第39話 今後のことで相談が

 大学1年目の11月。

 俺の9作目『ホーリー・ダーク』が発売される。

 そして同月同日に、いかりの2作目『月と太陽の影』も発売された。

 前作『熱砂ねっさの王』から、1年4ヶ月も経過しての2作目だ。

 読書ファンたちは待ち焦がれたと言ってもいい、待望たいぼうの新刊だった。


 大学2年目は、4月に『ホーリー・ダークⅡ』、10月に『ホーリー・ダークⅢ』を刊行した。

 表裏を使い分けるサイコパスシリアルキラー刑事・無紋むもん聖夜せいやが「私刑」で悪党をちゅうしていくシリーズだ。ダークヒーローものの、ミステリでありサスペンス。連作短編の形をとっており、1冊に4つから5つの事件が入っている。

 それまでに書いていた『レッドゲーム』シリーズよりも、読者の年齢層を広げられた作品だ。デスバ島のように大きく跳ねることはなかったが、コツコツと部数を伸ばしてくれている。

 この年、碇は新作を出さなかった。


 大学3年の4月。

 俺と白戸しらとさんは、禁じ手とも言える『デスバトルアイランド~2名生存~ 完全版』を出す。

 5年半前に出したデビュー作『デスバとう』のリメイクだ。

 いくらデスバ島のアイデアや構成が優れていたとはいえ、セリフや地の文は惨憺さんたんたるものだ。明らかに描写が矛盾むじゅんしている箇所もある。だから筋を変えることなく、今の筆力ひつりょくで全文を直すことにしたのだ。「完全版商法だ」と袋叩きにあうかと思っていたが、ネットの声は意外にも歓迎する声が多かった。これは、ホーリー・ダークシリーズ以降「普通に読めるものが書けるようになってきてる」という評判あってこそだ。デスバ島のリメイクについては、一応、志築しづきの許可もとった。「いいんじゃないの。もう、中学生でもないし」とOKしてくれた。「でも、しばらくあんたと歩くときはポニテは封印ね」とも。さすがに今の志築を見て瑞樹みずきを連想する人はいないだろうが、オマージュ的なファッションだと思われたら嫌らしい。

 デスバ島完全版の狙いは二つだ。新たな若年世代を取り込むことと、品質に満足してくれた人たちを『レッドゲーム』『ホーリー・ダーク』シリーズに誘うことだ。だから完全版と同じ日にホーリー・ダーク1巻の文庫版も出し、2ヶ月おきにⅡとⅢの文庫版も刊行する。瞬間的には、そこそこ収入が見込めそうだ。

 碇の3作目は、まだ出ない。


 問題は、デスバ島完全版、ホーリー・ダーク文庫化の後だった。

 俺の売れ行きで年に2冊だと、東京でぎりぎり一人暮らしができる程度だ。

 新刊だけで年間の生活費をまかなうことは難しく、年に1回ほどかかるデスバ島の重版じゅうはんで、かろうじて生きることができている状態。


 今の生活を向上させるには、このままではいけない。

 バイトをしようかとも考えたが、本名作家なんておろかなことをしたせいで、それもできない。元中学生作家・阿久津仁がコンビニでバイトしていたとでも広められれば、俺の本の買い手は一気にいなくなるだろう。実際は、バイトしながらの作家は全然いるらしいのだが。


 はぁ……どうしたもんか。デスバ島、映画化しないかな……あの内容だと無理か……

 レッドゲーム、ドラマ化とか……あの内容だと無理か……

 でも、ホーリー・ダークは連作短編だからドラマ化しやすいぞ……もうドラマ1クールぶんは余裕であるし……少し足せば2クールだっていけるんだけどな。

 ……で、碇のやつ、いつ新刊出すんだ?


 大学3年の6月。

 大学から下宿げしゅくに戻って『ホーリー・ダーク・アーリーデイズ』を書いていたときだった。

 スマホが震えた。白戸さんから、通話だった。


「阿久津くん、今晩、行ってもいい?」


「急ですね。奥さんと喧嘩でもしました?」


「いや、夫婦仲は良好だよ。ちょっと……今後の話で、相談がある」


「えっ」


 今後の話――


「そう……ですか……」


 たぶん、「星月社せいげつしゃから君の本は出せない」と……

 デスバ島以来、大ヒットが出ないから……


「どうぞどうぞ、ずっと家にいるんで。いつでもお構いなく」


「うん、じゃあ悪いけど、夜の9時から空けといてほしい。お友達は無しで」


「了解です。飯、食いに行きます?」


「いや、食べてから行かせてもらうよ」


 やはり、世間話ということではないらしい。

 覚悟を決めないといけない。


 いつか来るとは思っていたが……このタイミングで?

 まだ、デスバ島完全版が出て2ヶ月……ホーリー・ダークⅢの文庫版もこれからなのに? もしかして……有終ゆうしゅうを飾らせるための、デスバ島完全版だった……?


 思っていたよりも、きついな。

 俺、小説家じゃなくなったら、何になるんだろう。


 元小説家の、稲田大学の学生。……この場合、元小説家はマイナスだよな。

 有名大学なんて言っても、ふわふわした人間たちが集まっている大学だ。大言壮語たいげんそうごが持ち味なだけで、何かしっかりとできることがあるわけじゃない。


 やだな……小説家、やめたくねえ……

 小説家やめて、ただの学生になって、志築にどんな顔して会えばいいのかわかんねえ。


 あいつが俺のことを憎からず思ってくれているのも、俺が小説という仕事に打ち込んでいるからだ。打ち込む先がなくなったとき、俺は志築をつなぎ止められるとは思えていない。志築がどう思うかというより、さすがに他の男と付き合った方がいいはずだと、俺が思ってしまう。


 ……他の出版社で、俺の本を出したいって言ってくるところ、あるかな。

 中3の頃はそんなメールも来てたけど、高校以降はさっぱりだもんな……


 悔やんでも悔やみきれない。

 どう考えても、2作目と3作目を暴投したことが響いている。

 あそこで俺は、自身の底をさらした。

 鬼才きさい麒麟児きりんじではなくて、ただの未熟なラッキー少年だったという認知を広めた。ハッタリをきかせられる余地を失った。もし2作目、3作目とうまくやれていたら……デスバ島並とはいかずとも、レッドゲームやホーリー・ダーク並に書けていれば……人生は全然ちがっていたはずだ。過去に戻って、あの頃の俺を三日三晩土下座してでも説得したい……


 そして、チャイムが鳴る。


 ドアの前に、白戸さんが立っている。

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