうしても視線が王の向かって右に控える姫の二本の羽根に向いてしまう。本来は死者の装いである雁の羽根は、この先の姫の命運を不吉に示しているようにビドロには思えてしまうのだ。収穫の季節に北から孔雀湖へ飛来し、種蒔きの季節に再び北へ向かう渡り鳥である雁のように、姫が手の届かない遠くへ飛び去ってしまいそうだ。


 王に促され、ビドロは今回の謁見における要望事項を語り始めた。


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