第4話 演劇部、創設
「純粋だったんですね。微笑ましいな」
「恥ずかしい話さ。女々しいわ、独りよがりだわ」
「そんなことはないですよ。多感な時期らしい話じゃないですか」
「今だから、笑って話せるんだがな」
*
自分以外にも数人、声をかけている。そのことは僕にとってショックだったけど、一つ引っかかる言葉があった。先生が「動いている」と言ったことだ。何が、どう? しばらくは分からなかった。でも、その答えはすぐに出た。
一学期の期末テストが終わった頃だった。学校の廊下にある掲示板に、一枚の張り紙が出た。
『演劇部創設。部員募集中』
顧問として、先生の名前があった。
「そうか、そういうことだったのか……」
「興味、持ってくれた?」
「うわあっ!?」
その掲示を眺めているところに、突然後ろから声がして、大げさじゃなくて、僕は跳ね上がった。振り向くと、いかにも嬉しそうな先生の顔があった。くすくすと笑いながら言う。
「動いてるって言ったでしょ? 無事に、偉い人の許可が下りたの」
「偉い人って?」
「そりゃあ、校長先生とか、教頭先生その他、ね。新しくクラブを作るのって、意外と大変だったわ」
ひょい、と肩をすくめてみせる先生。「でも」と続ける。
「これからが始まりね。そこにも書いてあるけど、秋の文化祭で公演するのが目標なの。この間の朗読は、ちょっとしたオーディションだったってわけ」
「まさか、僕に入れと?」
「希望だけどね。もちろん、君の都合が第一。ただ、私としてはいいかなと思ったから」
「やります!」
「わっ!?」
「あ、す、すみません……」
勢いよく即答する僕に、今度は先生が跳ねた。
芝居をする、と言うことが、どういう事かぐらいは、普通に知ってる。僕は、目立ちたいタイプじゃない。そのつもりもなかった。おまけに、自己主張を嫌う環境と性格をしてる。人前でおおっぴらに芝居をすることなんて、今までとは対極のことだ。その時までは。でも、その瞬間、僕の心は変化した。『いいところを見せたい』という下心の復活……もあるのかも知れないけど、それより、この先生のお眼鏡にかなった、という喜び。そして、この先生と、何か一つのことを成し遂げたい、という強い願いだった。
*
「それをきっかけに、あわよくば何か、とか、考えてました?」
「自分で言うのもなんだが、皆無とは言えない、怪しいところだったかな。だが、そもそも、『何か』というのもひどくあやふやだったよ。今の頭なら、道ならぬ……と言い換えられるが、当時はそこまで知らなかった。純か不純か分からない、だが渦巻く衝動だけは感じる。そんな気持ちだった」
「あなたらしいですね。安心しましたよ。そんな話は考えられませんから」
「うん?」
「ああ、いえ。なんでも」
*
「やってくれる?」
「はい! がんばります! どこまでやれるか、分かりませんけど……」
「それは、私も同じよ。手探りの新米顧問だけど、少しつきあって欲しいの」
「はい! 喜んで!」
「ふふっ、そう言ってくれると、嬉しいな。目をつけた子が入ってくれて、少し安心したわ」
先生が、安堵に頬を緩める。僕は、胸に暖かな感慨がこみ上げてくるのを感じた。この笑顔のためだけでも、決断した甲斐がある。そんな笑みだった。
自分が頑張ることで、この先生はもっと笑ってくれるのかな? だとしたら、これほど嬉しいことはない。気持ちがはやった。
かくして、僕の演劇部入部が決まった。
その後、他にも志願してきた生徒達が、放課後に集められた。ほとんどは、先生が事前に『オーディション』をした奴だったけど、そうでないのもいた。先生が想定していた人数は満たしていた。総勢八人。男子と女子が半々ほどで、バランスはいいらしい。もちろん、全員まったくの初心者。クラブ自体が本当に出来たばかりで、部室の割り当てなんかはない。よって、音楽室に仮住まいとなった。
「みんな、よく集まってくれたわね。お芝居をやるって事は、結構大変なことだけど、ついて来て欲しい」
いつもの、凛とした声だった。ひいき目を差し引いても、決意と覚悟がにじんでいた。その場の空気が、ぴりっと引き締まる。そんな中、ある男子が言った。
「あのぉ、おれ、前の音楽室で脚本を読んだ時の内容を覚えてるんですけど、役はこんなにいなかったんじゃ?」
確かにそうだった。僕も、あの時に朗読した内容は、結構覚えている。頭数が集まったのはいいけど、配役数とは釣り合っていない。多すぎだ。あぶれた人数をどうするのかという単純な問題があったんだけど、先生の答えは明快だった。
「お芝居は、役者だけいればいいってものじゃないのよ。舞台装置や小道具、衣装、照明、音楽……いろいろなスタッフの力が必要なの。役をしない人には、裏方に回って貰うわ」
ざわっとみんながどよめく。これはだいぶ後になって知ったことだけど、本格的に芝居をやってみれば、プロであろうとなかろうと、一つ公演をしようと思えば、役者よりも裏方の方が重要なことは当たり前だ。どちらが勝っているか、劣っているか、そんなことはまったくない。と言うか、裏方さんがいないと成り立たない。ただ、その時の僕を含めたみんなには、それが分からなかった。
「じゃあ、おれがこの役をやります!」
「わたしはこっちを!」
「裏方は嫌です!」
口々に訴え始めるみんな。我も我もという感じで、音楽室は騒然となった。僕も、声にこそ出さなかったけど、同じように思っていた。まったく、引っ込み思案だったくせに、先生を前にすると無駄に自己顕示欲が湧いてくるもんだ。
収拾が付くのかと思っていたその場の空気だったんだけど、先生が、二、三度大きく手を鳴らすと、驚くほど、まるで魔法のように全員が静まりかえった。
「はいはい、みんなの気持ちは分かるけど、落ち着いて。これから練習していく中で、全員の適性を見させて貰うわ」
その一言で、みんな黙り込んだ。「裏方をなめてちゃ駄目よ」と、先生は付け加えて、意味ありげにくすっと笑った。
そして、先生は全員にプリントを配った。それは、秋の文化祭に向けた、詳細なスケジュール表だった。その細かさは、すごいものだった。基礎練習、本読み、配役決定、立ち稽古の期間。同時に、裏方の作業期間の目安が割り振ってあって、さらに、それぞれに不測の事態を想定しているのか、いくらかの余裕が織り込まれていた。ああ、この先生はやっぱり丁寧な人なんだ。プリントの上で美しく躍る文字を見て、僕は嬉しくなった。
「基本的に、そのスケジュールに沿っていくから。明日の放課後、体操服を持ってグラウンドに集合してね」
体操服? グラウンド? 体育会系でもないのに? また全員がどよめいた。みんな、基礎練習の意味も分かっていなかったから。芝居をするということの労力を、誰も理解していなかった。僕も当然含めて、みんな無知だった。運動が苦手な僕にとって、授業以外に体操服を着るというのは、やっぱり抵抗があった。
「お芝居ってね、体力を使うのよ。土台を固めておかないと、出来るものも出来ないわ」
またもや、先生のぴしりとした声だった。僕を含めた部員達が、その瞬間で完全に納得したとはちょっと言えない。ただ、なんとなく「ああ、先生の言う通りにやらなくちゃいけないんだな」ということを認識したのは共通していた。
次の日から、スケジュール表にのっとった練習が始まった。部員一同体操服に着替え、先生も、えんじ色の凛々しいジャージ姿で現れる。長い髪は、リボンと言うよりむしろハチマキでまとめ上げていて、普段感じている快活さを、いっそう際だたせていた。
「それじゃ、まずは走るわよ! グラウンド十周!」
十周!? 体育の授業並の事を言われて、全員がざっと引いた。
「ついて来なさい。ゆっくり目に行くからね!」
戸惑う空気の中、先生が率先して走り出す。みんな、仕方なくついて行く。他の連中はどう思っているか知らないけど、僕は、軽快に走り出す先生の姿を見て、やっぱり、戦場で先陣を突き進む、切り込み隊長のような勇ましさと、頼もしさを感じた。
ただ、そうは思っていても、走る事への疲労は同じだ。一日の授業が終わって疲れているところに、グラウンド十周。息が切れると言うか、絶え絶えになった。
「はーい! 少し休んだら、柔軟体操!」
ぱんぱんぱん、と手を鳴らして、先生は矢継ぎ早に指示を出していく。ラジオ体操を軽くやって、適当な人間と組になって、体育の授業ではあまりお目にかかれない柔軟体操をやる。僕の身体は、ひたすら硬かった。先生の指示通り身体を折り曲げるたびに、関節やら筋肉やら骨が、思いっきり悲鳴を上げた。苦痛に情けない声も、同じぐらい上げた。
「次、腹筋と背筋!」
次の指示が、また辛かった。足を抑えて貰って、腹の力で身体を起こす。たったそれだけのことが、全く出来ない。なんとか出来ている奴もいたけど、いっぱいいっぱいという感じだった。
先生はと言うと、文句が付けられなかった。女性だから、ということもあるんだろうけど、驚くほど身体が柔軟で、足を開いて地面に座り、後ろから背中を押してもらえれば、上半身がぺったりと土に付く。腹筋しかりで、息遣いから力を込めているのは分かっても、造作もなく腹で起き上がっているみたいだった。背筋も、見とれるほどに反った。いや、弓なった。
「お腹周りを鍛えないと、いい声が出ないのよ。みんな頑張れ!」
腹式呼吸、と言う言葉を知っていれば、すぐに納得できたと思う。ただ、そうじゃなかった。芝居をする、という華々しさと、今、苦行のようにやっている、地味で地道な運動の数々が、僕も、他の部員達の中でも、どうしても結びつかなかった。
それでも僕は、弱音を口に出さなかった。芝居と体力の関係を理解したんじゃなくて、先生の言うことに文句をつけるのは失礼な気がしたから。先生はきっと正しい。疑ったら罰が当たる。だから信じる。実際に先生は正しいことが後になって分かるんだけど、その時の僕の気持ちだけを抜き取れば、なんだか、変な宗教の信者みたいなものだった。
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