第40話 答えられる
ちゃぶ台に座布団をしいて、俺と
「おしぼりをどうぞ」
「おしぼりが出てくる家、すごいな……でもありがたく頂戴するよ」
白戸さんは
中3で初めて会ったとき、白戸さんは29歳だったらしい。それが今では、35歳になっている。
ふう~生き返る~と中年らしい声を出してから、白戸さんは居住まいを正した。
「
「ありがとうございます。とりあえず、大学は卒業まで通えそうです」
「きっと、長く売れ続けるよ。やっぱり高品質な王道は強い。まだ文庫化も残ってるし、文庫化したら夏と冬の『
「マジですか?」
「マジだ。それだけ読まれる価値がある作品だよ。デスバ島が一過性のブームじゃなくて一つの文芸として認められているのは、数値が示している。さ、とりあえず、乾杯だ」
俺と白戸さんはジュースで乾杯する。
酒は用意しているが、仕事の話が終わってからだ。
「ほんと……小説、上手くなったよねえ」
「そうですかね」
「うん。デスバ島の新旧、同じ話なのに迫ってくる雰囲気が全然ちがうよ。緊張感のある場面はすごくピリピリと、怖い場面はヒヤッと怖く、感動的な場面は一気に胸に来る……テンポは元からすごく良かったけど、さらに効果的に
「嬉しいです。けど、手放しで
「ハハハ。僕はもう、そこまで君に遠慮しないよ」
「フェスとかくれんぼの頃は、遠慮してましたよね」
「そりゃあね。あの頃の君に遠慮なくダメ出ししてたら、すぐに別の出版社と組んじゃってただろう?」
「そりゃまちがいないです。『俺の才能を認めない星月社なんてこりごりだ』って」
「そして僕は、編集長から
俺たちは笑った。
白戸さんは、ふと目についたように周囲を見回す。
「……しかし、阿久津くんの部屋って、綺麗な時と汚い時があるよね」
「
「ということは、しばらくはご
「基本的に、夏休みにしか来ないんで。年末年始は地元で会うし、春休みは俺があっちの県に行きますし」
「今年も来るの?」
「そう言ってます。就職活動の説明会があるとか」
「志築さん、東京で働くつもりなのかな?」
「去年も一昨年も、判断材料を集めてるって言ってました。毎年来ては、迷ってる風ですね」
「なるほどね。ま、今日はそういう話だ」
「わかってますよ。今の、そういう前振りだった」
「ハハハ、話題の誘導に協力してくれたわけか。強くなったなぁ、君も」
白戸さんは本題を切り出した。
刊行を、今の年に2冊ペースから、年に1冊ペースに減らしてはどうか。
君ももう、実力が認められる
あえてシリーズものはやめて、年に1冊、単行本で、デスバ島のような「1作完結」の話題作を狙う。内容によっては、星月社の文芸誌で月刊連載にして、毎月少しずつ原稿料を払えるかもしれない……
まともな提案に聞こえる。要は、実力が充実して評価も固まってきたから、年に複数冊刊行をする必要がなくなった……そう言っている……
「ようにみせて、実は年2冊から年1冊に減らすと提案してるだけ!?」
「ばれたか」
「いや、だって、今でも年2冊、単行本で出してますから!」
「でも、シリーズ物をやめて、1作1作切り口を変えて実験してみようって言うのは本音だよ。毎回何かやってくれそうな
「それ……当ればうんと楽ですけど、外れれば地獄ですよね……?」
苦い思い出がある。やはり2作目と3作目だ。大きく外した後の、誰も相手にしてくれなくなるあの感じ。だから俺たちは『レッドゲーム』も『ホーリー・ダーク』も、シリーズ化前提で手堅い1巻、そして拡張的な2巻3巻……と刊行したのだ。
「大丈夫だ。君はもう、大きく外さない。読者の怖さを知っているから」
白戸さんは、まっすぐに俺を見つめる。
俺は、白戸さんが来るまでに考えていた言葉を言おうとする。
「……星月社さんが年1冊って言うなら、俺は従うだけです。ただ、空いた時間は好きに」
「そうそう、それなんだよ。いい仕事を持ってきたんだ」
「え……?」
俺は「空いた時間は好きに使わせてもらいます。生活のために他の出版社に営業します」と言うつもりだったのだ。
白戸さんは明るい声で言う。
「仲良しのゲームプロデューサーが、ちゃんとシナリオ書ける人いないかって聞いてきてね。作ってるゲームのシナリオで、トラブル発生中らしい。集めたシナリオライターたちに任せたら、あまり面白い話ができなかったとか……まあ、なんだか大変みたいで」
「え? え? ゲーム? ゲームのシナリオ、ですか?」
「そう。
「いや、待って、待ってください。俺、シナリオなんて」
「まあ、見るのが早い。サンプルもらってきたから、これを見て考えよう」
白戸さんはタブレットで、ゲームシナリオのサンプルを見せてくれる。
表計算ソフトに横書きで、場面、話者、セリフがずらっと書かれている。
俺はタブレットを受け取り、スクロールしながら話の流れを追う。
「……なるほど。セリフだけの小説って感じですね。へー、キャラの表情とかの指定がある」
「そうだね。まさに脚本って感じかな。阿久津くんの小説はセリフが中心だし、セリフだって一つ一つが長くない。……むしろ君の場合、キャラクターのイラストと、声優さんの演技や、音楽や効果音から援護を受けられる……そう思っていいんじゃないかな」
「でも……これ、
「そうだね。だから、集団創作の大変さはあるだろう。たぶん、無茶も相当言われる」
「…………」
俺と白戸さん二人だけで1冊を作っても、喧嘩手前や喧嘩そのものになるのだ。
それが、大人数で1つのストーリーを作るとなると……
しかも、イラストレーターさんとか声優さんとかも関わるんだろ……?
逡巡する俺の顔を見て、白戸さんは言った。
「阿久津くん。あえて言おう。きっと完璧にできなくてもいい。払われる金額相応に役立てばいいんだ。そして、今まで『ダメ』とされてきた他の書き手より上手ければいい。きっとこれは、そういうタイプの仕事だよ。小説の仕事観は当てはめないでいい」
なるほど……新感覚だ。
作家業は「値段相応の仕事をすればいい」なんてものはない。本は完成して、刷られてから報酬が決まるからだ。出来が悪ければそもそも本にならなかったり、なるとしても初版がうんと少なかったり。あくまで、書いた後に市場によって報酬が決まる。だから話題性、書く内容、ブランド作り、全部を考えて、1回1回が常に小説界1位を狙いに行く冒険活動だ。他の作家より少し上手いから大丈夫、なんて概念はない。全小説トップ……とは言わずとも、ジャンルのトップ付近に入れなければ「成功」とは言いにくい世界なのだ。だがこの仕事は相場があり、それに見合った働きをすればいいらしい。
「とはいえ……小説家の俺が、いきなりゲーム業界で書いて、ゲーム業界の人より上手く書けますかね? ダメだったら、紹介してくれた白戸さんにご迷惑をかけるかもというか……」
白戸さんは、静かに笑った。
「……君は、自分のことを過小評価しすぎ……じゃないな。世の中にいる人たちを、過大評価しすぎなんだよ」
「そう言われてもなぁ……」
中学高校と、クラスの中を劣等生で過ごした記憶は消えない。
大学ではなぜか優等生でいられているが、それは、他の学生とは注ぎ込んでいるエネルギーがちがうからだ。たぶん。
「阿久津くんと会ってもう7年……僕ももう立派な中年男性だけどね。その観点から言わせてもらおう」
「はい」
「人間、一つのことを7年も真剣に打ち込み続けられる人は、まずいないよ」
俺は予想もしなかった言葉に、言葉を失った。
「仕事でもね、
白戸さんはうつむきがちに、一気に言った。
それは本人や周りが望む望まざるに関わらず、多くの作家に引導を渡す役割を担った人の、すり切れそうな心情の
白戸さんは、頭がよくて、しかも努力できる人だ。だから、作家がどうやったら生き延びる可能性を最大化できるかも見えて、伝えられる。しかし作家は、昔の俺のように、従わない。
「水は低きに流れ続ける。底だまりに溜まった水はよどみ、やがて腐る。大抵の作家の情熱も同じさ、阿久津くん。自信過剰から、進んで愚かな選択をする。小さな満足を得れば、そこにとどまろうとする……書かない言い訳、鍛えない言い訳、探せばいくらでもある。それを探すことに毎日の時間を費やしてしまう……」
そして顔を上げ、静かな表情で聞いていた。
「阿久津くん、今、何冊読んだ?」
「まだ、512冊です」
「サスペンスで一番良かったのを教えて」
俺は、衝撃的な読書体験をした、劇場型犯罪の
「ホラーで一番良かったのを教えて」
俺は震えながら読んだ、山村の葬儀をモチーフとする怪奇小説の名をあげる。
「ジュブナイルで一番は?」
即答する。男子高校生二人が、日常の謎を調査するほの暗い青春物語。白戸さんは、自分もそうだとうなずく。
「SFなら?」
俺は迷った挙げ句、3冊の名前をあげる。
子供たちだけが住む、言語が物理的な力となるディストピア。
猫しかいない廃棄コロニーの、二匹の天才猫たちの戦いと友情。
創造主という天上の差し手に、人理を超えることで反逆するボードゲーマーたち。
白戸さんは「なるほど、それなら3冊だ」と笑った。
「時代小説なら?」
もちろん、あれとあれだ。俺は有名な1作と、マイナーな1作の名を口にする。
新撰組の、
戦国時代の、静かなる石組み職人の一生。
「社会派なら……君は、あれか」
そうです、と俺はうなずく。大学病院の教授の席という万能の願望器をめぐって、各派閥が水面下で対立したり手をくんだり、人の
「ライトノベルでは?」
SFの時に言いましたね、と俺は言う。そうか、そうだなと白戸さんは言う。
「現代的な意味で、ライトノベル色の強いライトノベルなら?」
俺は、インスタントな娯楽に見せて、神業的なテリングを成功させている作品の名をあげる。すべてのマーケティングを物語に違和感なく溶け込ませるのは、まさに神域の筆だ。
「ファンタジーだったら、どうかな」
やっぱりあれだ。俺が生まれる前に書かれた、十代向けのファンタジー。その番外編。
「伝奇小説ならどうだろう」
俺は辞書のように分厚い文庫シリーズをあげる。その中でも、とくに5巻目だと言い切る。
「……合格だよ。僕の好みとはちがうところもあるけど、高評価となる理由はわかる。本当に、よく読んだね」
「白戸さん、まだです」
「まだ?」
「まだ、ミステリを聞いてないです」
「おっと、うっかりしてたね。じゃあ、ミステリで一番好きなのは?」
天才が書いた作品がある。
世の中を震撼させ、俺の世界を壊して広げた作品がある。
千年前の世界各国を舞台にし、『価値観のちがい』を真相の鍵とするそれは――
「その本は、『熱砂の王』って言います」
白戸さんの背後で、棚の写真立てが光った。
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