第7話 本番、成功
「へえ、ときめきますね。もしかして、ひいきされるようになったりしました?」
「ははっ、まさか。ただ、『最初に目を付けた』と言ってくれたことが、嬉しかったなあ。直接的な触れあいなんて一切無かったのに、先生と、その時、手が繋がった気がしたよ」
「プラトニックと言うか、今時ありえませんよ、そんな青臭さ」
「いいじゃないか。もっと生々しいのを期待してたかな?」
「……いいえ、それこそ、まさかですよ」
*
休憩時間が終わり、二人揃って宿に帰った。めいっぱい動揺はしたものの、だからと言って、僕たちの間に、何も変化はない。残りの日程はあっという間に過ぎて、つつがなく合宿は終わった。
合宿を行ったことで、みんなの結束は深まった。それからは、いつになく楽しく、そして順調に稽古が進んでいった。きっとうまくいく。周りからどう見えようとも、精一杯ができる。全員がそう思っていた。僕も。先生も。
夏休みが明けて、二ヶ月が過ぎた。
公演に向けた準備はスムーズに進んで、初の演劇の出し物と言うこともあってか、学校側も積極的に宣伝に協力してくれた。その結果、公演場所の体育館は盛況だった。
「何となく来てみた人がほとんどだろうけど、みんなで驚かそう!」
緊張する面々に、先生の檄が飛んだ。
開演のベルが鳴った。
付け焼き刃もいいところの、急造クラブだ。台詞をとちりもしたし、場面転換なんかで不備もあった。とても満点とは言い難い。及第点すら怪しかった。
それでも、必死になってやった。
お客さんが笑ってくれた。
どよめいてくれた。
見入っているのが分かった。
滑った場所では、失笑も聞こえた。
確かな一体感を感じた。共演者とも、裏方とも、そして、客席とも。それは、今まで感じたことのない、明らかな達成感と、幸福感だった。ああ、こんな甘美な変身の一瞬があるものか。僕はいつしか酔っていた。酒を飲んだことはなくても、空気に酔いしれていた。
終演。拍手。満場の、ではないけど、たくさんの拍手。礼。幕。アンコールはない。それでいい。最初から求めていなかったから。
「終わったあ……」
袖に戻った僕に聞こえたそのつぶやきは、先生のものだった。
「みんな、ありがとう……」
ふうっと安堵に笑う先生の顔は、なんだか、泣いているようにも見えた。その後、先生は「ちょっとお手洗いに」と言って、しばらく帰ってこなかった。次に姿を見せた時は、分かりやすいぐらいに目が赤かったんだけど、誰も何も言わなかった。ただ、たとえようもないほど微笑ましい気持ちになって、くすくすと笑った。
「お疲れ」
「おつかれ」
「ありがとな」
「お互い様だ」
僕たちも、男女の区別無く、ばんばんと肩をたたきあい、笑いながら泣いた。泣きながら笑った。
こんなすてきな『変身』が味わえるんなら、いくらでも繰り返したい。機会があれば、いくらでも。僕は、さわやかな疲労感の中で思っていた。
それから、文化祭の全日程が終わるまでは、よく覚えていない。気が付けば、夕暮れの校庭で、打ち上げのキャンプファイヤーをしていた。
演劇部一同、感傷的な思いで、燃えさかる炎を見つめる。
遠い。すべてが遠いことのように感じた。
濃いの一言では済まない、初夏から秋までの日々。出会い。つまづき。衝突。解決。前進。達成。歓喜。たくさんの感情が、季節外れの花火のように頭の中で火花を散らして、目の前の炎に吸い込まれていく。
ちら、と、傍らを見る。先生も、感慨深げな横顔をしていた。炎に照らされて、桜色のスーツが、どこか儚げに輝いていた。
「先せ……」
僕は何を言おうとしたんだろう。全然分からない。もしかすると、先生がこのまま消えてしまうような気がして、先生と出会ったこと自体が、夢として片付けられるような気がして、必死になって、せめて名前だけでも呼ぼうとしていたのかも知れない。もちろん、そんな心情なんて、届くはずもなかった。
「さあ、ぱあっと台本を燃やしちゃいましょう!」
「あ、はいっ!」
だから、関係のない言葉が続いて、どこかほっとした。手に持った、いつの間にか結構手垢の付いた台本を、炎にくべる。一冊、二冊、三冊。どれだけたっぷり僕たちの汗と想いを吸い取っていても、紙は紙。ぼうっと、すぐに燃えていった。あっという間に灰になって、空に舞う。みんな、その行方を目で追った。空には、星が出ていた。
その後。公演の成功は、予想以上に反響を呼び、感想の手紙を貰ったり、新たな入部希望者がちらほら来たりした。基本的に来る者は拒まずで、部員は増えすぎることなく、落ち着けるところで止まった。先生は、学校側にも顧問として実力を認められ、音楽室の仮住まいから、正式に部室と予算が与えられる運びとなった。
「ああ、良かった。毎回自腹を切ってたら、さすがに私も持たないから」
そう言って、先生は珍しく複雑な笑みを浮かべた。思い返してみれば、たとえば合宿にかかる費用だとか、照明機材をレンタルしたり、あるいは、イメージに合う音楽を購入したりと言ったことにかかった費用については、先生は何も言わなかった。実は僕たち部員の間でも密かに噂し合っていたんだけど、これで、みんな安心した。
「だからって、公演のためにどこかを借りたりとかまでは出来ないわね。みんなも授業があることだし、やっぱり、年に一、二回やるのが無難かしら」
そこで先生は、自分の大学時代の話を少ししてくれた。当時のクラブには、芝居にのめり込みすぎて、何年も留年する人がいたのよ、と、笑った。今、大学のことはあまり意識はないんだけど、『本末転倒』という言葉は、何となく分かっていた。
「それに私も、そうそう新しい台本が書ける訳じゃないし」
「元からある台本を、やってみればいいんじゃないですか? 脚色とか演出とかだけ、先生がやって」
「ああ、そういうのもいいかもね。とにかく、週に一度ぐらいは、みんなで話し合いましょう」
誰かが言った言葉に、先生も賛同した。そうして、それからは、全員で膝をつき合わせて、ああでもない、こうでもないと話し合った。みんなのやる気は持続していて、週に一度の活動日は、とても実のあるものだった。
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