第2話 謎の屋敷
あの殺人現場の現場検証から十数時間経った今、目撃情報から被疑者を特定することができた。
被疑者の住むマンションに向かい、玄関の呼び鈴を鳴らす。しかし、反応は無い。それどころか、マンションの裏の方から、ドスン、という音がした。
「ベランダから逃げたぞ! 追え!」
漆原がそう叫び、マンションから飛び出す。千鶴も後を追った。
二人は被疑者を追って人気の無い路地裏に入り、ビルの中を通って屋上へ出た。そこには黒ずくめの男――あの殺人事件の被疑者が立っていた。
被疑者を追い詰めた――千鶴と漆原は、被疑者に銃口を向けた。
「動くな。両手を上げろ」
男は無言のまま、ゆっくりと両腕を上げる。そして手すりの向こうを越えた被疑者は、千鶴たちの方へ振り返った。
「時が来た。『治癒の力』は我々のもの!」
被疑者はそう叫ぶと、そのまま屋上から飛び降りた。
「あっ、待て!」
住人がいないとはいえ、事故物件にするわけにもいかない。二人は急いで被疑者の飛び降りた先を確認した。だが、被疑者はいなかった。おかしい、飛び降りたはずなのに。着地してそのまま逃走した? それもおかしい。ここは六階建てのビルの屋上だ。そんなところから飛び降りて無事な人間はいないはずだ。もしかすると幻覚だったのか。いや、違う――これは現実に起きたことだ。
「どうします?」
千鶴が漆原に尋ねる。
「『治癒の力』……? 一体どういうことだ……?」
二人は、この事件が自分の手に負えないものであることを感じ取っていた。
これは専門家の手を借りなければ――千鶴と漆原はある人物のもとへ向かうことにした。
◇◇◇
「はッ……」
さゆりはベッドの中で目を覚ました。
人が刺されたのを目撃して……それから……――さゆりは考えを巡らせたが、さっきまでの記憶と今いる場所は一致しない。
自分は天蓋付きの大きなベッドに寝ており、部屋の中には金色で縁取られた高級そうな調度品が並べられている。窓を覆うカーテンも高級そうだ。まるでゲームに出てくる洋館のようだ。
ここは一体どこなのだろう? ――さゆりがそう思っていると、わずかに甘い匂いを感じた。すると部屋のドアが開き、黒髪の男が現れた。
「おお、目を覚ましましたか。良かった」
男は深々とお辞儀をした。
「突然申し訳ありません。私は
蒼と名乗った男はそう挨拶をした。彼は非常に美しい容姿の持ち主で、肌は透けるように白く、まるで陶器のようだった。年齢は三十代前半くらいか。どこかミステリアスな感じがするが、どこか優しげな感じもした。
そして、なによりも不思議に思った。
お父さんの親戚? ――さゆりには、物心がついた頃から父親がいなかった。さゆりの生きている肉親は母親だけだったのだ。それなのに、彼は父親の親戚を名乗っている。彼はさゆりの父親を知っているのだろうか?
「大変申し上げにくいのですが……あなたは自動車事故に遭われたのです」
蒼はそう告げた。
自動車事故? どういう事? ――さゆりは混乱した。事故に遭ったのなら、普通は病院にいるはずだ。そのはずなのに、自分は見知らぬ洋館にいる。蒼はドアへ向かった。
「しばらくお休みください。休まれば、精神的にも落ち着くでしょう」
そう言い残し、蒼は部屋から出て行ってしまった。
あ、そうだ。黒猫ちゃん! ――さゆりはサイドテーブルに置かれていた通学用リュックサックの中を探る。中から、小さな黒猫が顔を出した。
「にゃあ」
黒猫は鳴いた。
良かった……猫ちゃんは無事だったみたい――さゆりは安堵した。
さゆりは考えを巡らせた。彼の言葉通り、落ち着いて考える時間が必要かもしれない。でも、なぜいきなりそんなことになるのだろう。
そうだ。部屋から出てみよう――そう判断したさゆりはベッドから降り、黒猫が入ったリュックサックを背負って部屋のドアへ向かった。ドアを開け、顔を覗かせる。廊下には誰もいない。階段を下り、そのまま一階の廊下を進んでいく。突き当りのドアの向こうから声がする。
甘い匂いがする。この匂いは……蒼さん? ――さゆりは部屋を覗き込んだ。
「『治癒の力』を確保せねばならなかった」
「もう、さゆりは手に入った。これでもう安心ですね」
男二人が話し合っている。一人は蒼だったが、もう一人の男は知らない人だった。ただ一つだけわかる事があるとすれば、彼らの会話の内容からして、自分の存在が何らかの理由で重要になっているということだけだ。
「それで……安心したところで、アレやるかい?」
「ああ」
「行くぞ」
蒼はそう言うと、男の首筋にかぶりついた。さゆりは戦慄した。蒼は吸血鬼だったのだ。それも、本物の。
「ひっ!」
さゆりは思わず声を上げてしまった。すると蒼と男は気づいたらしい。二人はゆっくりこちらへ近づいて来た。
やばい! 殺される! ――そう直感したさゆりは逃げようとしたが、腰が抜けて尻もちをついてしまった。
「見てしまったのですね……。しかし、安心してください。我々は……」
蒼はさゆりに近づき、手を取ってなにか言いかけた。その手は、氷のように冷たかった。
「いやっ……!」
さゆりは蒼の手を振りほどこうとした。すると、さゆりの手から光が放たれ、蒼の腕に炎が燃え移ったのだ。蒼は叫び、男はそばにあったクッションで火を消そうと躍起になっている。さゆりはその隙に起き上がり、玄関のドアめがけて逃げ出した。
「待て!」
蒼はそう叫んだが、さゆりは玄関のドアから飛び出して行った。
◇◇◇
さゆりは逃げ、誰もいない公園にたどり着いた。
「さっきの……なんなの……?」
まさか、手から炎が噴き出すなんて! 治癒の力といい、さっきの炎といい、一体なんなのだろう? ――さゆりはさっき起こった不思議な現象に驚いていた。
とにかく、あの吸血鬼たちが追って来ないうちにもっと遠くに逃げなくちゃ――そう思ったその時だった。
「いたぞ! 捕まえろ!」
吸血鬼の追っ手たちが来た! このままでは捕まってしまう! ――さゆりは生命の危機を感じた。
「いやっ! 来ないで!」
さゆりは必死に抵抗したが、腕を捕まれてしまった。追っ手たちは倒れたさゆりを捕らえようとした。その時だった。
「おいおい、女の子が嫌がってるじゃねえか」
何者かが公園に入り、そう言った。この声、聞き覚えがある。
「何者だ!」
追っ手の一人が叫ぶ。
「しつこい男は嫌われるぜ?」
男がそう言うと、吸血鬼たちは男に襲いかかった。しかし、男は素早い動きで攻撃を避け、膝で吸血鬼の腹に一発ぶち込む。吸血鬼は逆上し、男の顔を爪で引っ掻こうとする。それでも男は一歩下がり、体勢を整えた。その一連の動作を見たさゆりは思った。
「すごい……」
あれだけの人数を相手に、全く引けを取らず、むしろ圧倒している。
でも、こんなことやってたら死んじゃう――さゆりはそう考え、止めに入ろうとしたが……。
「この動き……ハンターだ!」
「チッ、戻るぞ!」
追っ手たちはそう言い、舌打ちをすると、垣根を飛び越えて去っていった。
「つまらねえな……諦めたか」
男は少し退屈そうに言った。
「大丈夫か?」
男はそう言うと、さゆりに手を差し伸べた。さゆりは男の手を取り、立ち上がった。そして、男の顔を訝しげに見つめた。なぜなら、あの時の外国人の男だったからだ。
「俺は吸血鬼ハンターだ。名前はカッシング。レン・カッシングだ。さっきのは吸血鬼を退治してたんだ。俺はお嬢ちゃんの味方だよ」
レンと名乗った男がそう言うと、さゆりの瞳から涙がぶわっと溢れ出た。安心したのか、気が緩んだからなのか。それとも両方か。さゆりはその場にしゃがみ込んだ。そんなさゆりを見て、レンは慌ててさゆりを抱きかかえた。そして、さゆりが落ち着くまでしばらく待ってくれた。
「もう落ち着いたか?」
「は、はい……ごめんなさい……」
「いいんだよ。怖かったか。よしよし」
レンはそう言いながら、さゆりの頭を優しく撫でた。
「お嬢ちゃん。こんな所で立ち話もアレだから、落ち着く場所で話そうぜ?」
レンはそう言った。さゆりは驚いたが、すんなり受け入れられた。吸血鬼が実在するなら、それを狩るハンターも当然実在するだろう、と考えたのだ。
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