第8話 過去という拷問
登場人物
―ウォーロード/ヌレットナール・ニーグ…PGGのゴースト・ガード、単独行動の青年。
計測不能:不明な領域
ある種の悍ましさすら感じた。ヌレットナール・ニーグはある種の無力さに苛まれているとすら言えた。彼は特に見たいとも思っていなかった過去と対峙していて、それは目を瞑る事でどうこうできるものではなかった。
この状況下において彼には肉体が存在しなかった。得体の知れない感覚であり、精神だけで存在しているかのような不安があった。何もかもを剥ぎ取られた目に見えない何かとして存在している寒々しさがあった。それを意識すると存在しない肉体による幻の冷たさに凍えた。
怖いと感じられれば楽であったのか。しかし実際に感じるのは苛立ちであった。どうしようもない正体不明の苛立ち。やがてその正体がわかり始めた。
過去の己は、現在の己がその以前の過程でそうした事を実演していた。それは変わらない事実として再生されていた。見たくない現実が追体験として実体化していた。
実らぬ努力をひたすらに続ける己の姿がどこまでも虚しかった。今すぐやめろと言いたかったが、しかしそれを言うための口が無かった。腕も無く脚も無く、無論その他のどの器官も存在しなかった。
トラクター・ビームとデバイスの補助で固定された肉体は目に見えない器具で固定された標本のようであった。まだ強壮さがあった頃、あの事件からまだ日が近いあの頃。ああ、己は何も知らぬのだ。あそこにいる己の軌跡は何も知らずに…。
背後からの視点であり、己の過去の背中がどこまでも寒々しく見えた。ああ、やめてくれ。そのように思っても何もできず、傍から見る己の姿には強い違和感しか無かった。居心地が悪く、しかし目を逸らす事が物理的に不可能であり、ある種の拷問にも思えた。
そこで不意に、違和感の正体の一部に気が付いた。そうだ、何も聴こえてこないのだ。無音の世界のみが広がり、視覚情報のみが繰り広げられていた。
干渉のできぬ過去の己、しかも生産性の無い行動に励む過去の己。そのようなものを延々と見ねばならないのか。そうだ、これはあのドアの向こうに広がっていた光景のはずだ。
ここは恐らく、時空間の異常か悪戯か、まあなんであれそのような作用によって過去を垣間見ているのであろうとして納得する他無かった。
それが一体どれだけ続くのかについては正確に覚えていなかった。この日そのものはそれなりに程度覚えているが、しかしその詳細まで覚えているわけではない。これは多く存在した、リハビリの日々の一部でしかない。詳細についてはこれから見て思い出す事もあろう――。
――そしてその瞬間、リハビリに励む過去の己の向こうから誰かが入って来た。落ち着いた色合いのドアが両側へとスライドして開いたが、その瞬間既に彼は本能的に『やめろ』と考えた。
入って来た人物を見間違えるはずも無かった。薄手の半透明の素材の服で身を覆った、触腕を備えた異次元に起源を持つ種族のその男。名前を持たない文化故に対外的にはパラディン――彼の働きぶりを見た周囲がそう呼んでいたため――と名乗っている人物。
紛れもない、かつてはヌレットナール・ニーグととても仲がよかった人物だ。複雑な交友関係のネットワークの中でも、彼とは本当に仲がよかった。まあパラディン自体が明るく社交的で高潔であり、人気もあったが。
とは言えギャラクティック・ガードの中では、パラディンが特に仲がいいのはヌレットナール、そしてメズ・ロートというワンダラーズの男だと認識していた。
ああ、思い出した。パラディンを通して出会ったメズとも己は仲がよかったが、彼の見舞いのメールを事務的に返信して処理した時を思い出した。あの時、メズは恐らく色々と察してそれ以上何も言わないのだ…。
だがパラディンはこうして直接会いに来ていたのだ…。
眼前の光景はどうしようもなく恥ずかしいものに思えた。この頃の己がどのように考えていたかも思い出した。希望はまだ持っていたが、しかし『もしかしたら』についても考えていた。
徐々に心の中でそれが大きくなるのを感じつつ、必死にリハビリに励んでいた。まるで目を逸らすようにして。そしてそのような心境の己が、かようにしてパラディンの訪問を受けたのだ。
目の前の己とパラディンが立てる一切の物音も聴こえない。完全なる無音の映像だ。だが、既に全てを思い出していた。皮肉にも何ら歪められる事も無かった、純粋な記憶が蘇った。
――ヌレットナール、経過はどうだ?
――あ、いや…。
――どうしたんだ?
ただただ、この時は彼がどうしようもない何かに思えた。まるで影の中にいる己を浮き彫りにしてしまう、若くて蒼い太陽のように。
――今日は、もういいでしょうよ。
――ヌレットナール、何かあったのかい? 君らしくない。
ああ、やめてくれ。私を君という名の太陽によって定義されたそれに押し込めないで。かつての私ならいざ知らず、今の私はどこまでも…。
そこからはとにかく悲惨であった。今となってはパラディンの優しさは身に沁みた。例え、彼がその清らかさ故にこちらの心に踏み込む事があろうとも。だがこの時の己にとってはそれは苦しかったのだ。
かつてとは違う、弱々しくて首から下を一切動かせず、空中標本のように浮かぶ己の姿を親しい誰かに見られるという苦しみ。
それら全ての目が私を見る。
――君らしくないとはなんです? 私らしいってなんですか!?
それで私は海原へと沈んでいく。
――待ってくれ、落ち着いて。
匿われた私の心の色合いが。
――落ち着いていますとも、かつてないぐらいにね!
あなたと私の間にある溝を埋める。
――私は君の様子を見に来ただけで、それで。
暖かさ、それは私の肌の下に生きていて。
――へぇ、それで何になります? 今の私を見て下さいよ。これが私なんですよ。ええ、そうでしょう、あなたが『君らしくない』とかいうのも当然だ。私は今や満足に歩く事も寝返りを打つ事もできないですからね!
内なるそれが『形作る』のだ。
――私はまた君に復帰して欲しいだけだ!
だから目を逸らし、私を見ないで欲しい。
――いいから、私をほっといてくれませんかね!?
我々が海原へと沈む様など…。
地獄めいた様であるなとウォーロードは思った。今にして思えば、己を形成する何かが失われゆく様を親しい友人に見られたわけだ。ヌレットナール・ニーグはつまりパラディンの友であり、優秀なゴースト・ガードであり、功績があり、そしてその他様々な社会的に見て尊敬される要素を持っていた。
それらを可能とする原動力的な何かがその時失われようとしていて、まさにそのタイミングでパラディンが訪問して来た。それを思うととてもプライドが傷付いた事を今更ながらに感じざるを得なかった。
そして今の己はその残骸から這い出して、社会との繋がりを最小限にして、それによって向けられる期待の目を見ないようにして孤独に生きていたのだ。
事実としてはこうしてアーマー化したガード・デバイスの補助によって己は歩く事ができる。飛ぶ事もできる。ある意味では何も変わらなかったし、そしてある意味では全てが変わってしまった。
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