第35話 すごいものができた日

 ついに、高校生活も3年目になった。


 最終学年でも俺は、志築しづきと一緒のクラスだった。

 3年連続同じクラス。

 1年目が8ぶんの1、2年目が文理選択後なので4ぶんの1、3年目も4ぶんの1。

 確率の計算だけはゲームで慣れているのでできる。128ぶんの1だ。俺が志築と3年連続になる確率は1%未満。もう、何か不思議な力が働いているとしか思えない。もしかすると、俺が志築にれていることは学校側も知っていて、作家・阿久津あくつじん先生のご機嫌取りのために同じクラスにしているとか……だったら闇が深すぎる。西鳳せいほうの闇。

 しかし、幸運だけとは言えない。なぜか碇まで3年間ついてきた。おいおいおい……


 出席番号順のお馴染みの配置で、俺は後ろの碇に言った。


「よかったな。また、志築と一緒のクラスだぞ」

「うん。それに、阿久津くんと同じクラスでよかったよ……」

「気持ち悪いこと言うなよ……」

「本当だよ……」


 さっさと席替えしてくれ。

 こいつに背後を取られているとか、生きた心地がしない。


 こいつは、俺が英語の授業で突っ伏している姿を見るだけで、俺を主人公にして小説を書くだろう。しかも、俺よりも俺のことがよくわかっている小説を。私小説ししょうせつ風にも、純文学じゅんぶんがく風にも、娯楽小説風にも書き分けて。こいつの眼は、見たものから物語を掘り出す魔眼まがんなのだ。そして、どう調理するべきかの展望をえがく頭があり、それを実現する手腕しゅわんを持っている。


 ……ネタの鮮度せんどはともかく、引き出しの広さと技の深さでは、俺はこいつに一生勝てない気がする。こいつと仲が深まりこいつの異常性を目の当たりにするほど十回戦えば十回負ける、それぐらいに地力じりきの差を感じる。


 ただ一つ弱点があるとすれば……

 こいつは、繊細せんさいだ。たぶん、あまりよくない意味で。


 俺ほどバカじゃないから、俺ほど図太くなれないのだ。

 だから、碇がデビュー用の1冊を仕上げるために、俺はひとつだけ助け船を出した。

 それは俺にとって、とても悔しくて恥ずかしいことだったが、効果はあった。


 だから4月中旬、碇がついに一冊を仕上げたとき、俺も喜んだ。

 放課後、二人きりの部室で、碇は自前のPCを前に震えていた。


「できた……」


「……ついにか?」


「うん……できた……できた。できたんだ」


 武士の情けで視線を合わせようとはしないが、俺も、つい笑いがこみ上げる。


「阿久津くん。できた。本当にできたよ。本になるんだ。僕の小説が!」


「ああ。よく頑張った。すげえよ。やったじゃねえか」


「うん……! 僕……小説家になれるんだ。僕の本が、本屋に並ぶんだ!」


「その通りだ。きっと大人気だ」


「阿久津くん、ありがとう。阿久津くんのおかげで、最後まで書けたよ」


「そうだろうな」


「うん……本当に……阿久津くんが『密告フェス』と『超かくれんぼ』を押しつけて、こんなのでも本になるんだ、自信がなくなったらこれを読めって言ってくれたから……」


 気に入ってくれてた読者の方々には本当に申し訳ないが、そういうことだ。


「つまらなかった。何度読んでも、びっくりするほどつまらなかった。これなら、僕が今書いてる話の方が、絶対に面白いと思った。これでもちょっとは売れるんだから、僕の本が出れば少なくとももっと売れると思った……だから……だから最後まで書けた……!」


「今日だけは、その暴言ぼうげんを許す」


「阿久津くん、こんなに、!」


「やっぱり許さねえ!」


 俺は碇に飛びかかり、羽交はがめにした。

 二人の大笑いは、すぐに泣き笑いに変わった。


 そうだ、志築、広報部にいる志築も呼ぼう!

 完成祝いだ。碇、今日の主役はお前だ――!


 とんでもないものが出来上がった。


 連作短編集『熱砂ねっさの王』。

 去年発行された部誌掲載作品『熱砂の王』がトップバッター。

 さらに、主人公デミスを共通させる形で、4つの短編ミステリが続く。

 それらはやはり千年前の世界で、エジプト、インド、中国、ヨーロッパの各地で「価値観が異なるゆえに起きる、不可解な事件」というミステリに仕上がっている。

 教皇きょうこうの命を受けて遠征隊として出発し、砂漠の地図を王の母国に持ち帰った主人公デミスは、その後、故郷であるヨーロッパには戻らず、広大な世界を旅する放浪者ほうろうしゃとなった設定だ。


 書き加えられた4作の真相の意外性や雰囲気も、『熱砂の王』に勝るとも劣らない。

 5つの短編すべてにお茶をにごすような作品がなく、一つも外れがない。

 そして、1遍ごとに読者にとってお馴染みとなっていく主人公デミスが心地よい。行く先々で善意や悪意から侮られるデミスだが、読者は彼が様々な極限状態を乗り越え、人間が持つ様々な想いに触れ、一人の冒険家として高まっていっていることを知っている。冒頭『熱砂の王』では王たちを利用しようと悪心おしんを抱き、不可解な事態に恐慌きょうこうすらきたしていた彼だが、2遍目、3遍目として進むにつれて、彼の隙はなくなり、余裕が生まれ、人々に自然と愛され、どんな場所でも生きていけると思わせる静かなるヒーローの貫禄かんろくが生まれてくる。そして最後の5遍目。彼は出発の地である欧州おうしゅうへと戻り――死んだはずの遠征隊員として、教皇と対峙たいじする。


 俺と志築は目を輝かせ、夢中になってPCの画面をスクロールした。

 口々に犯人や真相の予想を言いながら、これが手がかりだとか、この可能性もあるとか言いながら、ページをめくり、そして碇が記したスケールちがいの真相に圧倒され、歓声をあげた。


 俺たちの興奮は、あの志築がジュースを倒すほどだ。


 碇が身をていして、机の上にあったぼろぼろの『密告フェス』と『超かくれんぼ』をかばう。


 俺は間一髪、碇の原稿が入ったPCを持ち上げている。


 早く拭け、ごめーん、碇おまえ脱げ、えぇ……心の準備が……――


 騒ぎを聞きつけた広報部員が「あのー少しお静かに……」と扉を開けて目をむく。


「え、志築部長!?」


「いいところに来た! 撮って! 記念撮影!」


 しっかり者の部長の無邪気な変貌、困惑する広報部員に志築はスマホを握らせる。


「し、し、志築部長のスマホ……伝説のアイテムでは……?」


「そういうのいいから! ほら、早く撮って!」


「はい。ではよくわかりませんが、お三方さんかた、もっともっと真ん中に集まって」


 この切り替えの早さ。さすが志築率いる広報部だ。よく鍛えられている。


「真ん中は、志築さんだよ」


「なんで私!? 碇くんでしょ!」


「ううん。僕たちは、そういう並びなんだ」


「ええっ!?」


「志築、ちょっと失礼」


「ぼ、僕も……失礼します……」


 俺と碇は、志築の肩にしがみつく。

 志築は嫌がるそぶりもなく、中心に碇のPCを置いてカメラに向ける。


「なんだかわかりませんけど、はい、チーズ……! さらに、連写あああ……!」


 撮れたのは、最高の写真だった。

 志築は編集ソフトで手書きの日付を入れて、LINEで俺たちに共有した。


 写真のタイトルは『すごいものができた日』。

 その日は、何でもない一日になるはずだった。

 だが、俺と、碇と、志築の三人には、特別な日として記憶に残り続けることになった。


 志築はこの日から再び、髪を伸ばしはじめた。

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