第33話 熱砂の王

 7月。

 文化部は世代交代が行われ、足立あだち部長、掛川かけがわ先輩、狭山さやま先輩が引退した。

 たった2名しかいない文芸部の2年生――俺といかりは、それぞれ部長と副部長になった。


 部長になっても、ただの部員だった頃と変わったことはない。

 1年生は、どういう気の迷いか7人もいるので、読書会の準備のローテーションも去年より楽だ。部員が多くなったことで、部室は主に歓談かんだんの場、読書は主に図書館でという形になった。少数の「書く」部員たち――というか俺と碇は、集中して書く時は放課後の教室を使っている。絵を描く人間は話しながらでも描けるらしいが、小説ではそうはいかないからだ。


 11月に刊行予定の5作目『レッドゲームⅡ』の締め切りは来月に迫っている。

 もう初稿が書き上がる段階だが、正直言って手応えは前作『レッドゲーム』よりも弱い。


 Ⅱと銘打めいうって、今度はまったく別角度からの物語、主催者側の暗闘あんとう……という試みでOKが出た5作目だが、どうもネチネチしていて、前作のような爽快感そうかいかんがない気がする。とはいえ、今からプロットや草案そうあんに戻って書き直す時間はない。


「……書けねー……」


 俺はPCから目を離し、伸びをする。


 作家ごっこの書けないごっこ、ではない。

 本当にいいものが書けないから、へこんでいるのだ。


 書き始めてみると、筆の進みがよくない作品。苦労して書いても、これはたぶんウケが悪いと脳が警鐘けいしょうを鳴らす執筆作業。こういうときは、本当につらい。ただ白戸しらとさんは、それは成長の証で、真の作家業が始まっているだけだと言う。実際、『密告フェス』や『超かくれんぼ』を書いていた頃の俺は、今なら絶対によしとしない原稿をノリノリで書いていた。


 ……先月以降、執筆のペースが落ちている……

 間違いなく、あの作品に影響されている。

 あれに張り合いたいと思ってしまって、自分の中の理想が上がってしまっている。

 俺は持ち歩くようになった部誌を取り出して、あいつの作品に目を通す。


――――――


 『熱砂ねっさの王』 いかり哲史郎てつしろう


 物語の冒頭は、現代のシーンから始まる。

 中東ちゅうとうの砂漠で見つかった白骨はっこつから、千年前の王族を示す装飾品が発見される。

 歴史界、宗教界は激震する。

 これでは、今までのすべての教義が覆る――そんな騒動が簡潔かんけつえがかれる。


 すぐに場面は変わり、千年前の中東。

 ヨーロッパから教皇きょうこう密命みつめいを帯びた遠征隊えんせいたいが、ラクダに乗って砂漠を進んでいる。

 彼らは、中東のある国が砂漠に隠した宝物庫ほうもつこ――天然の岩塩窟がんえんくつのありかを探している。


 当時の塩というのは、非常に高値で取り引きされていたらしい。

 岩塩窟はその国にとってまさに宝物庫で、経済を回す生命線だった。


 しかしすぐに未曾有の砂嵐が一隊を襲い、主人公・デミスを残して遠征隊は全滅する。


 デミスも全身に熱砂の切り傷を負い、砂漠に投げ出され、死を覚悟する。

 神の名をとなえ、任務を果たせず死ぬ許しをうていたところ、そこに現地の王と従者じゅうしゃの一隊が通りかかる。デミスは手当と水をほどこされ、一命を取り留める。

 デミスは驚く。命を救ってくれた王こそ、自分たちが探し出し、奪い取ろうとしていた宝物庫のあるじであった。王と3人の従者は、何も知らずに他国が放った刺客を助けてしまったのだ。


 ここからは、化かし合いのパートになる。

 デミスは、自らが砂漠の宝物庫を探していた刺客でないように振る舞う。今際の際の懺悔ざんげを聞かれていなかったか疑心暗鬼に陥り、確かめようとする。砂漠の王は、デミスのうわごとを聞いていた様子はない。自らも先ほどの砂嵐で1人の仲間を失い、悲しみに暮れていることを語る。すべてを削り取った砂嵐は、砂漠の民でも百年に一度というほどの天災だったらしい。デミスは、宝物庫は無事であるかどうかが気になる。しかし、直接尋ねるわけにはいかない。


「王よ。なぜあなたのような方が自ら、この危険な砂漠を進んでいるのか」

「宝への道は、王しか知らぬ。我が国は、その宝によって支えられている。わしは、これからその宝のいくらかを手に入れ、我が国に持ち帰るところだ」


 デミスは、神の奇跡を感じた。

 王の一隊は、砂漠の宝物庫――岩塩窟に、交易品こうえきひんである塩を取りにいく最中だったのだ。


 たしかに王と従者たちは、少人数のわりに連れているラクダの数は多かった。先ほどの砂嵐でラクダと荷物の半数を失ったと言ってこれだから、塩を大量に持ち帰る算段だったのだろう。デミスは、黄金にまさる価値で取り引きされている塩が大量にあることを確信する。デミスは命を救われた礼をしたいと同行を申し出て、王はあっさりと許可する。


(砂漠の民は、人を疑うということを知らぬらしい……)


 デミスはラクダに乗り、王と3人の従者とともに、風景の変わらない砂漠の旅に加わる。

 王とその従者たちは、デミスに友好的に接する。

 貴重な水を分け与え、ヨーロッパでの生活や詩を尋ねる。砂漠で生き残るための知恵と、夜の砂漠に満ちる悲しみを伝える歌を聞かせる。

 やがて、デミスの心の中には迷いが発生する。


(私はこの命の恩人たちを、裏切ってもいいのだろうか?)


 砂漠の民が隠す宝物庫を見つけよというのは、教皇――神の命令だ。

 だが神は同時に、嘘をつかず誠実せいじつに生きよ、正しき人を裏切るなとも説いている。


(私は、どうすればいいのだ――)


 一隊は暑さに耐えて広大な砂漠を進む。

 日が落ち始めたとき、王が地面の一点をにらんでラクダを止めた。


 砂漠の砂に、わずかに石灰質せっかいしつの砂が混じっている。

 王と従者長は、眉間みけんにしわを寄せてひそひそと語り合う。


「……おかしい。まだ半刻早い」

「……ということはやはり、我々の中に……」


 王は重々しくうなずくと、言った。


「今日はここで休む。夜営やえいの準備をせよ」


 夜営はつつがなく行われた。

 しかし、王の顔にはどこかかげりがただよっていた。


 そして、最初の夜営が明けると――従者の1人が、死んでいた。

 熱砂を背に、胸を刃物でえぐられて。


 どう見ても殺人だ。

 デミスは慌てる。自分ではない、自分はやっていない、信じてほしい……

 王は「私は、友を信じよう」とデミスを許す。

 だが彼らは、犯人捜しをしようとしない。

 遺体を砂漠に放置し、宝物庫への道を進むという。


 デミスは気が気でない。なぜ、従者は殺されなければならなかった? そして、自分以外の3人の中に殺人者がいるのだ。果たしてこの一隊と旅を共にして、無事に済むのか?


 デミスが感じた不吉は、的中する。

 次の夜、従者がまた1人殺される。

 大地に背を預け、刃物で胸を抉られて。


 デミスは恐慌を起こしそうになる。意味がわからない。

 そして王か従者のどちらかが犯人なのだ。しかしそれは、王や従者からしても同じ。そして二人からすれば、最も怪しいのは、異邦人いほうじんであり途中から合流した自分だろう。


 だが当然、自分には手を下した記憶がない。まさか、夜の間に神が乗り移って、そうさせているのか。馬鹿な。俺がこの心優しき人々を殺すわけがない。第一、どうすれば夜の間に従者をテントの外に連れ出し、悲鳴も上げさせずに殺すことができるのだ?


 2人目の犠牲者は、砂漠の真ん中に放置されたまま、一隊は宝物庫への道をゆく。

 先を行く王と従者……二人のどちらかが犯人だ。そして犯人でない方は、きっと俺のことを犯人だと思っている。どうすればいい。どうすれば誤解を解ける?


 しかし、デミスの心配は杞憂きゆうに終わった。

 次の夜明けに、最後の従者が死体で見つかるからだ。

 やはり砂漠に背を這わせ、胸を抉られて。


 恐慌きょうこうをきたしたデミスは、無言のまま、王のラクダについていく。


 自分以外に王しかいない以上、犯人は王だ。

 なぜだ。なぜ王は、忠臣ちゅうしんたちを殺した。王は彼らを愛していたし、彼らも王を愛していた。道中で彼らは、王と家臣という関係をこえた友情をのぞかせていた。

 王が彼らを殺す理由も、彼らが黙って王に殺される理由も、どこにも見当たらない……


 もしかして俺は、あの砂嵐で死んだのではないか。

 ずっと、死後の世界で不思議な夢を見続けているだけではないのか。


 無言で歩き続けていた矢先、ついに二人は彼方に岩塩窟の姿を見る。

 王は安堵の息を漏らし、言う。


「友よ。最後の夜営をしよう」


 砂漠の夜は冷える。王とデミスは、たき火を挟んで語り合う。

 おびえた目を向けるデミスに、王は苦しげな表情で語る。


「友よ。道になるか。道をゆくか。わしは未だに、迷っている」


 王の言葉に、デミスは困惑する。

 狂王きょうおうの言葉に、耳を貸してはならない。


「わしがそなたを信じることができるならば、託すものは一つ」


 王は、王家の紋章が入ったナイフを取り出す。


「わしがそなたを信じることができなければ、奪うものは一つ」


 王はナイフを、たき火の側に突き立てる。

 そこは、手を伸ばせば二人のどちらもがナイフを手にできる位置だった。


「宝物庫への聖なる道は、我らの血で守りたい。友よ、わしを信じさせてくれ」


 宝物庫への聖なる道――我らの血――?

 その言葉で、デミスはすべてを悟る。


 不可解な殺人。

 王の言葉の意味。



(そうか。王は王だからこそ、彼らを殺すしかなかったのだ)



 殺人の目的は――

 王はこの砂漠に、岩塩窟への目印を残していたのだ。


 王しか知らない道というのは、白骨化した遺体を目印とする道程どうていだったのだろう。

 だが、もともとあった目印の遺体が、百年に一度という砂嵐で破壊されてしまった。

 王は、国を支える岩塩窟への新たな目印を置く「義務」に従ったのだ。

 だから王は、国を支える秘宝――岩塩への道しるべを残すために、仲間を殺して砂漠に放置していたのだ。


「砂漠に描く星の地図は、星だけでは成らぬ。星をどう辿るかを知る者がいて、初めて地図を成す。つまり、わしかそなたのどちらかが生き残り、この地図を我が国に持ち帰らねばならぬ。無論、この地図が他国――そなたの故国にもたらされれば、我が国は滅亡しよう。友よ、決断はそなたに任せたい」


 王はすべての遺体を結ぶ方角、進む時間、かかる歩数を、デミスに語る。

 デミスは黙ってそれを聞いていた。

 すべてを聞き終えたとき、デミスは口を開く。


「王よ。あなたは、ただ黙々と、私の命を奪えばよかった」


 王は首をふる。


「友よ。気を悪くしないでほしい。砂漠の星となるのは、我が国を支える偉大いだいなる仕事なのだ。可能ならば、この大役は我らの血でつなぎたい。砂漠の民として、慈悲無き砂漠に、わしは死して人の心でありたいのだ。いや――」


 王は視線を下げ、まきに火をくべる。


「友よ、君だけに話そう。わしは、皆と共にきたいのだ。皆の前では隠していたが、わしに王などと呼ばれる資格はない。皆、かけがえのない友であった。国のためとはいえ、この手で彼らを殺め、1人生き残り、名君めいくんなどと呼ばれることに、この心が耐えられぬ。だから友よ。わしは君をこの世に残す友として、信じたい。信じさせてほしいのだ」


 デミスは首を振る。


「王よ、あなたは間違っている。あなたは紛れもなく、王だ」


 デミスはナイフを握る。

 そして、刃を向けた先は――



 場面は現代に戻る。

 日本の高校生が、世界史の教科書を読んでいる。

 チャイムが鳴ると、彼は友人に誘われて、昼食に出かけていく。


 机の上には、開きっぱなしの教科書が残される。

 そこにある、たった一行だけの記述。


 中東の王国。千年以上前から、塩による交易で栄え、――完。


――――――


「書けるかよ……」


 どういう頭してんだ、これ……

 何度読んでも、打ちのめされる。打ちひしがれる。


 千年後の教科書に「塩による交易で栄え、現在に至る」とあるのだから、岩塩窟への地図は失われなかったのだ。そして冒頭、白骨から王家の証が見つかったというのだから……最後の死者は、デミスではなく王であることを示している。つまりデミスは、王を殺し、そして岩塩窟までの遺体を結ぶ道のりを、王の母国へ持ち帰ったのだ。そして、故国には伝えなかった。


 何度読んでも、高校生が書く舞台設定じゃないだろ……


 そして不可解な連続殺人の動機は「国のために、砂漠の地図とするため」。

 完全に、現代人や日本人の価値観の外だ。殺人は恨み辛みや利害関係で行われるという原則を逆手にとって、盲点もうてんを突いている。

 そして、友情落としの大河たいが浪漫ろまんつなぎでフィニッシュ。


 俺はこれを読んだ後、世界史や日本史の教科書を開くのに恐怖を覚えた。


 つまらない記述のお手本だと思っていた教科書が、実はすべて、この『熱砂の王』のような背景を持っているんじゃないか――そういう、ぶよぶよした、得体の知れない生き物に思えたからだ。


 ちくしょう。ちくしょうめ。

 こんなの、一生書ける気がしねえ。

 どういう生き方したらこういうのが書けるようになるのか、見当すらつかねえ。

『高校生が書く小説』って、高校生が主人公で、舞台は学校とその周辺で、すれ違いとか友情とか嫉妬で、やられたからやり返すで……そういう話だろう。


 これ、マジで小説じゃん。どこに出しても恥ずかしくない、誰に読ませても恥ずかしくない、ばちばちの本物じゃん。高校生が書いたからとか、若者の文化だからとか、最近の流行だからとか、そういう前置きが一切いらない、親が読んでも先生が読んでも前置きなしで楽しめる、小説じゃん。雰囲気があって、展開が気になって、真相が驚愕きょうがくで、余韻よいんたっぷりの。読んだ後には世の中の見方がちょっと変わってしまうような、小説だ。


 部室で初めて読んだ時は、衝撃があるだけで、そのすごさがやっぱりわかっていなかった。読み返すほど、自分とはちがう空域を飛んでいることが、はっきり見えてくる。俺が一生懸命飛んでいるところよりも、ずっとずっと上を飛んでいる。


 こんなに、こんなにくやしいと思わなかった。

 碇なら、すごいものを書くだろうとは思っていた。

 だけどさすがの碇も、初めての執筆で、俺を軽々と超えていくとは思っていなかった。

 どれだけ本読みでも、高校生らしい荒削あらけずりさを見せると思っていた。

 俺と同じ、恥をさらしながらきたえ続ける道を、一緒に歩んでくれると思っていた。


 全然ちがう。読書感想文のときと同じだ。住んでる世界がちがう。俺の作品が年齢比での佳作かさくにとどまるのに対して、あいつは無差別級で傑作けっさくを残す。


 中学生なのにけっこうすごい、高校生なのにけっこうすごい、それが俺。

 それに対して碇は、子供とか大人とか抜きにして、滅茶苦茶すごいのだ。


 碇に特別な執筆の才能があるのかは、わからない。あいつぐらい、良質な物語に触れ続けていれば、もしかしたら手が届くものなのかもしれない。

 だがとにかく、もうだ。

 17歳でそこまで読みここまで書ける、これは、大人ですら簡単に覆せるものではないだろう。同級生に打ちのめされたから持ち上げているのではない。俺が読むようになったプロの小説のかなりを、確実に超えている……そう思えるからだ。それは、白戸しらとさんの食いつき方でも証明されている。白戸さんと碇は草案そうあん段階から組んで1冊の本を出す予定らしい。碇がよほど下手を踏まない限り、その本は世に出るだろう。高校生作家は、間違いなく誕生する。


 碇の躍進やくしんも、最高の相棒を手に入れた白戸さんも、当然祝ってやりたいが……


 ……元中学生作家・阿久津仁と同じ高校で同じ文芸部所属。


 当然、比べっこが行われて、旗揚げゲームが始まるだろう。阿久津対碇。


 きっついなぁ……


 仕方がない。受け入れるしかない。あいつは本物だ。

 毎日飯を食ったり寝たりするのと同じぐらい、小説が身近にあった人間なんだ。

 俺は頑張って耐えながら小説を読んで、急いで小説というものを勉強してるぐらい、偽物だ。

 同じサバンナにいてもライオンとシマウマぐらい、そもそも生物としてのちがいが……


「あのー……」


「ぬおっ!?」


 俺は急いで部誌を閉じて机に置いた。

 声がした方を見ると、教室の入り口から、志築しづきが顔を覗かせていた。


「お仕事中……?」


「いや、そういうわけじゃない」


「忙しい? ……というか、大丈夫?」


 心配性なキャラではない志築に、心配されてしまった。俺はそんなに、追い詰められた顔をしていたのだろうか。


「大丈夫だ。部誌に書いた話の、設定を確認してただけ」


 さすがに新作とかぶってたらまずいからな。案外細かい設定って忘れたりするんだよ、ここだけの話……俺だけかもしれないけど、あっはっは……と笑ってごまかす。


 碇の作品を読んでへこんでいたなんて、志築には絶対に言いたくない。


「……なるほど。レッドゲームの番外編だったもんね」


「で、なにか用か?」


 志築は教室の出入り口から顔を覗かせたまま、近づいてこない。


「広報誌に載せる新部長の挨拶あいさつ。時間があるなら聞こうかなって。部室、いなかったから」


「ああ……」


 そういえば、そんなラッキーイベントがあるんだった。

 各部の新部長は、広報誌に顔写真つきで一年間の抱負ほうふが載る。去年、足立先輩が載ったときも、当たり障りのないことを載せていた。だが今年は、そのインタビューにやってくるのが芸能人もかくやというほどの美少女……新たな広報部部長・志築麻衣なのだ。女子はともかく、男子は志築さんと一対一でお話ができて、自身について尋ねられるというイベントに浮き足立っている……そんな噂は広まっていた。


 参った。こんな精神状態で話せるか。

 愚痴ぐちしか言えず、男を下げること間違いなし。

 第一、今、みんなが聞きたい言葉は、俺の言葉じゃなくて碇の言葉だろうに……


「今、話せそう?」


 志築は入り口に立ったまま聞く。


 どうしよう。


 白戸さんの言葉が蘇る。

 かっこつけようとする道は、険しい道。歯を食いしばって耐える道。


「志築、小説書いたことあるか?」


「ない」


「書いてみたいと思ったことは?」


「小学校の頃はあるけど……結局書かなかったから。そんなもんよ」


「よし、ではチャンスをやる」


「……はい?」


「新文芸部部長の一言、任せた」


「はあ……? 任せたって」


「俺が言いそうなこと、考えて書いといてくれ。一言でいいから」


「……あのねえ。あんたが言いそうなことなんて……」


「だいたい予想つくだろ。俺、単純だし」


 志築は、ほほを膨らませてわずかに口をとがらせる。


「私、無責任なことしたくないんだけど」


「じゃあ、俺に言ってほしい言葉でもいい」


「あんたに言ってほしいこと……」


 すると志築は、少し考えるそぶりを見せた。


「……わかった」


「え? いいの?」


「今回だけだからね」


 当然、秘密よ? と念を押すと、志築は教室の入り口から消えた。

 すたすたと廊下を歩いていく足音が聞こえる。

 俺は呆気あっけにとられていた。

 まさか、聞き入れてくれるなんて……



 後日、新部長たちの一言が載った学校広報が配られた。

 男子も女子も饒舌な決意表明が並ぶ中、俺の一言はクラスを沸かせた。


 文芸部・新部長 阿久津仁――


『碇には負けません』

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