第45話 第二の誕生

 人は二度生まれる。

 一度目は存在するために、二度目は生きるために。


 ルソーとかいう昔のえらい人の言葉だ。『第二の誕生』とか言われる。


 一度目は、赤ん坊として生まれる。

 親が全幅の愛をもって扱ってくれるかについては、必ずしもイエスとは言いにくいところだが、とりあえず、傍若無人ぼうじゃくぶじんが許される。自分は世界の中心にいる。間違いなく主人公で、夢は叶う、幸せになれる、何もあきらめないでいい――そういう世界に住んでいる。


 しかし中学生ぐらいになると、自分が世界の中心にいないことが見えてくる。

 挫折ざせつを味わう。現実を知る。

 手に入らないもの、うまくできないことがたくさんあり、勝てない相手もたくさんいることを、突きつけられる。主人公ではない存在に生まれてしまった自分は、どうやってこの世界で生きればいいのだろう?


『第二の誕生』とは、そういう時期のそういう話らしい。哲学書なんか読まないでも載ってる。高校の倫理・政経の教科書に。いかりって野郎が、昼休みに教えてくれた。


 腹の立つ話だと思った。

 二度目の誕生――『本当の人生は、挫折から始まる』なんて。

 それ、『成功から始まる』に変えられねえの? もしくは『行動から始まる』とかさ。

 じゃないと、なんか挫折して悩んで悩んでしてたら、しっかり生きてますって感じじゃん。でもそれ、貧乏になるし、ろくでもないぞ。風呂にも入れなくなるかも――


 俺は悪態をついた。

『挫折から始まる人生』が、俺にはわかりすぎる言葉だったからだ。


 読書感想文。志築から自転車と塾とポニテを失わせたデスバとう。密告フェスと超かくれんぼの失敗。俺はバカだから、手痛い負けや失敗からでないと、自分の考えを変えようとしない。俺が直感と本能で動く獣としてではなくて、理論と脳みそをつかって生きるようになるのは、いつも『挫折』からだ。そんなことが、当たり前のことのように教科書にまとめられている。それって、誰にでもありふれて起きる、普通のことだということだ。その事実が嫌だった。



 碇、お前は挫折したことってあるのか?


 あるよ。1回だけ。


 1回だけって言うのがいちいちむかつくな。


 僕、挫折しないように生きてるから。


 バカ野郎、誰だってそうだ。


 じゃあ、少ない方なのかな……?


 知らん。で、どんな挫折?


 ……全然本を読まない人が、すごいミステリを書いてきたんだ。


 へー。そんなのがいるのか。でも、なんでそれが挫折?


 だって、僕にはとても……


 お前、書いてないじゃん。お前が書けば、お前の方がすごい可能性あるだろ。


 そう、かな……?


 書いてみないとわからねえって。お前、判断早すぎ。そいつがうまくいったのも、ラッキーかもしれねえし。


 でも、ミステリの次はもっとすごくて……二度続いたからラッキーじゃ……


 おいおい。そんときは、実力で三度やり返せばいいだろ……



 あれ、俺のことだったのか。

 読書感想文の完全犯罪。デスバ島。確かに、2回もラッキーが続いている。

 そして『熱砂ねっさの王』『月と太陽の影』。

 碇、俺はまだ2回しかやり返されてないぞ。

 もっと打ち返してこいよ。お前にはそれができるんだから。


 志築しづきの小動物のような愛車は、市街を離れて郊外へ向かっている。

 志築の運転は流麗で、余裕がある。さすが車社会の人間だ。

 俺は助手席から、その横顔に話しかける。


「志築、今日は何の日か覚えてるか」

「平日。……普通の人には」

「俺たちには」

「……『すごいものができた日』」


 志築は、自分で撮影した3人の写真に『すごいものができた日』と名前をつけた。

 中心には、『熱砂の王』が書かれたPCを持つ志築。

 左右には、俺と碇。

 机の端には、俺のPCと『密告フェス』『超かくれんぼ』も写っている。

 3人は大はしゃぎで、最高の笑顔で写っている。


 すごい物ができた。

 これは、世界を震撼させる力を持った作品だ。


 書いたのは碇だ。だけど、阿久津仁と志築麻衣がいたから生まれた、それも確信している。

 あの日あの時、俺たちは間違いなく世界の中心にいた。

 現に、『熱砂の王』はデビュー作で直木賞にノミネートされた。

 俺は今でも、碇が新人でなければ、受賞していたと思っている。

 あの本は、完全な価値を提示していた。多くの読者や作家たちの世界を押し広げた。


 どうだ、すごいだろう。

 俺たちがこれを作ったんだ。俺たちは、こんなにすごいものを作れるんだ!


 自分が書いたわけでないにもかかわらず、誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 日本中のすべての人に読んでもらいたかった。

 あの喜びを知った日から、俺はこの世界に対して前向きに、生きていてもいいんだと思えるようになった。志築は髪を伸ばして、再びポニーテールで登校するようになった。

 だから俺はこの日を、俺たち三人が生まれた日だと思っている。

 三人一緒の、第二の誕生日だと。


「なんで、碇くんと連絡とらなかったの?」


「ライバルだからだ」


「……」


「お互い本が出てれば、それが近況報告。俺たちは、そういうもんだと思ってた」


「……男子の世界観ね」


「ああ。きっと、仲良くしたい相手というより、倒したい相手なんだ」


 元から少ない建物も人気もさらに減り、車は山の麓に辿り着いた。

 ナビが目的地への到着を知らせる。


「着いたみたいだけど……ここ?」


 志築が、道の端に車を止める。

 俺たちは車を降りると、目の前にそびえ立つ威容いようを見上げた。


「豪邸……いや、大豪邸だな……」


「古くからの名門って感じ……あ、のぼり立ってる」


「のぼり?」


 志築が、左右に長々と続く塀の端を指し示す。

 そこには確かに、のぼりが立っていた。


 いかり酒造しゅぞう謹製きんせい むぎ焼酎しょうちゅう『千年の孤高』――


「マジかよ……飲んだことあるぞ」


「私も……というか、全国的に有名なお酒だし……」


 碇のやつ……お坊ちゃんだとは思っていたが……それどころじゃない。

 御曹司おんぞうし……いや、若殿様わかとのさまかよ!


「あ、わかった。『千年の孤高』って、アメリカ文学よね。ノーベル文学賞とった。彼が異常な本読みなのも、昔から一族全員が本読みだからなのかも」


「作家よりも詳しい知識からの名推理、勘弁してほしい」


「これが教養ってやつよ。阿久津センセイ」


「さすが美術以外は5だった女」


「美術以外って言うな」


 なるほど、虎の子の商品に海外文学の名前をつけるような家か。なんか、納得しかない。

 俺と志築は、門の前に立ち、家というか屋敷を見上げる。

 黒光りのかわらが歴史を感じさせる、そびえ立つような日本家屋。

 玄関から続く広大な庭。

 車庫とおぼしき電動シャッターには、車が何台入るかわからない。

 志築の家もそこそこ裕福だが、これはそのレベルではない。大金持ちのレベルだ。


 ああ……

 こりゃ……


 働かなくていいわ……


 書く必要がない。生活のために必死に、腕を磨く必要がない。

 金をもらいながら書かせてもらえる場所を必死に探す必要も、ない。

 俺の文芸力が生存のために磨かれたものだとしたら、ここは、死から最も遠い場所だ。

 だからきっと、これはこれで才能をくもらせるおりだ。


「くそ……くそ、くそ、くそ……!」


「まあ……あんたの暮らしとは全然ちがうけどさ……」


「俺、何度も缶コーヒーおごったぞ!? 碇より金持ちぶって!」


「あはは、それは悔しい。碇、俺は高校生作家だ、おごってやるよ……って?」


 俺たちは、乾いた笑いを発した。

 笑い声はだんだんと大きくなり、腹を抱えて二人で笑った。


「……よし。やるぞ。志築は、そこにいてくれ」


 志築は無言でうなずいた。

 巨大な門の左右に、一台ずつの監視カメラ。


 俺は、門の前に進み出た。

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