第36話 それぞれの道

 7月。俺は本屋で、あいつの本を買った。


 『デスバとう』の阿久津あくつじんの同級生。

 新たな高校生作家。

 驚天動地きょうてんどうちのミステリ。

 頂点を穿うがつ才能。

 大人も子供も、まずは読め。

 星月社せいげつしゃの最終兵器――いかり哲史郎てつしろう、登場。


 ……おいおい、最終兵器って……

 星月社、最終局面まで行ってたのかよ……大丈夫かな……


 短編4つを加え、一冊の本になった『熱砂の王』は、白戸しらとさんが声を震わせるほどだった。

 だが、どんなにすごい本でも、読まれなければ存在しないと同じ。そして、知られなければ読まれない。だから、なりふり構わない、ありとあらゆる宣伝攻勢が打たれた。

 それは逆に言えば「読んでさえもらえれば、絶対に勝てる」という星月社の自信の裏返しだ。


 単行本の帯には、俺のコメントが載っている。


-デスバ島の阿久津あくつじん驚愕きょうがく!-

『俺とは全然タイプがちがう。今は、そう言わせてください』


 改めて見れば、なんだこの敗北宣言みたいなのは。白戸さんに頼まれたとはいえ、ちょっとサービスしすぎた。

 クラスでは『俺とは全然タイプがちがう』『今は、そう言わせてください』が流行ってネタにされている。笑いにしてくれた級友たちには感謝しかない。


 だがこの帯コメントは好評だったようで、阿久津作品のようなインスタントなものを嫌った人たちにしっかりとうったえかけ、阿久津仁をぶっ叩きたいだけの意地悪な人たちも手に取った。

 そして、彼ら彼女らに、読書の新境地を開かせた。

 ネット上ではさかんに「碇哲史郎 対 阿久津仁」が持ち上げられ、9対1か8対2で碇の勝ちという評判が繰り返された。べつに落ち込みはしなかった。俺は10対0だとに思っていたので、俺が少しでも票を得ることに驚いたほどだ。


「阿久津先生には悪いけど、次元がちがう」

「これは相手が悪い」

「初めて、本物の小説っていうのに会った気がする」

「小説って、全部こんなに面白いわけ?」

「これからは、ライトノベル以外も、読んでみようと、思いました」

「高校生がこんな話、思いつく? 書ける?」

「若い作家にあって当然のごまかしや息切れが見えない。魔人」

「妙なスタイルの押しつけもない。すでに熟練作家の貫禄がある」

「年1冊ぐらいでいいから、この品質を維持してほしい」

「維持できたら文芸界の至宝しほうだわ」

「星月社、大金星だいきんぼし

「編集さん、枯らさないように守ってあげて」

「金だけ出すスポンサーになりたい」

「生きる楽しみができた」


 ネットを覗けば、こんなのばかり。

 俺のデスバ島が出たときは賛否両論で盛り上がってた感じだが、『熱砂の王』は賛9に否1ぐらいだ。否1の内容は「言葉や世界観が難しくてなかなか読み進められなかった」「デスバ島の方がわかりやすくて好き」とか。こら、俺を巻き込むな。旗揚はたあげゲームはしないでいい。


 一躍いちやくときひととなった碇だが、取材等は苦手で、メディアへの露出はほとんど断っていた。

 星月社の文芸雑誌やネット記事だけ、義理でインタビューを受けていたようだ。

 デビュー作で圧倒的な評価を得た碇は、年に1冊のペースを目指すという。

 次の作品がどんなものになるのかは、まだ未定。

 もし次も、歴史と地理と海外文化を混ぜたミステリを書けば、『そういうものを書く作家』というブランドになるだろう。それは1作目を買ってくれた人たち相手では手堅てがたいが、少しの失望もある気がする。それは、大衆的なヒーローというよりは、知る人ぞ知る作家になる道だ。

 この怪物じみた才能には……こいつらしさを残したまま、新たなジャンルを開拓してほしいというのが、読者としての願いだろう。一読者として、俺はそうだ。


 俺と碇は部室の鍵を後輩に引き渡し、部活を引退した。

 とは言っても、俺も碇も書き続ける宿命しゅくめいにある。

 志築は消極的な理由で入った広報部がすっかり体の一部になっていたようで、広報部引退を大きく惜しみ、後輩たちからも惜しまれていた。俺たちは、2年を過ごした部室棟ぶしつとうを去った。


 夏休みを目前に、俺たちはそれぞれの道に進み始める。


 志築は、県外の大学を受験するために、受験勉強モードとなった。

 放課後のみならず、夏休みも毎日、学校の図書館に通って勉強をするらしい。

 俺もたまに学校に書きに行くから、そのときは昼飯でも食おう――そう言うと、あっさりとOKしてくれた。


 碇は、執筆と受験勉強、二足のわらじだ。

 碇は作家デビューの方が特別な出来事だったので、こいつが大学を目指すのは変じゃない。

 しかしその志望校を聞いたときは、果たして大丈夫かと思った。

 家から通える地元の国立大学……地元では一番難しいそうだが、偏差値へんさち的にはぱっとしないところを受けるらしいのだ。碇は勉強はとてもよくできるので、すでにぶっちぎりのA判定を取っているところだ。

 本人曰く、地元の大学に受かって、家でゆっくり小説を書きたいらしい。

 碇らしいと言えば碇らしいが……

 日本中が注目している才能が進む先としては、何か違和感がつきまとう。あいつは完全に俺よりも大物扱いだし、俺とちがってゴシップ的な要素もなく、その能力を伸ばし発揮することが望まれているのだ。せっかく外に飛び出せる機会なのに、宮国みやぐにに住み続けてどうするんだ。


 というのも、俺は、宮国を脱出する計画を立てていたからだ。

 本の売上げでたくわえてきた貯金をはたいて、東京の私立大学を受けることにしたのだ。

 もちろん学力では無理なので、AO推薦すいせんというやつで。

 履歴書りれきしょ小論文しょうろんぶんと面接で、受けさせてもらえるらしい。


 べつに、有名大学にこだわってはいない。

 俺はこんなのですけど、俺を入学させたいなら入らさせてもらいます、ぐらいの気持ちだ。

 電話口で、白戸さんもそれがいいと言ってくれた。


「知らない土地に行く、一人暮らしを経験する、たくさんの人に会う……どれも作家としての君を成長させる。結局のところ、行ってみないと、やってみないと、真に迫る内容は書けないからね。特に阿久津くんみたいな若い読者が多い作家は、東京のリズムや空気感を知っておくのは大事だと思う。なんたって首都圏だけで、日本の3分の1が住んでるんだ」


 ……白戸さんには言わなかったが、俺は万一のことも考えている。

 この先、ずっと作家一本で食っていけるとは限らない。4作目『レッドゲーム』以降は少し持ち直しているが、奇跡の一作目・デスバ島以上のヒットが出ていないのも事実なのだ。高校生のうちは金持ちぶっていられたが、社会人として見れば充分な収入にはほど遠い。

 だから一応、大卒、それもできれば有名大という保険もかけるつもりなのだ。

 ほとんどすべての作家が専業で食べていけないという事実がある以上、俺だけが例外なんて信じることは……もうしない。勝っても負けても、人生は続くのだ。


 俺は学部についても、白戸さんに相談した。


「学部とか全然わからないんですけど、俺に向いてるのって何ですか?」


「ふむ……変に知恵をつけられても、君の場合はよくないからなぁ」


「え、なんですか、それ」


「阿久津くんなら、社会学部じゃないかな」


「社会学部……? 文学部じゃないんですか?」


「文学部は碇くんみたいな人向きだよ。というか、彼みたいなタイプじゃないと耐えられない。あと文学部は、文章の書き方を学ぶ所じゃないからね?」


 勘違いをぴたりと言い当てられた。

 あはは……と俺は笑うしかない。


「社会学部っていうのは、『人はなぜ行列を見ると並んでしまうのか』『夜型社会を実現した方がいいのではないか』みたいなことを考える学部」


「あ、面白そう。俺向きかも」


「そうそう。阿久津くんの小説は、変な切り口が混ざるところが面白いんだから」


 一応他の学部もさらっと説明を聞いて、俺は社会学部を受けることに決めた。


 8月からいろいろな大学のAO入試に出願し、9月の頭には書類選考の合格が来て、9月末には東京に面接を受けに行った。

 飛行機は、すでに修学旅行で経験している。

 だが、初めて土を踏む東京は……

 なんというか……思っていた何倍も、とんでもないところだった。


 人が多すぎる。建物が密すぎる。どこでも、人と人、物と物、人と物の距離が近い。

 頑張らないと、空が見えない。コンビニに駐車場がない。自転車置き場が有料。小学生向けの塾の広告が多い。電車は3分おきに、すごい速さでホームに入ってくる。特急かと思ったら普通電車らしい。二十両もあるからホームが長くて、進入速度も速いのだ。

 そして人が多すぎると、どうなるか。他人一人一人への注目度が無くなるのだ。もし宮国で俺と志築が並んで歩いていたら、誰もが「阿久津くんと志築さんが二人で歩いている」と認識し、数日の内に噂になる。そうなってもいいという覚悟がないと、二人で歩けない。

 だが東京では、男女が歩いているぐらいでは何も起きないようだ。コスプレみたいな格好の人が電車に乗っていても、皆平然としている。電車の乗り降りで殴り合いの喧嘩が発生しても、みんなリアクションをせず、全員が無視して改札へ入っていく。鉄道会社の人を呼ぶことすらしない。他人に興味を持つ方が特異というスタイルだ。宮国と同じ日本とは思えない……


 なるほど。俺が思っていた「大都会」のイメージは、ぜんぜん大都会ではなかった。

「東京の中学」を舞台に書いた『密告フェス』が、ボロクソに叩かれていたのもよくわかる。俺が精一杯想像しながら書いた東京の中学は、宮国がわずかに都会化した中学だった。


 この街で生まれ育った人は、宮国なんてひなびた場所の生活は想像できないだろう。

 同時にそれは、俺がこの街での様々な常識について想像が及ばないということだ。


 どちらがいいとかはべつにして……ここには、多くの人が知っていて俺が知らないリアルがたくさんある。異なる常識、異なる価値観、様々な人生模様……物語の原石が埋まる、大鉱脈だいこうみゃくじゃないか。


 たった数日の内に、俺はここで暮らしてみたいと真剣に考えるようになっていた。

 なんとしてでもこっちの大学に受かって、ここで生活しながら小説を書きたい。

 面接では沸き立つような街と執筆への想いを素直に伝えて、二泊三日の初東京は終わった。


 10月頭。

 最初に出願した大学で、合格が決まった。

 全国的に有名な、稲田いねだ大学だ。普通に入ろうとすると、そうとう難しいらしい。

 これから受験の山場に向かう級友たちからは大変やっかまれたが、「ま、芸能人枠なんで」と開き直って嫉妬しっとの炎を回避した。それでも恨みがましい目を向けてくるやつには「俺、学費も下宿げしゅく代も自分で払うんで」と言って遠ざけた。

 大学の合格祝いに、親父とお袋は車の教習代を出してくれた。11月からは学校ですることもなかったので、新作を書きながら、みんなより一足早く免許を取りに行った。

 志築はこの頃から、長くなった髪を一つ結びにして登校するようになった。


 11月。レッドゲームシリーズの最終作となる、『レッドゲーム~ZERO~』が刊行された。

 高2の頃からレッドゲーム、レッドゲームⅡ、レッドゲームⅢと続くシリーズ4作目になる。

 前3作はすべて文庫書き下ろしだったが、最終作の『ZERO』だけは、単行本で出すことを許してもらえた。単行本を出した碇と比べられるという目論見もくろみもあってのことだというが、それでも編集長と、猛烈プッシュしてくれたであろう白戸さんには感謝に堪えない。


 12月。碇の『熱砂の王』が、下半期しもはんき直木賞なおきしょうにノミネートされた。

 直木賞というのは、年に2回大賞が決まる、娯楽小説の中で最高峰の賞だ。

 新人の作品がノミネートされることはほとんどなく、小説界を盛り上げ続けてきたベテランたちの中の傑作が、わずかにノミネートされる。『あがりの賞』と言われるぐらいの名誉ある賞だ。それに、『熱砂の王』はデビュー作にもかかわらず、ノミネートされた。

 異例もいいところだが、俺には納得があった。単純に、碇が規格外きかくがいだからだ。

 俺だって、高1の秋から少しずつ読書を習慣づけて、直木賞の受賞作だって読んできている。

 直木賞に外れなし……それは俺も実感を持って言い切るところだ。だが、碇の『熱砂の王』はそれらに充分匹敵する面白さと風格を備えていた。ノミネートは納得。受賞だって充分可能性がある。俺がそう言うと、白戸さんも同意見だと言った。


 年が明けて1月。

 志築と碇は、センター試験に向かった。

 二人とも、出来はよかったらしい。その結果を送るだけで、滑り止めの大学は合格だという。

 ただ、二人とも国立大学が第一志望なので、試験は1ヶ月後。

 俺は二人を邪魔しないように、家で新作の執筆にいそしんだ。


 センター試験が終わって間もなく、直木賞の発表があった。

 選ばれるのは基本的に1作のみだ。残念ながら、碇の『熱砂の王』は落選した。


 ある審査員のコメントは、

「受賞しても充分なまでの実力と鋭気えいきにあふれた作品。受賞作とも非常に甲乙こうおつつけがたいが、ここでわずかな満足も得てしてほしくないという祈りを込めて、今回は受賞作に一歩及ばずとさせていただく。これからの活躍が末恐すえおそろしい作家である」


 碇は、落選を気にしている風はなかった。

 直木賞なら受賞作もノミネート作も「全部読んでいる」という碇は、自分の本がノミネートされたことで、充分夢見心地ゆめみごこちだったようだ。尊敬してやまない大作家たちの作品と、肩を並べられた……それでいいのだと。俺も、碇が最初の作品で何もかも上手くいくのは嫌だったので、「落選は順当。人の作品をつまらないつまらないとお守りにしないと書けなかった作品には、受賞の資格なし」と言っておいた。碇はごめん、ごめんと苦笑いしながら謝っていた。


 3月。

 俺が二度先輩たちを見送ったように、俺たちも、後輩たちから見送られて卒業した。

 卒業式は3月の頭なので、国立大学の合格発表はその数日後だ。

 俺は自分のことでもないのに、落ち着かない気持ちで過ごした。

 碇はともかく、志築には受かってほしかった。

 あのゆるまずたゆまずな努力家が、二度も「まさか」で第一志望を落ちるなんてことは、起きてほしくなかった。あいつが淡々とこなす、工夫と根性を費やした努力がむくわれてほしかった。そんな世界であってほしいと願っていた。


 志築が受けたのは、隣県りんけんの国立大学の法学部だ。

 偏差値的には、碇が受ける地元の国立大よりもかなり高いらしい。

 それでも、模擬試験の判定やセンター試験の速報値では充分合格圏だというのだが……


 ……でもそれで、北高は落ちてるんだもんなぁ。

 大丈夫かな。志築、不幸体質とかじゃないかな。


 合格発表の日の朝、俺は目をつぶって祈っていた。


 神よ――

 俺の合格発表のときも、碇の直木賞のときも、祈らなかった神よ。


 どうか志築に、志望校を合格させてやってください……!


 おねがいします!


 午前9時3分。スマホが震える。


 志築から、SNS通話がかかってきている。


 きた。

 これは……どっちだ……?


 俺はフリックして応答し、スマホを耳に当てた。



「受かった!」



 俺はスマホを取り落とし、そのまま平服していた。

 おめでとうを言うのも忘れていた。



 その日、俺たちはデートをした。


 デートと言っても、バス停で待ち合わせ、バスに揺られて国道沿いのお好み焼き屋に行き、昼飯を食べただけだ。


 お好み焼き屋はこぢんまりとしていて、俺たちはテーブル席に座った。


 志築は、いつもは材料だけもらって自分で焼くのだという。

 しかし今日はおしゃれをしてきているので、お店の人に焼いてもらうことにした。


 ……たしかに、普段よりもたたずまいがお嬢様ぜんとしている。

 俺の正確無比な志築チェッカーによれば、いつもの1.3倍増しでおすましだ。


 何も知らない人が見たら、志築麻衣を「おしとやかな娘さん」だと勘違いするだろう。

 たぶん、そういう擬態ぎたいも完璧にできるが、志築の本質は他のところにあると俺は思う。志築は真面目で善性ぜんせいの塊だが、その中心部には好奇心旺盛おうせいな猫が居座っているのだ。そうでないと、デスバ島を読んだり広報部に入ったりしない。


 しかし今日、志築はやけに静かだった。

 借りてきた猫のようにおすまししている志築を見て、俺は言った。


「……もしかして、緊張してる?」


「してない」


「俺はめちゃくちゃ緊張してるんだが」


「一緒にお好み焼きを食べるだけでしょ」


「明日にはうわさになってるぞ」


「言わせておけばいいの。どっちも、宮国を離れるんだから」


 いつか屋上で志築が教えてくれたお好み焼き屋は、確かに絶品だった。

 値段でも味でも、我が家が絶賛した四つ角のお好み焼き屋に、勝ち目はなかった。


 世界は広い。


 いいものを書くために知らなければならないことが、たくさんある。

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