第46話 友よ、打ち返せ

 引きこもっている人間を相手に、不在の心配をする必要はない。

 いかりはきっと、いる。


 さっき門扉もんぴの端から庭をのぞいたとき、古ぼけた自転車があった。

 忘れるわけがない。あれは3年間、碇が通学に使っていた自転車だ。


 俺は自転車で、あの自転車の前や後ろを走ったことが一度や二度ならずある。公園に自転車を止めて、二人で缶コーヒーを手にあれこれ話したことがある。だいたいは本の話を。たまに、志築しづきの話を。


 まさかこんな遠い所から通っていたとは思わなかったが……運動神経絶無ぜつむのあいつが持久走だけはそこそこの順位だったのは、この距離のおかげだったのかもしれない。


 いかり哲史郎てつしろう。日本の作家。199×年生まれ。M県宮国みやぐに市出身。

 西鳳せいほう高校在学中、高校3年生の7月に連作短編集『熱砂ねっさの王』でデビュー。

 『熱砂の王』は同年下半期しもはんき直木賞なおきしょうにノミネートされる。

 さらに翌年の本屋大賞、文芸清流せいりゅうミステリ・ベストテン、本格ミステリ番付け、すべて1位。

 デビュー作で三冠と直木賞候補を達成したのは、史上初。

 翌年10月、2作目『月と太陽の影』を発表。

 文芸清流ミステリ・ベストテン3位、本格ミステリ番付け4位。

 最終学歴は、M大学・文学部卒。


 ・著作

 『熱砂の王』……20××年 星月社

 『月と太陽の影』……20××年 星月社


 ネット辞書に記された、

 華々はなばなしい経歴に対して、その解説はあまりにも短い。

 ネット辞書を編集したファンも、無念だろう。

 仕方がない。碇は2作目を最後に、ぱったりと本を書くのをやめてしまったからだ。


 碇のことは、白戸しらとさんから何度も相談を受けていた。


 大学には元気に通っているが、3作目を書き出す気配がない。


 大学4年だが、就職活動はしていない。作家業は続けるつもりらしい。


 大学を卒業したが……特に、何もしていない。ひたすら、本を読んでいるだけ……


 白戸さんは、あの手この手で新作を書かせようと頑張った。

 しかし碇は「なんだか、書けない」で書かない。


 わがまま野郎だ。

 だが、少しわかる。

 結局俺たちは、メンタルで文章を書いている。どれほど優れた技術と審美眼しんびがんを持っていようと、メンタルが乗ってこないときには、ボロボロのものしか書けない。……だから、メンタルを「乗せる」脳と心の回路作りも、作家のスキルだったりするのだが……碇は、そういう意味では、


 そうしているうちに、文壇ぶんだんにおける碇哲史郎は、5年以上過去の人となった。

 気がついたら消えていた作家……そんなのは、いくらでもいる。書きたいけど書かせてもらえない。書かせてもらえるが報酬が労力に見合わない。書ける環境になくなった……消えていく理由は様々だ。俺だって、気を抜いたらそうなる位置にいる。ただ、碇ほどの経歴で、次が書かせてもらえる、出せば売れるのに消えていく作家は、まずいない。アイデアが出ないタイプの作家もいるが『熱砂の王』では歴史異文化ミステリ、『月と太陽の影』ではSFミステリと幅広く書き分けており、引き出しの広さは疑いようがない……


 碇。どうしろってんだよ。

 インターホンにかけた指が、わずかに震えた。


「……志築。2年間福祉課にいた人間として、なんかアドバイスはあるか」


 志築は静かに首をふる。


「ここまで豊かなら、虐待ぎゃくたいでも受けてない限り福祉の仕事じゃないし」


「過度な甘やかしは、虐待だったりしないのか」


「そういう定義はない。個人的に、思うところはあるけど」


 それに……と、志築はうつむく。そして、振り切るように顔を上げて俺を見る。


「公務員は、時間外に働いちゃ駄目なの。それに私、もう福祉課じゃなくて広報課だし」


「そうだな。俺たちは仕事じゃなくて、友人として来たんだ」


「そう。……あんたたちって、けっこう言いたいこと言い合う仲だったよね」


「ああ」


「がんばれ」


 がんばる。


 俺は、インターホンを押した。


 ピンポーン……

 …………


 誰も出ない。意を決して押したのに、拍子抜けだ。


「そんな……外出中?」


「いや……これは居留守いるすね。福祉課にいたらわかるようになる」


 公務員も、大変だな……


「どうすりゃいい?」


「引きこもってるなら、通販が生命線。つまり宅配便よ」


「なるほど」


 ピンポーン……ピンポーン……ピンポピンポ、ピピピピピピピンポピンポーン


「碇さぁ~ん! 宅配便でーす!」


 ガチャッ……受話器らしきものが外された音。

 え……マジ?



『……はい?』


「「……!!」」



 この声……碇だ。

 ここに来る途中、まずは家族の説得になると思っていた。

 建物を見た後は、執事や使用人との対話も覚悟していた。

 まさか1発目で本人、碇哲史郎を引き当てるとは。

 きっと志築のおかげだ。放課後に現れる宮国の天使……幸運の女神!

 いや、待て。はやまるな。碇一族は、声がそっくりさんなのかもしれない。



『……あれ? あの……? 宅配便……?』


「西鳳の闇だ」


『…………!!』



 相手方が息をのんだ。

 確信した。門の向こう、豪邸の中で受話器を取っているのは、碇だ。

 失われた作家、碇哲史郎だ。


「とりあえず、元気そうだな」


『いや、その……』


「暇そうだな」


『いや……確かに暇だけど……』


「元気で暇なら……書けええええええええええええええええええ!」


 俺は腹の底から、5年間溜め続けた言葉をインターホンにぶつけてやった。


「書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け書け、書け、書け、書け、書け、書け……書け……書けって……書けよ……書け……書け~……はぁはぁ……はぁ……書け! 書け!!」


『ひえぇ……』


 碇の消え入りそうな声は、無視。


「ど、う、い、う、つ、も、り、だ! なんで書かない!」


『それは……なんか……しんどくて……』


「書くのがしんどいのか? お前……ぜんぜん無いな……才能!」


『少しはあると思うけど……』


 そういうところだぞ!


「ふん……華々しいデビューを飾ったお前は、大学卒業してから毎日ダラダラしてても『新作の構想を練ってる』とか言って、作家ごっこできるんだろ。ごっこ遊びだな。作家は悩むのが仕事? ぜんぜんちがう。悩むのなんて、宮国にいる人、日本にいる人、全員毎日いつだって悩んでる。白戸さんだって、俺の親父お袋だって悩んでる。これでいいのか、どうすりゃいいんだ、何かいいアイデアないか、誰に相談すればいいんだって、自分の仕事とか自分の人生について悩んでるんだ。だからいくら悩んでるふりしたって、そんなのは作家性じゃねえ。悩み続けるのは人間の前提だ。だから作家の仕事は、手を動かして、書いて、目に見える創作物で提示して、目標を達成することだ。俺たちは、書いてる間だけ作家なんだ! ちがうか!?」


『…………』


「はぁ……はぁ……何か、言えよ」


『いや、驚いて……納得しただけ。僕の知ってる阿久津くんは、そんな語彙ごいも論理も持ってなかったけど……でもデスバ島8の作者の言葉だと思ったら、自然に思えた……』


「俺の新作は読んでるのか。ずるいぞ。お前の新作も読ませろよ」


『何を書いたらいいのか、全然わからないんだよ』


「そんなの、誰も教えてくれねえよ。読者の望み通り書けば、作家じゃなくて代筆家だいひつかだ」


『でも……』


「でも、なんだよ」


『僕は……『熱砂の王』よりも……『月と太陽の影』の方が……自信があったんだ』


 やっぱり。そうだと思った。

 前作を超えようとするのは、物を作る人間の宿命しゅくめいだ。そしてこいつは完璧主義で病的な慎重派だ。2作目は、考え得る限り完璧に、きっちりとやりきったのだろう。つまり『月と太陽の影』は、前作『熱砂の王』を超える――直木賞を取れると思って出したのだ。

 結果は、前作よりも下に落ち着いた。

 こいつは、何を信じていいのかわからなくなった。自分の感性も、読者の感性も。それで……びびりなこいつは、書かないことを選んだのだ。これ以上、自分と世界に絶望しないために。

 俺はこいつに、言うべきことがある。


「そんなことかよ」


『そんなこと……? そんなことって』


「お前の愛読書の一つに『密告みっこくフェス』ってあるだろ。それを書いた作者、自信満々で前作のデスバ島を超えると思って出したらしいぜ」


『それは……嘘だよね?』


「本当じゃなけりゃ、白戸さんの諫言かんげん退しりぞけて自爆したりしてない」


『まさか、『超かくれんぼ』も?』


「そうだ。気持ちよくノリノリで書いてた。……文芸部の部誌が出て、クラスで俺が一番下手みたいに言われて、最後だけ慌てて書き直したけどな」


『……聞いてたの?』


「聞いちまった。で、トイレに駆け込んで一限終わるまでスマホ触ってたんだよ。ネット中の評判をあさって、俺は間違ってないって思い込もうとした」


『…………』


「お前と志築だけだった。聞こえてきた声で、俺を馬鹿にしてなかったの。馬鹿にされて当然の品質だったのに。お前たちは、他の生徒たちよりも見る目が正確だっただろうに。ほんとに、いいやつらだなって思った。だからトイレのドア開けて、帰らないで二限から出席したんだ」


 背後で、志築が息をのんでいるのがわかる。

 この話は、志築にも言ったことがない。


「俺の場合はダメすぎて読者がついてこれなかったわけだが、お前の場合はすごすぎて読者がついてこれなかった、それだけだろ。本ってのは書き手だけじゃ成立しない。読み手がいないと本は無いのと同じなんだ。お前はとてつもない数の小説を読んで、自分の感想をため込んで、自分の中の好悪こうおの法則を完璧に掘り出したんだろうな。それをフルに活用して『月と太陽の影』を書いた。俺はしびれた。俺だってもう本読みの端くれだったから、あのすごさは手に取るようにわかった。ただ……お前の見出した好悪の法則は、やっぱり玄人くろうと視点での法則なんだ。多くの一般読者に、そのままは当てはまらない」


 表現に込めた意味。オーバラップさせた場面。拾ってもらえると思った行間。

 碇のようなやつなら確実にわかっても、普通の読者に伝わらないことなんて山ほどある。

 同じ設定を二度にわたって書くような、碇からすればただのテンポロスに思える行為だって、読み慣れていない読者には親切で望ましいテンポと取られる。


『……僕に、レベルを下げて書けって?』


「知らん。レベルの高低だって、解釈次第だからな。幅広く大ウケを狙いたいならそれもいいだろう。玄人たちだけに評価されればそれでいいって思えるなら、覚悟を持って自分の考える『面白い』を書けばいい。お前がどう生きたいかで決めて、背負うことだ」


『…………』


 言いたいことは言った。あとは、言うべきことを言う。


「……ま、何もせずとも三食昼寝付きの碇センセイには、もう新作なんて書けるとは思えねえけどな! もう俺とお前じゃ、くぐってきた修羅場の数がちがう!」


『…………』


 怒れ。怒るんだ碇。


「今日、何の日か覚えてるか? 7年前、部室で『熱砂の王』の初稿が完成した日だ。あれはいい作品だったな。文句なし。そう思ってたが」


『……思ってた?』


「ああ。俺、熱砂の王の終わり方、もっといいのが思いついたんだよ」


『……!?』


「王様がデミスに秘密を託して死ぬっての、感動的だけどさ。冷静になると、あれ? 二人で国に戻ればよかったんじゃね? ってさ。だって、目印になる遺体は岩塩窟の近くまで、3つ設置できたんだろ? それならいったん戻って、調査隊を組織して探せば、岩塩窟も見つかるだろ。砂漠に立てる石碑でも持ってくれば、目印は遺体でなくてもいいわけで。王様は、自分が死んで異邦人いほうじんに託す必要なんて全然なかったんだ」


『……でもそれは』


 背後に、車の音。

 振り返ると、3台の黒塗りの高級車が志築の車に並んで停車した。

 中から、初老の男女が出てくる。

 さらに2台目から、使用人とおぼしき人たち。


 志築の顔に緊張が走る。でも俺は続ける。

 インターホンに向かって、言葉を打ち続ける。


ぞくで平凡でドラマがない。でもいいじゃねえか。生きてる限り、何度でもチャレンジできるんだから。お前の作品の傾向は、人間を『点』で考えてるところだ。今の一点、この一勝負、それが人生だと思って書かれてる。順調は成功で生存、破綻は失敗で死、そう決めつけてる。……でも人間って、ちょっとやそっとのことじゃ死なないし、生きようとするし、たった1回で決めなくても、泥臭く何回もチャレンジしてやっと成功しても、いいんだ。……負けて即死ならまだいいんだが、勝っても負けても人生って続くだろ。俺は中3の時、一番好きな女子を傷つけてめっちゃ嫌われた。その子を危険にさらして、大事なものを奪って死ぬほど後悔した。でもそのあと、そいつは少しずつ許してくれて、一緒に笑えるようになった。いいか? あの志築ですらな、高校受験は落ちたんだぞ。めちゃくちゃ頑張ってやる気を見せたのに、あなたは劣ってるからいらないって言われたようなもんだ。ショックだったと思うぞ。でも、あいつがそのことで拗ねてたり腐ったりしてたことあったか? なかったよな。あいつの芯の強さというか、気高さみたいなもんに、俺たちは憧れたんじゃないのか。ちがうか!?」


『阿久津くん……熱砂の王の話じゃなくなってるよ』


「うるせえ! こっちも必死なんだ! お前の新作が読みたくて、余裕がねえんだ!」


 背後を振り返る。

 碇のご両親とおぼしき人たち、そして使用人風の人たちは、俺たちを囲むようにして遠巻きに眺めている。

 ここらへんが潮時か。

 あまり変なことをしていると、志築が市役所をクビになりかねない。

 だが……


「えっ……?」


 彼らは俺を見て、無言でうなずいた。

 俺と志築は、その真意を悟る。


「くそ……何が『千年の孤高』だ。2冊出してその後書かないで、勝ち逃げ決め込んでるだけじゃねえか。お前が孤高なもんか。俺がいる。お前が鍛えてくれた作家・阿久津仁がいる! !」


『阿久津くん』


「聞け! 俺が考える熱砂の王の終わりは、こうだ。王と異国から来たデミスは、仲良く一緒に帰る。国では最高の美女が温かい言葉で、二人の傷をいやしてくれる。英気えいきやしなった二人は、再び決死の砂漠を、同じ道を二人で歩む。その道は宝物庫――岩塩窟を越えて、王もデミスも行ったことのない未知の領域へと進む! 俺はこっちの方がいいね! じゃないと……」


 俺は、インターホンにすがりついた。



「一人だけ生き残るなんて、寂しいだろ……」



 背後で、鼻をすする音がする。

 碇のお袋さんらしき人が、ハンカチで目をぬぐっていた。

 親父さんらしき人は、唇を噛みしめるようにして立っている。


「……俺の言葉は、もうない。最後に、俺たちの運命の人ファム・ファタールから一言だ」


『え、まさか……』


 志築が、つかつかと前に進み出る。

 インターホンの前に立つと、監視カメラをひとにらみする。


「碇くんのファンです。新刊を、5年も待ってるの」


『し、志築さん? あ、いや、それは――』


 言ってやれ。

 あいつに、一番効く言葉を。

 最大級の声量で。


 志築は、大きく息を吸った。

 そして、インターホンにぶちまけた。


「碇くんの……!!」


『――――』


 いくじなし いくじなし いくじなし……

 屋敷の背にある山に跳ね返って、志築の「いくじなし」がこだました。

 宮国市に、天使のいくじなしが響き渡った。

 反響が消えると同時に、志築は立ったまま肩をふるわせ始めた。


 俺は志築の肩を抱いて、車に向かわせる。

 俺たちは、碇のご両親と使用人らしき方々に、頭を下げる。


 碇の親父さんがうなずくと、執事風の人が車のトランクを開けた。

 中から、縦長い白木の箱が取り出される。


 俺がそれを受け取ると、箱には『千年の孤高』と書いてある。

 碇のお袋さんが口を開く。



 人の一生は、百年の孤独。

 積み上げる技は、千年の孤高。

 このお酒がそういう名前なのは――みんなで、分け合って飲んでほしいからなの。

 哲史郎が大事に飾ってる写真の子たち。

 来てくれて、ありがとう。



 碇家の方々に、俺は言う。


 また来ます。

 碇が書いても、書かなくても、毎年、来ます。

 今日は、すごいものが生まれた日だから。

 俺たちが生まれた日だから。


 俺たち――碇の友達ですから――




 車のエンジンの音と共に、屋敷が遠ざかる。


 小さくなった屋敷の肩に日が落ちる。


 空が焼けて、夜が来る。


 宮国にぽつぽつと明かりが灯って、消える。


 夜が更け、皆が寝静まった頃――


 俺たちは、たしかに聞いた。




 強き意志の胎動たいどうを。


 親しき筆の走る音を。

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