第31話 申し子
4月、俺は2年生になった。
一応は進学校(大学を目指すための高校)という触れ込みの
おれは中学以降の数学がまったく無理なので、文系を選択した。
そして分かれた文系4クラス、理系4クラス。
俺はここでも再び
今年、俺たちは17歳になる。
17歳の志築を毎日
そして新学年が始まってから間もなく、文芸部に新入生たちがやってきた。
なんと、新入部員の数は7人。それら後輩から、俺は自身でも忘れていたヒーローの扱いを受けた。元中学生たちにとっては、俺の作品の評判はあまり悪くないらしい。俺と先輩たちは苦笑いしていた。碇は、半笑いだ。身に染みているのだろう。そう、これが俺とお前の、現実での立ち位置のちがいだ。
5月半ば。ゴールデンウィークも終わった頃に、文庫書き下ろしの4作目『レッドゲーム』と『デスバトルアイランド~2名生存~』の文庫版が、全国の書店で発売された。
俺も白戸さんも、断頭台に立つ気分で、発売から最初の一週間を過ごした。
次回作を書かせてもらえるかどうかは、おおむねこの一週間で決まる。
『密告フェス』や『超かくれんぼ』を買ってくれた人のほとんどは、『レッドゲーム』を買ってくれないだろう。だから最初の『デスバ
碇。書き出すのも、書いてる途中も、全然怖くなんてないんだぞ。
全然仲良くない、世代も性別も生活も属性もちがう人に読んでもらうときが、めちゃくちゃ怖いんだ。
ちょうど一週間が経った頃、白戸さんからSNS通話がかかってきた。
「
「はい。言ってください」
「……君は、
「……はい」
「首の皮一枚、繋がったよ!」
全身から力が抜けるというのは、こういうことだろう。
俺はスマホを取り落とし、自室の床に
レッドゲームは売上げ・評判ともに、上々。
もちろん、感想が
表紙のデザインはもちろん、デスバ島もレッドゲームも、
文庫版デスバ島、そしてレッドゲームの売れ行きに、阿久津家には少しの明るさが戻った。
どちらも文庫だから、
だが大事なのは、デスバ島とレッドゲームだけ見れば、俺はまだ可能性のある作家に見えるということだ。学校では、1年のときに同じクラスだった連中から、廊下ですれ違ったときに「阿久津、レッドゲーム、よかったぞ」と言ってもらえた。
買ってもらえる、読んでもらえる……そのことは、当然のことではない。
本を買うにはお金がかかり、読むには時間とエネルギーを使う。
特に二作続けて
6月。二度目の文化祭が迫ってくる。
本番の3日前、俺と足立部長は二人で、
4つ連結で作っていた長机は半分の長さに折りたたまれていて、部屋の半分をダンボールが埋めている。今年刷り上がった部誌は、小説を書いたのが7人もいたことから、かなり厚い。それが数百部もの無料配布分となると、それだけで壁のような物量となる。
小説を書いたのは、足立部長、
足立先輩と俺は、刷り上がった部誌をめくっていた。
新刊特有の紙の匂い。表紙は固い紙で、ナントカ加工が施されてツルツルしている。さらに、銀色の
だが、本ができたという達成感や
ある物語を、読み始めたことで。
「…………」
「…………」
雨が地面を叩く音が、俺たちを取り囲んでいる。
「……先輩、読みました?」
「……うん」
俺は立って、部室のドアの鍵を閉める。
足立先輩がひどく落ち込んでいることは、一目見てわかった。
「まいるなぁ……まいるなぁ……」
足立先輩は部誌を開いたまま、肩を落としてそう
「…………」
「喜ばなくちゃいけないんだろうけど……さすがに……きっついなぁ……」
先輩が持っている部誌は、碇の小説の最後のページで、折り目がつくほど開かれている。
ページの左右を持つ指先が震えている。
「彼、初めて書いたんだよね……? 実は中学の頃書いてたとか……ない?」
「俺が知る限り、ないです。……
「ああ、なんかもう、ね。悔しいというか、いや、馬鹿らしくなってくるというか、こんなの、一生かかってもたぶん書けないというか」
「先輩。俺が悔しいのは、俺の作品を読んでも先輩がそこまで落ち込まないのに、碇の作品を読んだらめっちゃ落ち込んでることです」
「あ……それは……ごめん……」
人のいい足立先輩は、素直に謝ってしまう。
ちがう。そうじゃない。俺たちは今、怒るしかないのだ。
「でも先輩、俺だって、足立先輩の作品を読んでもそこまでへこみません。いや、去年のあれも今年のもすごいなとは思いますけど。でも、碇のにへこまされる感覚とはかなりちがいます」
「阿久津くん……君は……」
「俺も足立先輩も、碇の足下にも及ばない。すごすぎる。ちくしょう。むかつく。なんでだよ。この場では、それでよくないですか」
「……すまない、阿久津くん……」
何年も短距離走を頑張ってきて、100メートルを11秒台で走れる人がいたとして。
それが、他のスポーツから転向してきたやつが、初めてでいきなり10秒台を出した。
俺たちが味わっているのは、たぶんそんな感じだ。
実際、俺が書いた短編も、足立先輩が書いた短編も、勝負になっていない。
碇が書いた『
十字軍手前、中世の中東を舞台にした、サスペンスでありミステリであり、泣かせる話。
スケールがちがいすぎる。高校生の発想じゃない。
しかもスケールだけじゃなくて、品質まで
去年、箱崎先輩が書いた短編小説も、相当にすごいと思ったが……
今年碇が書いたこれは、さらに数段上を行っていると感じる。
というか、少しずつだが小説を読むようになった今の俺なら、わかる。
連作短編ミステリも10冊ぐらいは読んだが、それらと比べても、碇の方が上回っている。
身内びいきしていないか、俺は慎重に「読んできた記憶」と照らし合わせる。
プロの短編集でも5つ短編があれば、2つぐらいは「それなり」のものが混ざる。
とことん低く見積もっても……それらよりは確実に、上手くて面白い。
つまりこれは――商業出版の合格ラインを、真正面から超えている。
「……これが、本物か……」
足立先輩は、天井を見上げた。部誌から、目を背けた。
そして、天井にむかって語り始めた。
「僕もね……まあ、小説家に、なれたらなりたいなんて、思ってたんだ」
そうだと思っていた。
でないと、2年も連続で短編は書かない。
「今の自分は下手だけど、いつかなれたらなんて……思ってて。……僕は
足立先輩は、力なく首をふる。
「でもやっぱり、それは見ようとして見る夢だ。本物は、最初からちがうんだ。いや……本当は知ってた。見て見ぬふりをしていただけだ。デビュー作から現役作家
やっぱり、そういうものらしい。
「天才は天才を見抜くっていいますよね。足立先輩は、天才ですよ」
「阿久津くん。そんなことを言われても僕は」
「書き手としてじゃないです。本の読み手としてです。たぶん足立先輩は、俺よりも碇のこの作品のすごさがわかってるんです。俺は学もないし本もやっと読み始めたぐらいだから、碇のこれはすごいと思うけど、どれだけすごいか、正確にはわかってないんです。でも足立先輩はわかってる。たぶん、掛川先輩や狭山先輩よりもわかってる。それって、すごいことだと思いますよ。ちゃんとこの道を進んできた達人だけがわかる、
足立先輩は、眼鏡の奥の瞳を見開いて、俺の言葉を聞いていた。
先輩の目がゆっくりと
「阿久津くん……君、変わったね」
よかった。なんかわからないけど、よかった。
「本出せないと、きっと退学なんで。読書会も、ずっと参加したいんで」
「……箱崎先輩に聞かせてあげたかったな」
「LINEしていいですよ」
「そうするよ」
電灯が照らす薄暗い教室の中で、俺たちは笑った。
雨は大降りからしとしと雨に変わっている。
「部誌『大凰』、俺の編集者に見せます。いいですよね」
「もちろん」
山のようなダンボールの中に収まっている部誌――
これ全部、プレミアつくかもしれないな。
若き日の
しかも碇哲史郎は、デビュー前だ。
俺だって、けっこう腹が立っているんだ。
俺が並の人では耐えられないと思っていた「面白く書く」という執筆活動を、初めての一回で、俺よりもずっと上手く乗り越えてきた。苦労知らずのお坊ちゃんだ。だが、俺はあいつが本当に本が好きで、途方もない数の物語を体内に
無知で馬鹿で
この日、俺と足立先輩は、世界を巻き込んで歩く
文化祭は3日後。
たぶん、その前とその後で、俺たちを取り巻くすべてが変わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます