第3話 異次元の獣

登場人物

―リヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァー…軍人、魔術師、友を探すドミネイターの少女。



二一三五年、五月七日:北アメリカ大陸、ミシシッピ川条約機構議長国『新アメリカ連邦』領、旧フロリダ州地域、暫定グレーター・セミノール保留地から北西に二三マイル地点


 リヴィーナは文明が衰退し、しかしその衰退の原因から解放された地を歩み、長い半島部の鬱蒼とした自然環境の雄大さに今でも驚いていた。

 山と言えるような山が存在しないこの地で、森の木々よりも所々高くなっている、得体の知れない半透明かつ毒々しい色合いの体組織じみたものが脈動しているのが時々見え、その上に小鳥が止まっているのを見た。

 異界の動植物に侵食されながらもそれすら受け入れ内包するこの地の大自然には、やはりどうにも慣れないというか、その懐の深さに驚く他無かった。

 走っては休んでを繰り返す彼女は不安を抱えながらも心を落ち着かせて、友人との思い出について考えていた。

 彼女の親友であるラニは大戦の英雄であり、ドミネイターとしては橋を掛ける事を得意とする魔術師であった。その概念はどうにも理解が難しかったが。

 家庭の問題でリヴィーナが家を出た時、愛する両親亡き世界で彼女を救ったのは偶然にも、現在ウォール・シティと呼ばれる旧ロサンゼルス一帯の要塞都市に滞在していたラニであった。

 温暖なカリフォルニアにしては冷たい雨が降る夕方、あたかも肉の襞製カーテンじみた生々しい外套に身を包む大柄な男性にぶつかった記憶。

 腐肉のようなフードの下から優しい眼差しが注がれ、少女は雨天の中で僅かに差し込む陽光を見上げるように見上げた。

 独りぼっちの冷たい世界が、その日を境に大きく変わったように思われた。

 人生の先輩、そして最良の友。無数の思い出が駆け抜けて行った。


 不安を振り払うようにリヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァーは駆け出した。なんとも言えない不安が心の中に広がり続け、気分が優れなかった。

 荒れ放題の道路の上を疾走し、常人には不可能なスピードとペースで長距離を移動した。今からなら、ある程度余裕を持って日没までに到着できる。

 だが、彼女の心の余裕は消えつつあった。湿地帯や森林の風景は美しかったが、心が晴れる事は無かった。

 高速で過ぎ去る風景と晴れ空とが、視界の外周向けて消えて行った。湿地帯の濃厚な香りとて印象には残らなかった。

 やはり、不意に思い出してしまったのが不味かったのかも知れなかった。余計な事を考えず、ただ目的地を目指すべきであった。

 よもや目的地までもう少しというところで、かような気分になろうとは。

 不意に彼女はスライディングをして、軽くブレーキを掛けた。脚部が地面に触れる直前に外套が有機的に蠢いて接触部を保護し、硬いゴムのようなもの越しに地面を擦る感触があった。

 ぐっと脚を払うように動かして完全に静止し、その場で寝転がった。まずは心を晴らさねば。

 数十分経ったように思えたが、細かい雲が幾つ視界から消えたところで記憶は途絶えていた。我に変えると、変わらぬ風景が広がっていた。

 森の切れ間から草原が見え、その向こうに沼があるようであった。

 そこでふと、何かが近くにいるのを察知した。見れば、進路の反対側にジャイアント・ファイブ・レッグスがいた。先程見た個体だ。

 さて、凶暴性でも戻ったかと思ったが、しかし大人しそうに見えた。

 口元でゆっくりと蚯蚓じみたものが蠢き、おずおずと彼女の方に近付いていた。さて、野生動物に餌をくれてやるのは自然保護の観点で不味かったか。

 まあどうせろくなものは無いが、と内心で笑った。狂った絵画に登場する畸形の怪物じみていたが、しかし美しい成獣であった。

 敵意が無い事を示し、少女はそれの巨躯を見上げた。近寄ると、それは巨大な機械の蛸じみたものが渦巻いているかのような威容があった。

 気圧されていない事を態度で示し、しかし対抗心も見せず。本来的には、これらの生物は大人しいのだ。

 ただ、偶然から予期せぬ形で二つの次元が繋がり、それに乗じて侵略行為に出たドーン・ライト側の敵対勢力によって、かつてはこのような獣も戦争に使役されたのだ。

 それを思えば、無防備に頭部を下げて近付け、人懐っこそうに口周りの触腕らしき器官で触れてくるこの生物と成立するであろう平和が、どこまでも不思議に思えてならなかった。

 手を伸ばしてそれの体表を撫で、馬と触れ合うような感覚でしばらくそうしていた。敵意の見えぬ様子で腕を動かし、心地よさそうに異音的な鳴き声が内側から響いた。

 異次元に起源を持つ生物なれど、まあこうして触れ合う事も本来的には不可能ではないのであろう。


 戦争が『開始』した際に、いわゆる腐敗EMPと呼ばれた現象が発生した。それが意図的な攻撃か否かはよくわかっていなかった。もしかすると偶然、次元間接触によって発生した異常現象かも知れなかった。

 とは言え、それは電気エネルギーで動く人類のあらゆるテクノロジーを破壊し尽くした。人類は一旦各々で孤立し、世界に六箇所発生した時空歪曲ポイントが地球に異次元の動植物を流入させる中心地となった。

 ニューヨーク沖のフューチャー・コンプレックスのものを最大規模とする時空歪曲ポイントは、ある種のエルドリッチ・アボミネーションやラヴクラフティアン・ホラーじみた異形の生物が跋扈し、明らかに人為的に要塞化され、それは明白な侵略の意図を持っていた。

 各々で孤立し、侵略され、各々の国家の後退を余儀無くされた各地の人類にとって、再集結しつつ、必要な機械を修理し、戦力を立て直す事が急務となった。

 電気回路の類いは尽く腐敗しており、当面はそれに依らぬ兵器を松葉杖として戦わざるを得なかった。

 具体的に言えば、艦艇も航空機も各種車両も、あるいはそもそも発電施設もダウンした。

 歩兵とその兵器に大きく依存した旧式の間に合わせの軍隊が各地に興り、それらは奮戦して安全地帯を確保した。

 だが、時空歪曲ポイントの周辺はある種の猛毒であり、しかも周辺と言っても凄まじい広範囲がそれによって汚染された。

 人類の戦争は前途多難なスタートを切った。

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