第3話 ハンターの男
二人はレンの自宅の前までやってきた。さゆりはその自宅を見て、驚いた。
「うちのビルだ……! 本当にここに住んでるんですか……」
二人はエレベーターで四階まで上る。レンは四〇一号室のドアを開け、さゆりを招き入れた。
「お、お邪魔します」
「その辺に適当に座ってくれ。ホットミルクでもどうだ?」
「は、はい」
さゆりは返事をした。
レンがホットミルクの準備をしている間、さゆりはソファに座り、リビングを見回した。ソファ、テーブル、椅子など、最低限のものしかない殺風景な部屋が広がっていた。
さゆりは通学用リュックサックから、黒猫を出す。
「リュック狭くてごめんね」
さゆりは黒猫に謝った。黒猫は、にゃあ、と鳴いた。
「はい、どうぞ」
レンはテーブルにホットミルクを置く。
「あ、ありがとうございます……」
すると、部屋の呼び鈴が鳴った。レンは玄関のドアを開けた。
「カッシングさん、私です。ストーンです」
そう聞こえた。グレイヘアで長身な神父服を着た初老のアフリカ系の男と、スーツ姿の男女が入って来た。
「あれっ? 千鶴お姉ちゃん?」
さゆりは驚いた。スーツ姿の女は、幼馴染の隼人の姉、千鶴だったのだ。
「さゆりちゃんじゃない。こんなところでどうしたの?」
千鶴も驚いた様子でそう尋ねてくる。
「住川、知り合いか?」
「弟の幼馴染の子です」
スーツ姿の男が千鶴に問い、千鶴はそれに答える。
「ストーン神父?」
レンは神父の名を呼んだ。
「こちらは漆原刑事と住川刑事です。吸血鬼が被疑者の殺人事件の捜査をしています」
ストーン神父と呼ばれた男は、レンに刑事二人を紹介した。
そういえば隼人くん、千鶴お姉ちゃんが刑事になった、って言ってたなあ――さゆりはそんなことを思い起こしていた。
「吸血鬼対応係の漆原です。こちらは住川です」
漆原刑事が警察手帳を見せながら、自身と相棒を紹介した。
「事件の被疑者が逃亡しました。カッシングさん、力を貸して頂けないでしょうか?」
漆原刑事がそう言うと、さゆりはストーン神父と目が合った。
「カッシングさん。こちらのお嬢さんは?」
ストーン神父はレンにそう尋ねる。
「ああ、さっき吸血鬼に襲われかけた……」
「月下さゆりと申します」
さゆりは神父と刑事に名乗った。
「さっきは助けてくださってありがとうございます。カッシングさん」
そして、さゆりはレンにお礼を言った。
「レンでいい」
レンはそう答えた。
「これからどうしよう……」
「どうしよう、って?」
さゆりがつぶやくと、レンは問うた。さゆりはレンたちに、さっき自分に遭った事を手短に話す事にした。
「カッシ……レンさんとタクシーで帰ろうとしたら事故に遭ったみたいで……それで気がついたら、知らない屋敷にいて、親戚を名乗る蒼って人から……」
さゆりがそう説明していると、レンはそれを
「蒼?」
「えっ」
「今、蒼と言ったな?」
「は、はい」
「その蒼とかいう奴……人間じゃないのか?」
人間じゃない、というのはどういう事だろうか? ――さゆりはレンの言葉を疑問に思いながらも答えた。
「血を吸っている所を見ました……吸血鬼だと思います……」
「そいつの所からどうやって逃げ出してきたんだ?」
レンが問うと、さゆりは答えた。
「不思議なことが起こったんです。手から炎が噴き出て……。腕に燃え移った拍子に逃げてきたんですけど……」
「炎?」
レンがそう問う。すると、漆原刑事は言った。
「なるほど……。被疑者は『治癒の異能は私のもの』と言って逃亡しました。なにか心当たりはありませんか?」
「治癒の異能……?」
さゆりは何かを思い出したようにつぶやいた。
「なにか、心当たりがあるの? さゆりちゃん」
千鶴はさゆりに尋ねた。
「満月の夜までに治癒の異能を確保する、と言ってました」
さゆりがそう返事をすると、ストーン神父が言った。
「治癒の力は神の奇跡です。歩く死者である吸血鬼に効果があるのでしょう」
ストーン神父がそう言う。その言葉を聞いてさゆりは納得した。確かに言われてみればそうだ。あの時はただ必死で気付かなかったが、今考えてみれば、治癒の異能によって吸血鬼を撃退したのだろう。
「わかりました。署に戻って調べてみます。ご協力ありがとうございました」
漆原刑事がそう言い、ストーン神父、漆原刑事、そして千鶴は帰り支度を始めた。
「それでは、これで失礼します」
「漆原刑事さんと住川刑事さんだったな。どうも」
レンがそう言うと、三人は帰っていった。
帰る三人組のそばを、黒髪ショートヘアーの女がすれ違った。女はレンの部屋の呼び鈴を鳴らす。
「今度はなにしに来た? エリカ」
レンはぶっきらぼうにその女の名前を呼び、招き入れる。
「考え直してくれたかと思って来たのよ」
エリカと呼ばれた女は、レンのそばに寄ってくる。
「お願い。蒼から、この世界を救ってくれないかしら?」
この女性は、蒼のことを知っているのだろうか? ――さゆりは、エリカのその言葉に疑問を感じた。そして同時に警戒心も抱いた。それは、なにか良からぬことを企んでいるのではないかと疑ってしまうほどだ。
「レンさん、この女の人は……?」
さゆりはレンに尋ねた。
「ああ。俺の元カノのエリカだ」
レンさんの元カノ? それにしても、モデルみたいに綺麗な人だなあ――さゆりはエリカの美貌に
「……わかった。その依頼、引き受けてやる」
レンはエリカに向かって、そう言った。エリカは笑みを浮かべた。まるで自分のことのように嬉しく思っているのかとさえ思う笑顔だった。
◇◇◇
「さゆりを逃がしてしまうとは……」
窓の外を眺めながら、蒼はそう言った。
「申し訳ありません。私がついていながら……」
そう言って男は頭を下げた。
「仕方がない。吸血を見られてしまってはな……」
蒼はその男を見つめた後、窓の向こうを見据えた。
「とにかく……さゆりが奴と接触していなければいいが……」
蒼はそうつぶやいた。
「あの女……本当に捕まえなくてよろしかったのでしょうか?」
男は蒼にそう尋ねてくる。
「相変わらず、奴の名ばかり呼んでいたのか?」
「はい。アレが欲しくてたまらなかったのでしょう」
蒼は思案した――おそらく、あの女は「アレ」なのだろう。我々と違い、普通に生きていたはずの人間なのに、哀れなことだ。
「あの女は泳がせておけばいい。奴の居場所も掴みやすいしな」
蒼はそう言った。
◇◇◇
「さゆり! 帰りが遅いから心配したのよ? どこにいたの?」
レンに送られて、自宅に帰ると、母親であるすみれが血相を変えて玄関まで来た。この様子では、すみれは蒼から連絡を受けていない。どうやら、あれは蒼の嘘だったようだ。
さゆりの背後にはレンもいる。すみれはそれに気がついたらしい。
「カッシングさん?」
「お久しぶりです。月下さん。説明は私からしま……」
レンがそう言いかけると、すみれはそれを遮った。
「二人とも、とにかく上がってちょうだい」
すみれがそう言い、さゆりとレンはリビングルームまで招かれた。すみれはお茶を淹れてきた。
「どうぞ、粗茶ですが……」
「いえいえ」
すみれの謙遜の言葉に、レンは謙遜で返す。このやり取りを見たさゆりは思った――レンさんって、日本暮らし長そうだなあ――と。
「さあ、説明してちょうだい」
三人ともソファに座ると、すみれはそう言った。
「冷静になって聞いてください。お嬢さん、吸血鬼に拉致されたんです」
レンがそう言うと、すみれの表情が変わった。
「ら、拉致?」
「はい」
「どうして……うちの子が?」
「知人から依頼がありまして……。蒼という吸血鬼が、治癒の異能を持つダンピールを狙っている、と。そして、お嬢さんは治癒の異能を持つダンピール――吸血鬼と人間との間に生まれた存在です」
レンはすみれにそう説明した。さゆりは衝撃を受けた。自身は「ダンピール」と呼ばれ、吸血鬼と人間との間に生まれた存在であるということは、自身の実父は吸血鬼なのだろうか。
「あの人が吸血鬼だったなんて……」
すみれも、そうつぶやく。
「お母さん……。レンさんって……」
さゆりはすみれに尋ねる。
「ええ、カッシングさんは吸血鬼ハンターよ」
すみれはそう答えた。さゆりは驚いたが、すんなり受け入れられた。吸血鬼が実在するなら、それを狩るハンターも当然実在するだろう、と。
「だ、だから吸血鬼の被疑者のこと、刑事さんたちが聞きに来たんだ……!」
「被疑者? どういうこと?」
すみれが再び質問する。
「市内で吸血鬼の仕業と思われる殺人事件が起きたそうで……。その被疑者には逃げられたらしいのですが、『治癒の異能は私のもの』と言って消えたそうなんです」
レンはそう説明する。
「じゃあ……またさゆりを狙ってくるかもしれない、ってこと?」
「ご安心ください。お嬢さんの証言を元に、その吸血鬼の屋敷を捜索する予定なので」
レンは優しい口調でそう言った。だが、すみれは不安げだった。
「心配しないでください、月下さん。私が絶対にお嬢さんを守りますから」
レンが力強く宣言すると、すみれはその言葉を信じることにしたようだった。
「ありがとうございます。ところで……あなたたち、いつの間にそんなに仲良くなったのかしら?」
すみれがふと疑問を口にした。
「あっ……」
さゆりは思わず声を出す。
「まあ……。色々ありましてね」
レンが苦笑いしながら答える。
「実在の吸血鬼って……血を吸う魔物、って認識でいいんですか?」
さゆりはレンに質問した。
「吸血鬼は闇に生きる魔物だ。強い力と美しさを保つために人間の血液を摂取し続ける……。体温が低く、甘い匂いがする……」
レンは質問に答えてくれた。
体温が低くて、甘い匂いがする、か――さゆりは蒼の手が冷たく、えも言われぬ甘い匂いをまとっていたことを思い出していた。
「日本は安全とされているが、俺以外にも多くのハンターが日本に派遣されているな……」
「どうやって倒すんですか?」
「太陽光が弱点だからな。あと、銀製の武器も有効だ」
レンはそう説明してくれた。さゆりは時計を見る。もう日付は変わっていた。
「そうだ、さゆり。今後いろいろ話し合いたいから……電話番号もらってたっけ?」
この人はなにを言っているのだろう――さゆりはレンの言葉を疑問に思った。
「えっ……だって、出会って数時間しか経ってないじゃないですか」
「じゃあ、教えてくれ」
◇◇◇
「よう」
「こんにちは」
夏休みになって数日が経つ。さゆりはレンの部屋を訪れていた。
「お茶好きだって言ってたよな? 冷蔵庫の中を見てみろ。紅茶買ってきてあるぜ」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
さゆりはレンに言われた通り、冷蔵庫を開けた。確かに紅茶のペットボトルがある。しかし、食材らしい食材がない。紅茶以外には牛乳、お酒、それとおつまみだけだ。
この人、自炊してないんだろうか――さゆりの頭に疑問が浮かぶ。
「レンさん。自炊してるんですか?」
「ジスイ? なんだそれ」
「自分でごはん作る、ってことです」
「いや、したことねえな……。いつも下の階の喫茶店で済ませちまう」
自炊をしたことがないのか――さゆりはレンの健康が心配になった。
「そんな食生活してたら、身体に悪いですよ?」
「うーん。面倒なんだよな……」
レンはそうつぶやく。すると、さゆりは良い案を思いついた。
「そうだ! 私、自分のお弁当は自分で作ってるんです。ついでにレンさんのお弁当も作ってあげますよ!」
「お弁当? いいのか? ありがとうな。助かるぜ」
「じゃあ……朝作って、ここに寄って、お弁当渡します。で、夕方になったら、お弁当箱回収しに来ますね」
「おう、頼むぜ。もちろん、材料費は出すからな?」
「もちろんです!」
さゆりがそう答えると、レンは嬉しそうだった。独り身のレンにとって大変喜ばしいことなのだろう。その様子に、さゆりは少しだけ照れくさくなった。
「そういえば……この前、拾った黒猫ちゃんはどうなったんだ?」
レンはそう尋ねてきた。黒猫ちゃんが心配なのだろう。
「警察に届けて、飼い主さんを探したんですけど、見つからなくて……うちで飼うことになったんです。獣医さんに診てもらったら、男の子でした。名前はムギちゃんです」
レンの問いにさゆりは答えた。
「ムギちゃんか。さゆりもお母さんも植物の名前だもんな」
レンもさゆりに対して言葉を返す。
「そうだ。蒼さんについて、なにかわかりましたか?」
さゆりは予備のコップに紅茶を注ぎながら、蒼について尋ねた。
「あの公園の近くに屋敷を見つけたんだが……誰もいなかった。アジトを鞍替えしたらしい」
レンはそう答えた。さゆりに居場所がバレているのだから、別の場所に移動したのだろう。誰もいなかったのは納得がいく。
「そうですか……」
さゆりはそう返事をした。
そんなことよりも、さゆりには重大なことが控えていた。実は、幼馴染の隼人を夏祭りに誘うつもりでいたのだ。さゆりは内心、ワックワクのドッキドキ状態だった。
さゆりはソファに座り、スマートフォンを取り出して、隼人とメッセージのやり取りを始めた。しばらく他愛のないやり取りを続けた後、さゆりは本題を話し始めた。
「今度、倉光神社で夏祭りやるじゃない。一緒に行かない?」
さゆりはそんなメッセージを送った。しばらくして、隼人から返事が来た。
「いいけど……。実は白谷からも誘われてるんだ。一緒に行く?」
えっ、白谷さんからも誘われてるの? ――さゆりはすっかり油断していた。住川隼人は、学年一のモテ男だ。そして白谷美緒は、クラス一のモテ女だ。
「うん。いいよ」
さゆりはそう返事を送った。
「どうした?」
レンはさゆりを心配しているのか、そう尋ねてくる。
もし、夏祭りに行くことがレンにバレたら、反対されるだろう。実際――吸血鬼に追われている身が、夜に出かけるのは危険だ――と言われていた。でも、さゆりはどうしても行きたかったのだ。憧れの隼人に近づくチャンスなのに。
「な、なんでもないです」
さゆりはレンに悟られないように装った。
「あ、あの、吸血鬼と関係なくて申し訳ないんですけど……どうしてエリカさんと別れたんですか? あんなに綺麗な人なのに」
さゆりは話題を変えた。
「ああ。向こうから振られたんだよ」
レンはそう答える。
「吸血鬼ハンターって、表には明かせない仕事だろ? それに明かしても理解してもらえないことが多くてな」
レンさんみたいなイケメンでも、振られることってあるんだ――さゆりはそう思った。
「あと……」
「ん?」
「一つ、心配なことが……」
さゆりはつぶやいた。
「どうした?」
レンは言った。しばらく考えてから、さゆりは言った。
「部長の宿題……やってる場合じゃないな……どうしよう……」
レンはさゆりの言葉を不思議に思ったようだ。
「部長の宿題?」
「手芸部の部長の宿題です」
「ちょっと待て。部活の部長の宿題の代行なんか、してるのか?」
「はい」
さゆりがそう答えると、レンはしばらく考えて、言った。
「なんで断らないんだ? ヘタレだな」
ヘタレか――さゆりは落ち込んだが、言われるのは当然だと思った。しょぼくれたさゆりの様子を見て、レンは少し焦った様子になり、言った。
「あっ……悪かった。ちょっと言い過ぎたよ」
「いえ……いいんです」
「じゃあ……今度のお昼、ピザでも頼もうか」
さゆりが返事すると、レンは話をそらそうとした。
「えっ、お弁当食べるんじゃなかったんですか?」
さゆりは、レンの言葉にツッコミを入れた。
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