第30話 いくじなし

 卒業式も終わり、クラス替えも間近となった3月の昼休み。


 俺が箱崎はこざき先輩の小説についていかりと話していると、碇がついに切り出した。


「……阿久津あくつくんは、僕に書けって言わないよね」


 すぐにわかった。言ってほしいんだな、と。

 だから俺は、言わない。


「甘ったれるな。俺は、誰にも書けなんて言われないで書いたぞ」


「……僕だって、誰にも読めなんて言われないで読んでるよ」


 それは等価とうかなのか? 書く人口と読む人口で比べれば、書く人口の方が圧倒的に少ない……そんな気がするが。しかし、いくら読めと言われても読まなかった俺だ。等価にしといてやる。


「碇。俺はな、いくら編集者から読め読め、読まないと死ぬよと言われても、1年半はかたくなに読まなかった主体性しゅたいせいの持ち主だ」


「それは、編集者からすると最悪な作家なんじゃ……」


「ふん。他人がよいしょしてくれるのを待ってるだけのお坊ちゃんとは人生観じんせいかんがちがう。そう言いたかったんだ。俺は俺の頭で動いてる。誰かさんとちがってな」


「…………」


 お……碇が、心なしかムスっとした。


 めずらしい。普段なら、いくらあおっても受け流すこいつが……いったい何が勘に障ったのか。

 よし、ここは喧嘩するつもりで、攻勢をしかけよう。その方がたぶんお互いのためだ。


「なんだよ、他の人が書け書けと言ったから書きましたって。それ、もし不評ふひょうだったら他人のせいにできるのか? それってずるくないか? 安全が保証されてるから書けるなんて、俺の人生からすると今までなかったぞ。お前だって部誌読んだだろ。卒業してった箱崎先輩も、現部長の足立あだち先輩も、全校生徒や親や教師に読まれる覚悟で書いて発表したじゃないか。しかも、一応プロの俺と並べられてだ。勇気あると思うぜ。その点、お前はスタートラインにも――」


「……全部、正しい」


 碇は、しぼり出すように言った。


「ん?」


「その通りなんだよ。僕は……書く勇気が、ないんだ」


 碇には悪いが、そんなのは、こいつと付き合いだしてからすぐにわかった。

 世の中には、書くのに勇気がいる人がいるんだなぁ……ぐらいに俺は驚いたぐらいだ。

 確かに今の俺なら、小説を書くのは怖いことだってわかるが……


「普通、そうらしいけどな。でもなんだかんだ言って、怖いのは人に見せる時だ。書き始める時と書いてる途中は、勇気なんていらねえよ。書き終えてみて完全に駄作ださくだったなら、誰にも見せないでしまっておけばいいんだし。お前は俺とちがって、締め切りなんてないし」


「でも……僕が書いてる時、僕が見てるよ」


「……なるほど。箱崎先輩が引退するときお前に言ったこと、そういうことか」


「そういうこと?」


「ああ。お前はたくさん読んで目がえすぎてるから、もっと馬鹿になれみたいなこと言ってた。とりあえず手を動かさないと積めない経験値もあるだろ。そうだ、そういえば『レッドゲーム』にもお前みたいなキャラがいて」


「ネタバレはやめて!」


 碇がさけんだ。

 驚いた。俺が知る限り、碇が出した初めての大声だった。


「お、す、すまん……」


 こいつ……まだ俺の新刊、読む気なのか……

 てっきり『密告フェス』と『超かくれんぼ』で見切りをつけられたかと思ってた……


「どうしたの?」


 志築しづきが、そばに立っていた。立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花――芍薬も牡丹も、どんな花なのか知らないが、とりあえず志築は西鳳が誇る名花だ。たとえ西鳳が認めないでも俺の中ではるがない。碇の声を聞きつけて、トコトコとやってきたらしい。高校では目立つのを避けているのか、学級委員はしていない。だが、捨てきれない学級委員気質が、こういうところだ。


「……いや、な、なんでもないよ」


 碇が慌てて言う。


「いや、大声出すなんて超珍しいでしょ。珍しく、喧嘩してるように見えたけど」


「それは誤解だ。こいつとはけっこう喧嘩する。珍しくなんてない」


「ふーん……仲、いいんだね」


「いや、それも誤解だ」


「わけわかんない」


 志築が身をひるがえして去っていこうとする。

 そこで俺は妙案みょうあんを思いついた。敵に塩を送るというやつを。


「待ってくれ志築、こいつに言ってやってくれないか」


 志築は目を丸くして振り返った。


「何を?」


 首をくにゅっと曲げているのが、かわいらしい。


「碇くんのいくじなし、って」


「なんで急に……」


「たぶん、こいつのためになる」


 志築は腕を組んで、俺と碇を見比べていた。

 そして何かに納得したようにうなずき……



「碇くんの、いくじなし」



 そう言って、去っていった。

 マジか。本当に言うなんて。


「――――」


 碇は目を見開いて固まっている。


「あいつらしくない冗談だな。いいなぁ、ご褒美がすぎるだろ」

「――――」


「あれ? でもあいつ、冗談でも人を傷つけるようなこと、言わないような」

「――――」


「そういえばあいつの反応……『なんで急に』だったな。なんか違和感あるな……『どうしてそんなこと』の方が正しくないか?」

「――――」


「碇……? おい、大丈夫か?」

「――――」


「碇!? おい、呼吸しろ! 思い出せ、呼吸の仕方! 死ぬな!」


「――よ」


「え?」


「――――書く、よ」


 マジか。そこまで効いたか。

 こんなにあっさり、魔王の封印って解けるのか。いや、志築がすごいのか?


 碇は席を立って、志築の所に向かった。


 異常な行動だった。

 こいつが俺を無視して、志築のところに一人で向かうなんて。

 クラスの面々も、その不可思議な行動に驚き、注目している。


 そして碇は、座っている志築に向かって宣言した。


「次の文化祭で、短編小説を書いて、部誌に載せます。よかったら、読んでください」


「あ、う、うん……? 頑張って、ね……?」


 クラス中の男女が、ぽかんとしている。


 え、なに、告白? 碇くんなりの? ――あはは、ちがうって。さっき私が、碇くんの小説読みたいって言ったから――いいぞ碇くん、かっこいい、あたしたち応援するよ――


 志築と碇を中心に、はやし立てる女子。

 男子もそれに乗っかる。熱い、阿久津対碇じゃん――いいぞ碇、阿久津をぶっ倒せ――


 碇のやつ、自分から退路たいろを断ちやがった。


 俺は、最大の敵の出現を予感した。

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