第38話 普通じゃないんです

 日付は去年の9月。『熱砂ねっさの王』の単行本が出てから約2ヶ月後だ。


 タイトルは『星月社せいげつしゃオンライン 「熱砂の王」いかり哲史郎てつしろう氏 独占インタビュー』


――小説家になるのは、昔からの夢でしたか?

碇:はい。でも、なれるとは、思っていませんでした。一度、あきらめた夢でした。


――どうしてですか?

碇:中学で同じクラスに、阿久津あくつくんがいたからです。


――なるほど。阿久津先生のデスバとうに、打ちのめされた?

碇:いえ、もっと前です。


――もっと前?

碇:はい。中学1年生の読書感想文で……彼は、完璧なものを書いてきました。


――阿久津先生が?

碇:彼は全然本を読んでないのに、完璧なミステリを書いてきたんです。


――読書感想文で? ミステリを書いてきた?

碇:そうです。『完全犯罪マニュアル』という本を読んで、感想文に、ミステリのプロットを書いてきました。もちろん、トリックも。


――奇行きこうでは?

碇:奇行ですね。阿久津くんは、普通じゃないんです(笑)。


――よくできていたのですか?

碇:それまでに読んできたミステリの、ほとんどのトリックを超えていました。というか……あれは絶対に解けない。現実で実行可能で、もし現実で実行されたら、たぶん完全犯罪になると思います。


――そんなにすごいものを?

碇:彼のアイデアなので内容はせますが……学校の先生が彼を呼び出して「穴だらけな計画だ、もしやれば確実に捕まる」とくぎを刺したそうです。。でも、穴だらけというのは、確信的な嘘ですね。呼び出した先生はミステリ好きな人だったので、穴なんてないことはすぐにわかったでしょう。でも、嘘をついてでも、彼の才能を認めるわけにはいかなかった。学校と地域、両方の治安のためだと思います。


――中学1年から、とんでもない生徒だったんですね。

碇:はい。対して僕の書評みたいな感想文は、少しめられただけでした。大人たちに緊急性を感じさせて現実すら物語のように動かした彼と、全然ちがうなって。そのちがいから、この世には書くために生まれてきた申し子がいるんだって、打ちのめされました。


――しかも、2年後にはデスバ島が出てますね。

碇:そうなんです。誰も書けと言ってないのに、書いてくる。後で彼が教えてくれましたが、受験勉強をサボって書いていたそうです。僕はそんなこと、怖くてできませんでした。そして、あの作品の出来です。やはり、小説家になる人はちがう。だから僕は、小説を書きたいなんて思わないで、小説のファンとして生きようと思ったんです。


――しかし『熱砂の王』は完成しました。そのきっかけは?

碇:彼や、友人や、先輩が応援してくれたからです。負けるとわかっていても、一度ぐらいは戦って「いくじなし」じゃないところを見せたいなって。


――見せられましたか?

碇:たぶん。……僕が書いてる間も、阿久津くんはあの手この手でずっとはげましてくれました。ちょっと、ここで言うにはまずい励まし方でしたけど……あれがなかったら、本当に最後まで書けなかったと思います。彼には、心から感謝しています。


(略)


――碇先生にとって、小説を書く上で大事なことは?

碇:心です。僕は、心が弱い。いくら経験や技術があっても、好奇心がなければインプットが、度胸がなければアウトプットができません。僕はそれらを備えた申し子ではありませんが……精一杯、頑張っていこうと思います。


――ありがとうございました。最後に、阿久津先生に一言。

碇:えへへ……これからも、阿久津くんの新刊を楽しみにしてます。


――もっと、喧嘩をふっかけるようなのでお願いします。

碇:えぇ……じゃあ……ちょ、調子に乗ってられるのも、今だけだぞ! ぶ、ぶぶ、ぶっ潰す! こ、こんなのでいいですか……?


――素晴しい宣戦布告をいただきました。これからのお二人に、ますます注目です。



「『……ちょ、調子に乗ってられるのも、今だけだぞ』」

「『ぶ、ぶぶ、ぶっ潰す!』……」


「俺は、なぜこんなに面白い文章を見逃していたんだ!!」


 明かりをつけると、タオルケットで前を隠した志築がげらげらと笑っていた。


「おい、『立ち聞きしていたという生徒』! 聞き耳立ててた学級委員!」

「そうでーす」


 そうだった。俺が担任と二人の生徒指導に囲まれて縮み上がっていたとき、学級委員だった中1の志築しづきがぴょこぴょこと背伸びをしてのぞいて、追い払われていた。


 追い払われたふりをして、ドアにぴたりと耳をつけていたのか、この不良学級委員は。


「なあ、これ、事実なのか!?」

「そうなんじゃないの? 私は碇くんに、あんたが釘をさされてたってことを言っただけだし。ただ碇くんからすると、あんたの完全犯罪に穴なんてないことは『見ればわかる』事実だったんでしょうね。で、私から聞いた朽木くちき先生の言い回しから、先生が苦渋くじゅうの決断で嘘をついたと思った……ってことよね」


 志築は背中を向けて、下着を着けずに半袖のパジャマを着ている。


 目の前に志築の無防備な背中があるのに、俺はどうして今、碇と国語教師の中年男性のことを考えてしまっているのか。本に関わるやつらは決まって悪魔だ。いつも、世界をおかしな形にする。


 おかしい……何だ……何が起きてるんだ……

 今、この状況は……何だ!?


「先生の嘘……そうだ、手紙だ」

「手紙?」

「卒業式の日にもらったんだ。朽木先生から」

「え、いいなぁ。あんたばっかり、いつも特別扱いで……」

「たしか、ここらへんに」


 三中読書感想文集。3年ぶんの西鳳せいほう文芸部の部誌。完全犯罪マニュアル。先生からの手紙。一応全部、実家から持ってきた。


 俺は細かく折り目がついた、先生からの手紙を広げる。

 志築が顔を寄せて、その中を覗き込む。


「……俺がたくさん本を読んだら、朽木先生がついた嘘が解けるって……」


「結局、碇くんに解かれちゃったじゃない」


「いや、本はけっこう読んだぞ……?」


「足りないってことでしょ。たぶん、ミステリをもっとたくさん読めば、あんたのトリックが相当いい線いってる……というか、あんたのトリック未満の小説の方が多いって気づく、そういうことじゃない?」


「ぐ、ぐう……」


 本……小説を書くために小説をたくさん読むことのメリットは、計り知れない。

 その中でも特に有益なのは、自分の天井を上げてくれる傑作に出会うこと、そして……これなら自分でも書けると思える駄作に出会い、勇気をもらうことだ。


 高校1年の秋、他者の小説を読み始めたばかりの俺は、読めば読むほど「天才だらけだ」と驚嘆し、打ちのめされた。持っている世界観や発想のちがい、成立すると思えなかった面白さを成立させている才気さいき、ひたすらに「思い知らされる」ばかりだった。

 だが、高2、高3と読み続けていくうちに「これは、いまいちだったな」とか「うーん……楽しかったのか、これ?」と思わされる作品に出会うようになってきた。なんてことはない。俺の『密告フェス』や『超かくれんぼ』が、出版されているのだ。あれらを書いていたときの蛮勇ばんゆうは、俺が一番知っている。武器もなく、警告も聞かず、俺はできる、俺だけは大丈夫だと言って、銃弾が飛び交う戦場の横断を試みたようなものだ。実力もないのに無為無策むいむさく。出版後は『褒める場所を見つける方が困難』とまで書評に書かれ、実際その2冊は、第二刷をもって絶版ぜつはんとなり、文庫化もされていない。買ってくれた人たちには本当に申し訳ないが、増長ぞうちょうゆえの暴走と迷走、シンプルに駄作なのだ。そして各ジャンルで各作者、そんな本はけっこうある。ものすごい打点を出す大作家でも、3作に1作ぐらいのペースで微妙な作品を出す人はいる。


 ランキングの並びは各人でちがっていて当然だが、それでも個々人の中では、読んだ小説の数だけ、1番から最下位までの漠然とした順位がつく。

 国語教師朽木先生の「本をたくさん読め」とは……ランキング下位に収まる作品にたくさん触れて、自分がついた「トリックとして全然ダメ」という嘘を見破れということだったのか……実際は、全然ダメじゃないから……


「……回りくどすぎないか?」


「碇くんは、ヒントももらわずに見抜いてたみたいよ」


 碇……! ちょ、調子に乗りやがって……!


 俺は手紙を丁寧に折りたたんで、茶封筒にしまった。

 いつか、朽木先生にはお礼参りにいこう。

 学校の治安維持のためとはいえ、教師が生徒に嘘はいけない。

 ラーメン一杯ぐらいは奢ってもらわなければ、気が済まない。


「碇は……ずっと、俺に勝てないと思ってたってこと?」


「みたいね。あんたは、碇くんに勝てないと思ってた」


「今でも思ってるよ」


「向こうだって、今でも思ってるんじゃない?」


 志築は、しゅるしゅるとポニーテールを完成させる。


「目が冴えちゃったね。ホットケーキ、作ってあげる」

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