第43話 歩いてきた道
約10年ぶりの
そもそも、
俺が生まれた時から今までずっと、記憶の中の風景は現在の風景と同じでしかない。
中学生の頃は下駄箱を使っていたので、玄関から入るのは初めてだ。
玄関は、職員と
「まさか俺が、来賓とは……」
「ほんと、私だってあんぐりよ」
「まあ……世間的には、俺の方が志築よりも高学歴だからな……」
「本気で腹立つ。ありえない。間違ってる。社会の闇よ」
「すまんとしか言えない」
今のはよくなかった。反省。でも、ぷりぷりした顔もかわいい。
俺たちは玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替える。
講演は昼休みの後、五限目だ。まだ少し時間がある。
「どこで待つんだ?」
「校長室でいいって言われてる」
校長室……在学中、一度も入ったことのない場所だ。志築はノックしてから、校長室の扉を開けた。
「おお、よく来て……あれ? 二人一緒に来たのか?」
出迎えてくれたのは、黒髪がすっかり真っ白になった元担任・
「朽木先生、お久しぶりです」
志築が、完璧な
その自然な
社会人マナー的なことを求められると、作家業しか知らない俺はいつも具合が悪い。
だから、開き直る。
「どうもです。嘘つき先生」
朽木校長は慌てて手を振る。
「おいおいおい。たしかに嘘はついたがあれは学校とお前を守るために……いや、よかった。さすが
「いや、答えが載ってる記事を志築が教えてくれました」
「阿久津……お前ってやつは……」
「……小説は読んでますよ。まだ700を超えたぐらいですけど」
朽木先生は破顔する。
「なんだ、まだ全然少ないじゃないか! 私の半分以下だぞ!」
「先生、倍以上生きてますから。
「そうでなくっちゃな。それでこそ、私の
そう言うと、朽木校長は机の上を示した。
ブックエンドに挟まれて、俺が出した本全てが刊行順で並べられている。
先頭は、読書感想文集。間に、俺の西鳳時代の部誌『大鳳』まで3冊挟まっている。
朽木先生は俺に、油性のサインペンを持たせた。
「背表紙に横並びで、ズバーッといっちゃってくれ。今日の日付入りで」
「え? ……え? 本気ですか?」
「少し汚れてるが、
「いや、先生が得するだけじゃないですか」
「うるさい、さっさとやれ」
ここらへんが三中ルールだ。教え子は一生教え子なのだ。
「いいけど……『密告フェス』と『超かくれんぼ』は抜かしませんか?」
「なに馬鹿なこと言ってるんだ。私は、その2冊が好きだぞ」
「なぜ、わざわざ暗黒時代をピンポイントで……」
「そことその後で、書き手が変わるからだよ。文学的に言えば、少年が青年に変わるというか。だから私は『超かくれんぼ』と『レッドゲーム』の間が好きなんだ。ま、これは本読みだからと言うより、教師としての喜びだけどな」
俺は恥ずかしくなって、思わず志築を見る。
志築は困り果てた俺を見て、静かに笑っていた。
体育館。
志築がマイクをぽんぽんと手のひらで叩いてから、講演を始めた。
「こんにちは、みなさん。私は卒業生の
体育館の地べたに座らせられた中学生たちが、笑った。
志築に先んじたトップバッターは、一般企業――大手旅行代理店に入った
一人で、M県内の30店舗ものの中小代理店を受け持たされているらしい。激務につぐ激務。親世代ほど歳の離れた社長たちと、たった一人でやりあっていかないといけない。舐められるし意地悪もされる。家に帰る時間もなかなかとれず、車中泊も珍しくないということだった。そろそろ辞めようかと思っているが、辞めさせてもらえない、再就職先のあてもない……一体、どうしたらいいのか……っておい! これ、進路学習会だよな!? いいのか!?
不穏な空気をぶちまけた某氏の
「……以上で、私の発表を終わります。ご静聴、ありがとうございました」
見てろ志築……
その勢力図……俺が塗り替える!
俺は志築からマイクを受け取る。
前二人とちがってあえてふてぶてしく、業界人風の喋り方を意識して仕掛ける。
「……どうも。小説家の、
ざわ……
「……デスバ島、知ってる? 『デスバ島8』、読んだ?」
ざわざわ……
「買った? 買ったよなぁ?」
ざわざわ
「デスバ島を書いたの……目の前にいる、俺ですッ!」
中学生たちのざわめきが、歓声に変わる。
わあああああああああああああああああ
歓声にかぶせるように、俺はマイクに向かってコールを始める。
「あ、く、つ! あ、く、つ! ホラ! あ、く、つッ! あ、く、つッ!」
見ろ……これが俺が
志築が行ったお利口さんな国立大学では学べない技だ……
さあ中学生ども……こい! ノッてこい!
あ、く、つ……あ、く、つ……あ、く、つ……
あ、く、つ! あ、く、つ! あ・く・つ! あ・く・つ!
「いいぞ、もう一息!」
あくつ!あくつ!あくつ!あくつ! わあああああああああ……
勝った。これが度胸だ。よかった、うまくいって。
滑っても俺には打たれ強さがある。そうだ、今、みんなが目にしたのは作家の資質だ。
俺は志築を振り返り、勝ち誇った顔をする。
志築は呆れ顔で静かに首を振っていた。あ、本気で呆れている。あとで謝ろう。
でもこの講演は志築のためにするのではない。中学生のためにするのだ。俺は切り替える。
「俺は君たちと同じ歳に『デスバ島』で作家になった。今ぐらいから書き始めて、6月に出版社から話が来て、10月14日に本になった! 中学生なのに……100万円以上稼いだ!」
わああああああああああああああああああああああ
「君たちは、毎日、動画にゲームに配信で大忙しだ。小説なんて読んでる人は、全然いないかもな。小説家なんて、もう、なりたい職業ランキングにかすりもしない。でも……本読みである俺は知っている! 小説が描き出す面白さは、何も減っていないことを!」
わああああああああああああああああああああああ
「なりたい人はいるか? 自分も小説書いて……デスバ島よりも面白い小説を書いて、日本中が大注目、お金もざっくざくになりたい人は、いるか!? いたら、手を挙げろ!」
一人ぐらい挙がればいいな~と思っていた。
すると、くにゃっと折れ曲がった手が、ちらほら……自信なさげに……
マジで?
「まっすぐ腕を伸ばせ! 恥ずかしがるな! 小説家志望は、恥ずかしがっちゃダメだ!」
名も知らぬ若者たちの腕が、精一杯の気持ちでピンと伸びる。
「OK! 全員、顔覚えたぞ……君たちは俺のライバルだ。君たちが作家になったら、俺とは読者の財布の中身とリラックスタイムを奪い合う……敵だ!」
え? え? うおおお、うええええええええええ
「でも、一緒の世界を行く仲間だ」
俺の
「やっぱ、強いライバルがいないと燃えないんだよな。なんだこいつ、俺よりも面白い本書きやがる、負けてらんねえ……そういう相手がいないと、さ。だから君たちの先輩として、強い小説家になれる一番確実な奥義を二つ教えてやる。……ネットじゃ絶対に言うなよ?」
生徒たちが、息を飲んだのがわかる。
「小説読め! 数はたくさん、読み方は
どよめき。騒然。体育館は震撼している。
「次! ……勉強しろ! 授業はしっかり受けろ!」
俺の妙なノリについていけず顔を下げていた生徒たちまで、ハッとしたように顔を上げる。
「勉強はネタの宝庫だ! いろいろなことを考えるための道具だ! 苦手でも、ちょっとは頑張れ! やるかやらないか迷ったら、とりあえずやっとけ! 少しでも面白いと思えるところをまず一つでいいから見つけろ! 親や先生のために勉強するな! 自分のネタ探しのためにやれ! いいか、俺は生まれながらの天才じゃない。中1の頃は、勉強が得意じゃなかった。真ん中よりもちょっと下……気づけば一番後ろのグループ……そんなやつだった。本当だよな、中学2年間、同じクラスで学級委員だった志築さん!?」
いきなり話をふられて、志築は目を丸くしている。
俺は志築の所まで行って、マイクを向ける。
「あ、うん……下から数えた方が早い感じでした。提出物も全然出さないし……」
「その通り! でも……中2から俺、めちゃくちゃ勉強したよな!?」
「…………」
それはないでしょ……あんたが授業を受け出したのって、高1の冬からでしょ……
と志築が目で言っている。
その通り。だから俺は、
頼む志築。話をあわせてくれ。
俺のためじゃない。作家志望のみんなが、俺にならないために。お前という奇跡に頼らないでも、袋小路を避けて前に進めるように。
「えーと……」
「正直に言ってくれていいぞ!」
「……そう。中2から、めちゃくちゃ勉強してましたね。小説も……読むようになった」
ありがとう。
やっぱりお前は宮国の天使だ。
俺は再び、体育館の中央に戻る。
「聞いたとおりだ! もし君たちの中に俺の小説のファンがいるなら……知っておいてくれ。俺の小説が面白い理由は3つだけだ。俺がめちゃくちゃ本読みだということ。俺が勉強家だということ。そして、度胸と打たれ強さがあったということ。大事なことだからもう一度言うぞ」
俺は同じことを繰り返す。理解力のある読者にはくどいと言われることでも、重要な設定は作中で最低2回は書いた方がいい。そうしないと、本を読み慣れていない人の頭には残らない。俺自身がそうだったし、大半の読者は今も昔もそうだ。
「わかったな? この3つを備えているだけでも最強無敵なんだが……俺はその上、俺なんかを気にかけて応援してくれる、とんでもなくいい人たちに出会えた幸運があった。読書感想文を褒めてくれた
俺は、涙声になってしまった。
アホか。自分の言葉で勝手に盛り上がって泣くなんて、みっともないにもほどがある。
俺は鼻をすすって、なんとか上を向く。前を見る。
生徒たちが作る列の後ろで、朽木校長が、ハンカチで目頭を押さえていた。
感想文集も西鳳の部誌も持っていたのだ。知らないわけがない。
俺がどんな想いで、誰と一緒に、創作を続けてきたか。
誰に勝ちたかったか。
あの文集と部誌に刻まれるべきサインは、本来は二人なのだ。
「……すまん、みんな。ちょっと……感極まってしまった。……すみません。えー……俺から言えることは……おほん。小説を読むと面白いしいいことが多いよってことと……勉強もネタ探しだと思ってやってみるとけっこう楽しいよってこと……あと……人生いろいろあるけど、度胸と……図太さをもって……頑張っていこうぜってこと。そういうことです。……みんなのおかげで、やっと、そういうことが言える人間になりました。ありがとうございました」
パチ、パチ……
パチパチパチ……
パチパチパチパチ!
しかし、体育館の入り口と、俺の背後から、大きな拍手が聞こえた。
それに促されるように、中学生たちの拍手は重なっていった。
嵐のような拍手は鳴り止まない。
あは……あはははは……
よかった。これで、よかったよな?
俺は涙を拭いて、振り向いた。
志築は手を叩きながら、泣いていた。
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