第29話 猫と虎
年が明けて1月。俺は4作目のリニューアルに取りかかった。
前の二ヶ月を読書と勉強に費やした俺は、
今までよりもすらすらと、あっという間に面白い話が書けるはずにちがいない――
その期待は、見事に裏切られた。
自分でも「何かがおかしい」と感じるほどに筆が進まない。
今まではもっとすらすら書けていた。中間目標として立てられたページ数のノルマは
しかし今度は、そもそも執筆量が稼げない。
主人公……この性格や設定で本当にいいのか?
セリフやストーリーはこれで大丈夫なのか?
このシーン、もっと前から書いた方がいいんじゃないか? いや、もっと
書けば書くほど、疑問が
これでいいのか、と。もっと面白くしないといけないんじゃないか、と。
今までの倍近くの時間をかけて書いた冒頭を
これが……考えながら書くってことか。
自分が書きたい物を書いていただけの今までとはちがう。
今までは、俺は俺の頭に思い浮かんだものをそのまま書き、好評をつける人はいい読者で、不評をつける人はわかってないやつだった。
でも今は、そうじゃない。俺は俺の書きたい話を書きながらも、読んだ人が「面白いと思うかどうか」を気にしながら書いている。
俺だって、俺が書こうとするアイデアがつまらないなんて思っていない。アイデアレベルでつまらないのは、白戸さんに全部弾いてもらっている。だから、それがちゃんと読者に伝わるものになっているかどうか、伝えるならもっといい方法はないか、それを考えるようになった。
物語のテンポ。情報の出す順番、出す量。場面の切り取り方。勝手に動き出すキャラクターたち、そのアドリブはファインプレーか舞台を台無しにするスタンドプレーか。
読み手の快感を目指して書こうとすると……小説を書くって、なんて大変なんだ!
2月半ば、新4作目初稿の締め切りがやってくる。
俺はへとへとになりながら、なんとか新しい4作目を書き上げた。
タイトルは『レッドゲーム』。
借金苦の5人が謎の孤島に連れて行かれ、島を使った「ゲーム」に参加させられる。
島の中には主催者側が用意した様々な「課題カード」が設置されており、それを入手して、クリアした人間には、難易度に見合った賞金が約束される。ただ、全員が着の身着のままで島に放り出されていて、最初に渡されたのはアバウトな地図だけ。それを手がかりに食料や生活用品――時には武器までも、現地調達しなければならない。課題に集中したくてもできない、サバイバル要素も組み込まれているのだ。
このゲームが終わる条件は、
・最大賞金である1億円の課題――島の中央にある謎解きがクリアされること
・10日が経過すること
のどちらか。
そういうエッセンスはデスバ島と似ているが、「またか」と思わせておいて、毛色はかなりちがう。デスバ島の焼き直し的なものだと考えて読む人ほど、あっと言わされるような展開にしたつもりだ。
例えば、それぞれが抱えている借金額が実は全然ちがうなど、レッドゲーム以前の情報が各人の行動のきっかけになる「盤外戦」要素が追加されている。デスバ島は全員が同じクラスの中学生だったので、そういう「背景」からトリックをしかけることはできなかった。今回は、それに挑戦している。また、デスバ島は全員が中学生らしい考え方で動く作品だったが、今回の5人のキャラクターたちは「実は、根本的な価値観が全然ちがう」という、わかりあえなさを持っている。
それぞれが信頼関係を築けたと思った矢先に、実はそれが「自分基準」の幻想であるという展開がたびたび起きる。各キャラクターが想像もつかない地獄を、それぞれが島に来た時点で抱えているのだ。
頑張った。プロなら、当たり前のことかもしれないけど。
アイデアは、そこまで悪くないと思う。
ただ、そのアイデアを上手く書けたかどうかと言われると……自分でも、まだ上手くないと思う。俺が読むようになった小説たちのような、なめらかな語り口、流れるような展開には、全然届いていないとしか思えない。ぎこちない。未熟な人が頑張って書いてる感が、ある。……そしてそれは、ある程度本を読む人たちには、わかってしまうことだ。でも仕方がない。今の俺じゃ、どうあがいてもまだ届かないのだ。
2月の残りは、白戸さんからすぐに上がってきた指摘部分を直し、気がつけば3月。
ゲラ(実際の本でのレイアウトになった原稿)の修正を終えて、『レッドゲーム』は5月の刊行に向けて俺の手を離れた。
勝負は5月。その月に、俺の
5月にはもう一つある。『レッドゲーム』だけでなく『デスバトルアイランド~2名生存~』の文庫版も出すことにしたのだ。それが、白戸さんの言う「最後の賭け」だった。
うまくいけば……5月のさらに半年後、11月にも次回作を出させてもらえる。
結果を見てからでは遅い。本を読みながら、今から準備しておこう……
もし、売れ行き不調で星月社から本が出せなくなったときの事を考えると、怖い。
俺は小説を出せるという一点で、西鳳にいることを許されているのだ。
現に、テストの点は副教科以外赤点コンプリートという偉業を達成しているが、とくに補習もなく進級が決まっている。なんでも、1年生のときに刊行した2冊の小説をレポート代わりにしてくれるらしい。それは逆に言うと、本が出ていなければ俺は留年ということだ。そして、いくら留年したって俺は西鳳のテストで赤点を超えられる自信はない。最近、やっと脳みそが中学1年生になったばかりなのだから。
俺にとって「面白い小説を書く」ことは、生存のための条件なのだ。
3月に入ってすぐ、高校での初めての卒業式が来た。
俺は
卒業証書が入った黒い筒を抱えた先輩は、髪の毛を指でくるくると巻きながら、視線を周囲に漂わせている。
「困るな~。こういう展開は? もしかしてもしかしたらあるかな~とは思ってたけど~……いやでも、うーん困っちゃうなぁ、2歳も年下の男の子に呼び出されちゃうなんて……まあ、話は聞くよ? やっぱりね? 私も、君の気持ちに整理をつけてあげるのが先輩としての務めじゃないかなって」
さすが箱崎元部長だ。一人でよく喋っている。
「箱崎先輩。俺、先輩に言っておかないといけないことがあって」
「うんうん。どうぞどうぞ。ゆっくり待つよ。待てばいいのかな? いや、こういうの、実は初めてだから、ちょっと私もね? どうしたらいいのか実はちょっと~」
一人で元気に喋っている。
俺は勘違いを育てても悪いので、単刀直入に切り出す。
「部誌の先輩の小説、読みました」
「えっ」
「めちゃくちゃ、面白かったです」
「……ふむ」
「学園とその周辺を舞台にした、高校生男子二人の相棒ものミステリ。前提として隠されてる『二人が謎を解こうとする動機』が、すごくよかったです。二人とも、自分たちの犯罪を
「センスを感じた?」
「はい。……ここだけの話ですが……正直、俺よりずっと上手いです」
「あはははははは!」
箱崎先輩は大笑いした。小さな体に大きな声、箱崎先輩全開である。
「プロに手放しで褒められちゃ、それはセンスが無いってことだね」
そんなことはない。俺は確かに、圧倒されたのだ。
「いえ、本当にすごくて。よかったら、俺の編集さんに見てもらうのも」
「ダメダメ。その短編、どれぐらい時間かかったと思う?」
「え……?」
実はねー……と箱崎先輩は、髪をくるくると巻き出す。
「君たちが入学する前から書いてたの。というか、前の文化祭から半年がかり。それ単品だとたしかにいい作品が書けたと思う。でも、40ページ書くのに半年かかったらねえ。めちゃくちゃ頑張ったんだよ? 1日悩んで、1ページ進んだら喜ぶぐらい。……それが、プロ志望としてどれほどダメなことか……君ならよくわかるでしょ?」
「…………」
言葉もない。半年に40ページが精一杯だとしたら、それは……無理だ。
「君はすごいんだよ。文化祭、『超かくれんぼ』を書いた直後だったよね? それで数日後に20ページ書いてきたときは、震えちゃった。これがプロのスピード、創作の姿勢なんだって思い知らされたんだよ。猫と虎ぐらい、生き物としてちがうと思った」
「いや、でも、その頃の俺はただの怖い物知らずというか、恥知らずというかだったので」
「次に出る4作目は、2ヶ月ぐらいで書いたんでしょ?」
「ま、まあ……今までよりキャラをうんと減らして、ページも薄いですけど……それに、今回は期間は同じでも時間は倍ぐらいかかったし……」
「それをやりきったか~……根性あるねえ。うんうん、あっぱれだよ、阿久津くん」
箱崎先輩は腕組みして満足そうに言った。
「ま、そんな君にお褒めの言葉をいただいたのは、私の
「…………」
俺は黙った。
そして、考えてることをそのまま言った。
「……どんなにセンスがあっても、編集者が会うのは『書いた人』だけです」
箱崎先輩は、あははははとおかしそうに笑う。
「やっぱり彼のことは、手放しで褒めたりしないよね」
俺はその言葉にはっとする。
「小説、読んでくれてありがとう。阿久津先生のこれからの本、楽しみにしてるよ」
先輩は背伸びをして、俺の肩をポンと手で叩く。
いい人だ。素敵な人だ。志築でもないのに、ボディタッチに心が揺れる。
それじゃあと言い残し、箱崎先輩は去っていった。
学年にたった一人の文芸部だった先輩――
同級生のいない日々は、いったいどんなものだったのだろう。
俺はそこに、箱崎先輩しか知らない物語があるように思えた。
いつか、また会ったら聞いてみたい。
一人で読み、書き続け、後輩を育てた、箱崎先輩の物語を。
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