第31話 申し子

 4月、俺は2年生になった。


 一応は進学校(大学を目指すための高校)という触れ込みの西鳳せいほうは、クラスが文系ぶんけい理系りけいに分かれた。文章系と理数系……だと思っていたら人文科学じんぶんかがく系と自然科学しぜんかがく系、というのが本当の区分らしい。前者は国語と社会、後者は数学と理科、を専攻せんこうするとか。それらに英語を加えて、大学は3教科で受験できるところも多いらしい。英語がある時点で、俺には関係のない話だ。


 おれは中学以降の数学がまったく無理なので、文系を選択した。

 そして分かれた文系4クラス、理系4クラス。

 俺はここでも再び豪運ごううんを発揮し、志築しづきと同じクラスになった。そしてなぜか、いかりまでいた。


 今年、俺たちは17歳になる。

 17歳の志築を毎日ながめられるというのは、これはもう……日帝にっていに行った悪友たちに言えば、刺されかねない幸福に与っている。もちろん、いやらしい目で見るようなマナー違反はしない。ただ心象しんしょうとして、陽光の下、さわやかな風が吹く高原で毎日授業を受けている感じなのだ。


 そして新学年が始まってから間もなく、文芸部に新入生たちがやってきた。


 なんと、新入部員の数は7人。それら後輩から、俺は自身でも忘れていたヒーローの扱いを受けた。元中学生たちにとっては、俺の作品の評判はあまり悪くないらしい。俺と先輩たちは苦笑いしていた。碇は、半笑いだ。身に染みているのだろう。そう、これが俺とお前の、現実での立ち位置のちがいだ。


 5月半ば。ゴールデンウィークも終わった頃に、文庫書き下ろしの4作目『レッドゲーム』と『デスバトルアイランド~2名生存~』の文庫版が、全国の書店で発売された。

 俺も白戸さんも、断頭台に立つ気分で、発売から最初の一週間を過ごした。

 次回作を書かせてもらえるかどうかは、おおむねこの一週間で決まる。

『密告フェス』や『超かくれんぼ』を買ってくれた人のほとんどは、『レッドゲーム』を買ってくれないだろう。だから最初の『デスバとう』以降を買わなかった人と、今回のデスバ島文庫版から俺の文庫作品に興味をもってくれる人……それがたのみのつなだ。


 碇。書き出すのも、書いてる途中も、全然怖くなんてないんだぞ。

 全然仲良くない、世代も性別も生活も属性もちがう人に読んでもらうときが、めちゃくちゃ怖いんだ。


 ちょうど一週間が経った頃、白戸さんからSNS通話がかかってきた。


阿久津あくつくん」


「はい。言ってください」


「……君は、善戦ぜんせんしたよ」


「……はい」


「首の皮一枚、繋がったよ!」


 全身から力が抜けるというのは、こういうことだろう。

 俺はスマホを取り落とし、自室の床にひざをついた。


 レッドゲームは売上げ・評判ともに、上々。

 もちろん、感想が出揃でそろってくるのはこれからだが、とりあえず「出したが、誰も買わない」という最悪の事態はけられた。表紙や装丁そうていを作ってくれた白戸さん、デザイナーさん、おびを作り、ネットや文芸誌で宣伝に力を入れてくれた出版社のみなさんに、俺は心から感謝した。

 表紙のデザインはもちろん、デスバ島もレッドゲームも、巻頭かんとうにある孤島の地図がなければ面白さは激減だ。正直、俺の筆力では島の地理描写にいくら紙面しめんいても、読むのが苦痛になるだけだ。雰囲気のある地図をしたためてくれた白戸さんとデザイナーさんたちがいるから、俺の本の面白さは倍化している。それは絶対に間違いない。


 文庫版デスバ島、そしてレッドゲームの売れ行きに、阿久津家には少しの明るさが戻った。

 どちらも文庫だから、実入みいりはひかえめだ。

 だが大事なのは、デスバ島とレッドゲームだけ見れば、俺はまだ可能性のある作家に見えるということだ。学校では、1年のときに同じクラスだった連中から、廊下ですれ違ったときに「阿久津、レッドゲーム、よかったぞ」と言ってもらえた。


 買ってもらえる、読んでもらえる……そのことは、

 使


 特に二作続けて醜態しゅうたいをさらした俺の新刊を買ってくれて、読み始めてくれるなんて、それはまぎれもない優しさであり、応援だ。作家が言う「読んでくれてありがとう」というのは、全然、とお一遍いっぺんの対応なんかじゃない。今の俺にとって心からの謝辞しゃじだった。そういえば、卒業していった箱崎はこざき先輩も、「読んでくれてありがとう」と言って学校を去っていった。

 

 6月。二度目の文化祭が迫ってくる。

 本番の3日前、俺と足立部長は二人で、梅雨つゆにしては激しい雨が降る部室にいた。

 4つ連結で作っていた長机は半分の長さに折りたたまれていて、部屋の半分をダンボールが埋めている。今年刷り上がった部誌は、小説を書いたのが7人もいたことから、かなり厚い。それが数百部もの無料配布分となると、それだけで壁のような物量となる。

 小説を書いたのは、足立部長、掛川かけがわ先輩、狭山さやま先輩、俺、1年生が2人、そして――碇。


 足立先輩と俺は、刷り上がった部誌をめくっていた。

 新刊特有の紙の匂い。表紙は固い紙で、ナントカ加工が施されてツルツルしている。さらに、銀色のはく押しで『大凰たいほう』の文字。西鳳文芸部の部誌の名前だ。


 だが、本ができたという達成感や感慨かんがいも、すぐに吹き飛んでしまう。

 ある物語を、読み始めたことで。


「…………」

「…………」


 雨が地面を叩く音が、俺たちを取り囲んでいる。


「……先輩、読みました?」

「……うん」


 俺は立って、部室のドアの鍵を閉める。

 足立先輩がひどく落ち込んでいることは、一目見てわかった。


「まいるなぁ……まいるなぁ……」


 足立先輩は部誌を開いたまま、肩を落としてそうつぶやいた。


「…………」


「喜ばなくちゃいけないんだろうけど……さすがに……きっついなぁ……」


 先輩が持っている部誌は、碇の小説の最後のページで、折り目がつくほど開かれている。

 ページの左右を持つ指先が震えている。


「彼、初めて書いたんだよね……? 実は中学の頃書いてたとか……ない?」


「俺が知る限り、ないです。……くやしいっすね」


「ああ、なんかもう、ね。悔しいというか、いや、馬鹿らしくなってくるというか、こんなの、一生かかってもたぶん書けないというか」


「先輩。俺が悔しいのは、俺の作品を読んでも先輩がそこまで落ち込まないのに、碇の作品を読んだらめっちゃ落ち込んでることです」


「あ……それは……ごめん……」


 人のいい足立先輩は、素直に謝ってしまう。

 ちがう。そうじゃない。俺たちは今、怒るしかないのだ。


「でも先輩、俺だって、足立先輩の作品を読んでもそこまでへこみません。いや、去年のあれも今年のもすごいなとは思いますけど。でも、碇のにへこまされる感覚とはかなりちがいます」


「阿久津くん……君は……」


「俺も足立先輩も、碇の足下にも及ばない。すごすぎる。ちくしょう。むかつく。なんでだよ。この場では、それでよくないですか」


「……すまない、阿久津くん……」


 何年も短距離走を頑張ってきて、100メートルを11秒台で走れる人がいたとして。

 それが、他のスポーツから転向してきたやつが、初めてでいきなり10秒台を出した。


 俺たちが味わっているのは、たぶんそんな感じだ。

 実際、俺が書いた短編も、足立先輩が書いた短編も、勝負になっていない。


 碇が書いた『熱砂ねっさの王』。

 十字軍手前、中世の中東を舞台にした、サスペンスでありミステリであり、泣かせる話。


 スケールがちがいすぎる。高校生の発想じゃない。

 しかもスケールだけじゃなくて、品質まで段違だんちがいだ。言葉の使い方、物語の進め方、どれも素人しろうとっぽいものがない。ベテランの風格とリズムで、全編がつづられている。


 去年、箱崎先輩が書いた短編小説も、相当にすごいと思ったが……

 今年碇が書いたこれは、さらに数段上を行っていると感じる。

 というか、少しずつだが小説を読むようになった今の俺なら、わかる。

 連作短編ミステリも10冊ぐらいは読んだが、それらと比べても、碇の方が上回っている。


 身内びいきしていないか、俺は慎重に「読んできた記憶」と照らし合わせる。

 プロの短編集でも5つ短編があれば、2つぐらいは「それなり」のものが混ざる。

 とことん低く見積もっても……それらよりは確実に、上手くて面白い。

 つまりこれは――


「……これが、本物か……」


 足立先輩は、天井を見上げた。部誌から、目を背けた。

 そして、天井にむかって語り始めた。


「僕もね……まあ、小説家に、なれたらなりたいなんて、思ってたんだ」


 そうだと思っていた。

 でないと、2年も連続で短編は書かない。


「今の自分は下手だけど、いつかなれたらなんて……思ってて。……僕はいやしいから、大作家のデビュー作をよく読むんだ。デビュー作は、いろいろとあらいものが多いよ。あの大作家でも、デビュー作はこんなに微妙だったんだって思うと、これなら僕でも、いつか届くかもって……そういう希望にしてたんだ」


 足立先輩は、力なく首をふる。


「でもやっぱり、それは見ようとして見る夢だ。本物は、最初からちがうんだ。いや……本当は知ってた。見て見ぬふりをしていただけだ。デビュー作から現役作家形無かたなしの作品を書いて、本人が望む望まざるかかわらず、出版社も読者も放っておかなかった……そんなデビュー作を書いた作家だって、いくらでも知ってるんだ。『暗殺の年季』『姑獲鳥うぶめの冬』『朝市』……最初から完成されていて、新しいジャンルを作ってしまう作品。碇くんのこれは……そういう作品だろう」


 やっぱり、そういうものらしい。


「天才は天才を見抜くっていいますよね。足立先輩は、天才ですよ」


「阿久津くん。そんなことを言われても僕は」


「書き手としてじゃないです。本の読み手としてです。たぶん足立先輩は、俺よりも碇のこの作品のすごさがわかってるんです。俺は学もないし本もやっと読み始めたぐらいだから、碇のこれはすごいと思うけど、どれだけすごいか、正確にはわかってないんです。でも足立先輩はわかってる。たぶん、掛川先輩や狭山先輩よりもわかってる。それって、すごいことだと思いますよ。ちゃんとこの道を進んできた達人だけがわかる、まされた技です」


 足立先輩は、眼鏡の奥の瞳を見開いて、俺の言葉を聞いていた。

 先輩の目がゆっくりと焦点しょうてんを結び、目に力が戻った。


「阿久津くん……君、変わったね」


 よかった。なんかわからないけど、よかった。


「本出せないと、きっと退学なんで。読書会も、ずっと参加したいんで」


「……箱崎先輩に聞かせてあげたかったな」


「LINEしていいですよ」


「そうするよ」


 電灯が照らす薄暗い教室の中で、俺たちは笑った。

 雨は大降りからしとしと雨に変わっている。


「部誌『大凰』、俺の編集者に見せます。いいですよね」


「もちろん」


 山のようなダンボールの中に収まっている部誌――

 これ全部、プレミアつくかもしれないな。

 若き日のいかり哲史郎てつしろう阿久津あくつじんが、同時に野良作品を載せている部誌。

 しかも碇哲史郎は、デビュー前だ。


 俺だって、けっこう腹が立っているんだ。

 俺が並の人では耐えられないと思っていた「面白く書く」という執筆活動を、初めての一回で、俺よりもずっと上手く乗り越えてきた。苦労知らずのお坊ちゃんだ。だが、俺はあいつが本当に本が好きで、途方もない数の物語を体内に蒐集しゅうしゅうしていることを知っている。


 無知で馬鹿で傲慢ごうまんだった俺が、デスバ島が持つ「面白さ」というたった1点の力によって、白戸さんに見出されたように……「面白さ」を作り上げた碇にもまた、そのチャンスは降って然るべきなのだ。もちろん、そこから先は碇次第だけど。


 この日、俺と足立先輩は、世界を巻き込んで歩く巨獣きょうじゅう産声うぶごえを聞いた。


 文化祭は3日後。


 たぶん、その前とその後で、俺たちを取り巻くすべてが変わる。

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