第5話 演技指導と足踏みと
「活発ってぐらいじゃ足りないぐらい、勢いのある人ですよね。それに統率力もすごい。その仕打ちで文句が出ないなんて」
「その通りだ。今のご時世でこんなことをすれば、どこかの保護者から文句が出るだろうな。いや、あの先生なら、仮に文句を付けられても、絶対にやりこめられただろう」
「しごき初日のご感想は?」
「ははは、単純だったよ。一つの言葉しか浮かばなかった」
*
「つ、疲れた……」
やがて、いつの間にやら、地面に出来る僕たちの影が長くなっていた。日差しは相変わらずきついけど、光が、オレンジ色になっていた。まぶしさをいくらか潜めた空を見ると、日の高い夏が、暮れかかろうとしていた。全員が全員、疲労しきっていた。体力を、最後の一滴まで搾り取られた感じだった。汗でべったりと身体に張り付いた体操服が、やたらと重く感じた。脱落者がいなかったのは、奇跡的だろう。芝居の稽古『らしい』ことは一切なくて、ただ、体育の授業を数段厳しくしたような時間だけ。誰もが期待を裏切られたと感じているはずなのに。
「みんな、お疲れ様。今日はここまでにしておきましょうか」
全員がやり遂げた理由は、先生の存在に他ならない。僕たちと同じように激しく身体を動かしていて、疲労しているはずなのに、それが感じられない。むしろ、汗と叱咤激励の声を飛ばす姿が、映画のワンシーンのように映えた。みんな、見とれていたんだと思う。もちろん僕も。自分だけ一人、弱音を吐いたり脱落したりすれば、浮いてしまう。それは、とても情けなくて、恥ずかしいことのように思えた。もし、この先生でなければ、とてもやってられない。先生だから。そのことは、部員全員に、何も言わなくても分かる共通の気持ちとしてあったと思う。
夏休みが来た。文化祭本番まで、そう日にちがないことと、授業がなくて集中していられる時期と言うこともあって、先生以下部員一同、休みを返上して、学校で練習に打ち込むことになった。引き続いて、基礎の体力作りと発声練習で最初の一週間を潰し、そろそろ慣れてきた頃になって、配役と裏方の割り振りがあった。方法は至ってシンプルで、練習の合間に先生が書き上げていた脚本を、まずガリ版印刷で製本し、全員に配る。そして、おのおのが家でしっかり読んでくる。しばらく経ってから、先生が指定したシーンをいくつか、最初に読ませる。仕草などは、部員達の自由。でも、自由と言われると困るもので、繰り返すようだけど、部員全員演技について何も知らない。そのあたりは正直に申告した。その場限りの嘘をついてなんとかなるものでもなかったし、先生は不満な顔を微塵も見せず、むしろどこか楽しそうに言った。
「じゃあ、先生がアイデアを出してみるから、それを参考にしてみて。とらわれる必要はないからね」
分からなかったら、シチュエーションを別にした『たとえば、こんな時にどう反応する?』といった例を元に、自分なりにあれこれ考えつつ、型なんて無視して、とにかくやってみた。中には、映画やテレビをよく見ていて、好きな俳優の真似をする奴もいたんだけど、そういうのは逆に先生にダメ出しを食らった。
全員がいくつかの役をやってみて、細かいチェックを終えた先生が言う。
「うん、みんなありがとう。それじゃ、今までのをよく踏まえて、少し考えてみるわ。誰がどの役になっても、文句は言わないでね。出番がどれだけ少なくても、おろそかにしていい役なんて、ないから」
元々僕は、舞台に立とうが、裏方に回ろうが、どっちでも良かった。先生と、一つの芝居を作り上げていくのに、自分の露出度なんて関係ない。抱いていた淡い気持ちがそう思わせたのももちろんだと思うんだけど、台本をじっくり読んでいるうちに、それまでの読書で培ったイメージ力が、すべての登場人物に等しく重要性があることと、これを表現するためにはどういう物が必要かというのを、よく理解させていたつもりだ。先生の言ったことに偽りはなく、確かに、役者と裏方が一体となって努力しないと、実現は出来ないんじゃないか。もっとも、大道具とか、小道具とか、衣装、音楽とか、全部に具体的なイメージが湧いて、すぐさま把握できたというわけじゃないんだけど。
決定は素早かった。一通りの選考をした翌日の練習開始直後、先生の口から配役の決定が発表された。台本中の登場人物は四人。半分が舞台に上がって、半分は裏方だ。
「えっ、いいんですか!?」
「いいもなにもないわよ。考えて決めたんだから」
決定を聞いて、僕は驚いた。先生が、安心させるように言う。
自分に役が回ってきた。どこがどう評価されたのか分からないんだけど、聞き間違いじゃない。与えられた役は、主役ではなかったんだけど、僕の読みが間違ってなければ、要所要所に登場する、ある意味場面進行的な物だった。
「いいのかな……」
周囲に聞こえないように、僕はこっそり呟いた。元々自信のある性格はしてないし、特に、この先生相手ならなおさらだ。ただ、そう思っていたのは、役をもらったかどうかに関係なく、みんなが同じように思っていたことだろう。主役を射止めた目立ちたがり屋の奴も、笑顔と不安げな顔が、くるくると交互に変わっていた。
それから、裏方の割り振りがあった。舞台装置始め、細かいことをどうするのかと思ったんだけど、予算と手間を考えて、装置は体育館のパイプ椅子のみ、小道具だけを作る。衣装はイメージに近い私服、音楽はCDの持ち寄りで、その再生は市販のデッキ。照明は最小限の物をレンタルで、ということだった。
*
「そのタイプの手軽さで済むとなると、小劇場演劇ですよね。ちょうど、その頃にはやった」
「ああ、その通りだ。あの脚本も、それをかなり意識してたな。しかし、当時の他の小劇場脚本にありがちな、不必要な難解さや、自己完結というか、独りよがりな崇高性がない、分かりやすいものだったよ」
「はははっ、その台詞で今、いろんな人を敵に回した気がしますよ。いいじゃないですか、お声がかかれば、小劇場の舞台にだって上がるでしょう? 今でも」
「それとこれとは、別のつもりなんだがな」
*
割り振りが決まってから、まずは全員に対して、誰がどこにでもいいので、全体に対してアイデアを出し合った。基本は、舞台監督と演出を兼ねる先生の、「ここはこうしたいんだけど」という案があって、それを元に頭をひねる。そうして、それぞれの担当箇所で大まかな指針が決まり、それを知ることで、演じる側のイメージも固まっていった。部員同士で率直に意見し合うのはいい意味で刺激的で、みんなの目が輝いていた。僕も、積極的で建設的な意見を他人と交わすのは初めてのことで、無性にわくわくしていた。
全部を綿密に決めるわけじゃなくて、ざっくりとした骨子を確定させるに留めて、後は臨機応変に、と言うことにして話はまとまり、いよいよ本格的な稽古が始まった。
始まった、とは言っても、演技らしいことは何一つ覚えのない、僕たち中学生。監督役の先生に「スタート!」と言われて、すぐさまスラスラと出来る……わけがない。初めは、それはもうひどい有様だった。座っての本読みから始まった物の、頭の中でどれだけ流暢に台詞を暗唱できても、掛け合いとなるととたんにどもる、つまる、噛む、間違える。とても成立しているとは言えないものだった。
僕たちにとって、当面の最大の敵は『焦り』だった。まるでしつけのなっていない犬のように、『待て』をしなかった事と言ってもいい。それがはっきり表れていたのは、台詞を読む速さだった。みんな、早口になりすぎて、端から聞くと、何が何だか分からなくなっていた。
*
「あはは、今でも時々、早口になりすぎて、台詞を噛むことがありますよね」
「あるなあ。自分の役が少し露出が多いと、すぐに自意識が過剰になる。このあたりは、まだまだ未熟だ」
「ご謙遜を。でも、あまり日がない中で、どうやって矯正したんですか?」
「先生は、頭がいいなと思ったよ」
*
早口と、台詞への情感のなさを分からせるために、先生はどうしたか? 本読みの三日目ぐらいになって、家からカセットデッキを持ってきたのだった。まずは何も言わずに役者達に喋らせて、それを録音する。終わってから、全員でそれを聞く。
「どう? これ、自分で聞き取れると思う?」
静かな顔で再生ボタンを押す先生。流れてくる天然早送りのようなやりとりと、伝わってこない感情に、役者は全員赤面して黙り込んだ。裏方組が突っ込み役としてサポートに当たっていたものの、意見を聞いているようで聞いていない奴がほとんどだった。ところが、自分で自分を振り返ると、変に高い僕たちのプライドと相まって、とても心に突き刺さった。
「何も知らない人がこれを聞いて、感情とかが分かるかな?」
続けての言葉に、また黙り込む。程度の差があっても、棒読み丸出しで、台本を知らない人間が聞いたら、これは分からない。演技の心得がなくても、普通の話として、あるいは直感として、みんな分かった。自覚を芽生えさせるのに、これほど手っ取り早い方法はないんじゃなかろうか。
「自分で分かったら、なんとかしなきゃね」
「………………」
にっ、と口元をつり上げて言う先生に、黙ってうなずく。先生は、「どこそこを、ああしろ、こうしろ」とは言わなかった。恩着せがましく言うことはなくても、自主性を尊重するやり方だったんだと思う。
さて、本読みの問題は、これでかなり改善された。もちろん、すぐさま完璧になんてならなかったんだけど、『自分で聞いて、とりあえずでも納得できる』レベルにまではなったように思う。その状態で数日本読みをして、次は立ち稽古だ。これまたぎこちない役者一同に、先生が出した提案は一つだった。
「おおげさにやろうよ」
単純ながら、まったくもって的確な言葉だった。終わった後で気づいたことだけど、実際、舞台っていうものは広い場所でやるから、後方の遠いお客さんにも、身体の動きで感情を伝えなくちゃいけない。微妙な仕草で済ませていちゃ、何のことだか分からないんだ。
その時の僕は、多分他の共演者達もそうだったんだろうけど、やけくそにやって、ちょうどぐらいだった。あらゆる意味で思い切りが足りなかった僕には、かえって新鮮に思えた。
僕は、劇的にではないものの、徐々に変わりつつあった。
自分が振り切れることで、先生が喜んでくれる。
先生と一緒に前進している。その実感を感じる。
それは、たとえとようもない喜びだった。
ただし、先生に対する思慕は、いつまでも足踏みを続けていた。
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