第20話 『いなくなった』という事

登場人物

―パトリック・ウィリアム・オブライエン…リヴィーナの上官、ラニの幼馴染み。



二一三五年、五月七日、夜:北アメリカ大陸、ミシシッピ川条約機構議長国『新アメリカ連邦』、首都ウォール・シティ、東側の壁


 通信を切り、パトリックは薄暗い室内で軽く唸った。手の軽いジェスチャーで透過壁面を透明にして、そちらへと近付いた。己の背後で浮かび上がっている様々な最新情報やメッセージについてのホログラム投影を無視した。

 透明になった壁に手を当て、それのじんわりと温かい感触に目を細め、その向こうに広がる眼下の都市を宛も無しに見渡した。ぼんやりとした視界が特に何かを注視する事無く彷徨い、心が虚ろであった。

 都市迷彩モードにしてある基地内部用の軍服のズボンの内側が振動し、通知音が響き、それからアラームが鳴り始めた。

 古い映画で煙草を吸うがさつな主人公の様子を無意識に真似しようとしていた彼は虚ろな様子で端末を取り出し、軍用規格の擦り傷だらけな端末の画面がアラームを止めるかどうかを質問しているのを視認した。

 目の奥がじっと熱くなるのを感じて、口をぎゅっと逆アーチ状に締めてから、わざとらしい溜め息を口を閉じたままで吐いた。

 本当ならば今日のこの時間はパトリックとラニが、今彼が立っている都市防衛用の壁の屋上に登って、そこで二人で飲みつつ、リモートで各々の妻や家族とも次に会う約束や予定の話をする事になっていた。

 親友を亡くした熟練兵士はちらりと振り返って戦略テーブルの上に置かれたウイスキーの瓶を見てから、視点を手元に戻すとほとんど無意識に端末を操作して予定表を呼び出した。画面にタッチしてそれを立体ホログラムとして投影し、自動再生にした。

 六月にはラニの結婚記念日に向けてプレゼントを決めたり購入したりする日程があり、それをどのようなシチュエーションで渡すとか、そのような詳細が丁寧に書かれていた。

 タイピングするように表示されていく文字列を眺め、パトリックは現実の苦しみを痛感するしかできなかった。

 七月にはラニと一緒にバースカランの両親と会う予定になっていたし、あるいは二週間後などは、ラニと朝まで飲む事になっていた。パトリックは後退しつつある白髪を軽く撫でて目を一瞬閉じた。

 電子スケジュール帳はびっしりと埋まっており、特にラニとの予定については事細かに書かれていた。その日する話題の予定、振る舞い方、酒を何杯飲むか、どこで共に昼食を取るか。

 恐らくラニはその事に気付いていたであろうとパトリックは考えていたが、彼は長年の付き合いがある親友と接するに当たって、常に予定を立てて行動してきた。複数の代替プランまで立てて…。

 やがてその適用範囲は広がり、部隊のメンバーや家族と接する時も、予め決められた予定に沿って接してきた。

 予定を立てていい感じのクソ野郎として振る舞い、泣いて、笑って、互いに慰め合った。

 だがどうであれ、もうそのような日々は終わってしまったのだ。パトリックの人生の大きな部分を占めていた一人が、永遠にいなくなってしまった。

 不意に、あらゆる予定が崩れ去ったような気がした。そのような時にどうすればいいのかわからなかった。パトリックとて、親しい誰かの死を考慮した予定を立てる事はできなかった。

 久方ぶりに涙が流れている事に気が付き、しかしそのままにした。心がずきずきと痛み、今この時だけは悲しみに浸りたかった。

 乗り越えられる自信はあったが、しかしこうしておかないと心が張り裂けて、倒れてしまいそうに思えた――少なくともそう思いたかった。

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