第28話 本読みたち

 計画通り、11月と12月を俺は読書と小学校の勉強だけにあてた。


 学校の授業中は、ついていける授業はついていき、完全に無理な授業は4作目のストーリー構築にあてる。

 授業が終わったら、部室で最終下校時刻まで本を読む。

 家に帰ったら、小学校の勉強を進める。

 疲れたら、4作目のネタを考える。

 それも疲れたら、すぐに寝る。

 ひたすら、続ける。

 それ以外のことは、考えない。


 そういう生活を2ヶ月続け、冬休みの手前には、碇から「阿久津くん、顔つきが変わったね」と言われた。時は昼休み。俺と碇は向かい合っている。


いかり、テストしてくれ」


「……いくよ」


「こいよ……」


仙台せんだいって、何県?」

「宮城県。東北地方の中心都市、らしい。都会」

「……!」


 碇は目を丸くした。快感だ。


「名古屋って、何県?」「愛知県。日本の中でもトップ級の都会らしい」

「日本の、中国地方にある県は?」「えーと……広島、岡山、鳥取、島根、山口」

「徳川家康って、どんな人?」「江戸幕府を開いた人。武士のトップ」

「鎌倉幕府があった場所は?」「神奈川県の、鎌倉ってところ」

「音速って、秒速何メートル?」「だいたい秒速340メートル」

「銃弾は、見てから避けられる?」「無理」

三権分立さんけんぶんりつって、何?」「立法、行政、司法」

「政治をするのは天皇、総理大臣?」「総理大臣だ」

「弁護士って、何する人?」「悪人……いや、うったえられた人を弁護する人だ」

「パリはどこの国の首都?」「フランス」

「英語が生まれた国は?」「英語なんだから英国。イギリス」

「全国大会は、何を決める戦い?」「全国なのに日本一」

「リットルは、何の単位?」「重さじゃなくて……体積。大きさだ」

「インターネットが普及したのは何年ぐらい前?」「20年ぐらい前らしい」

「テレビがカラーになったのは何年ぐらい前?」「50年ぐらい前とか」

「年利14%で百万円の借金をしました。1年間で増える利子は?」「14万円」


「…………」


 はぁ、はぁ……どうだ?


阿久津あくつくん」


「なんだ」


「ジュースおごらせて」


「よっしゃ!」


 俺と碇は、机の上で手をとりあった。そしてそのまま腕相撲の勝負に持ち込み、俺は碇の手を机に叩き付けた。もちろん、手加減はした。


「嬉しい、嬉しいよ。西鳳せいほうの闇だけど、西鳳の希望かも」


 碇は体を傾けたまま、目に涙を浮かべて言う。


「ふ……自分がどれだけやばかったか知って、俺も冷や汗が出る」


「今なら阿久津くん、きっと前よりいい物が書けるよ」


「超マイナスがマイナスになっただけだ。そんなに簡単なもんじゃない」


「うん。でも、前よりは絶対に」


「ここから2ヶ月……お前がコメントに困らないようなやつを書いてやる」


「阿久津くん、実は世界征服を狙っていた、はナシだよ」


「わかってるよ。スケールをでかくすればいいってもんじゃない……そういうことだろ?」


「そう、そうなんだよ、阿久津くん」


 碇は、嬉しそうに何度もうなずいた。


 文芸部で本を読むようになった俺は、急速に文芸部に溶け込んだ。


 碇を含め、部員たちの仲は思っていた以上に良かった。

 本を読む前の俺は、全員「本読み」でひとくくりだった。だが、本を読むようになってからの俺は、それぞれのハマり度のちがいというか趣味趣向のちがいというか、おおまかなレベルのちがいがぼんやりと見えてくるようになった。


 眼鏡の足立あだち部長は、一般文芸(だいたいの場合において、ライトノベルと、純文学じゅんぶんがくとかいうもの以外の小説を指すらしい)全般を幅広く読む。元々はミステリ(小説だと『ミステリー』と伸ばさないことが多いらしい)ばかり読んでいたそうだが、先代部長である箱崎はこざき先輩に色々と貸されて、何でも読むようになったそうだ。読むペースは読書会の作品に加えて、月に2冊程度。


 もじゃ毛の掛川かけがわ副部長は、ネット小説専門の人だ。それなら、ライトノベルも読んでいると思っていたら「ネット小説とライトノベルは一見似てるけど、かなりちがう」らしい。読書会は自分が当番の時だけ参加するスタイル。最近、自身もネット小説を書き始めたらしい。


 紅一点こういってんでメルヘンなオーラを持つ狭山さやま先輩は、恋愛小説や青春小説を好んでいる。本人曰く「泣くために読んでる」。表紙に透明感のある綺麗なイラストが使われていて、タイトルに「君」と「僕」が入っているのを選ぶのが、当たりを引くコツらしい。読書会は2回に1回のペースで参加する。足立部長が当番の回は必ず参加する。


 およそ1年間で、足立部長が50冊ほど、掛川副部長が20冊ほど(ネット小説の書籍化換算)、狭山先輩が30冊ほど読んでいる感じ、らしい。先輩たちの読書家ぶりに戦々恐々としていると「先代の箱崎部長は、もっと読んでいた」らしい。


 それを聞いて、俺は恥じ入る。そんなにすごい人だと思って接していなかったからだ。

 俺は航海をするプロ、先輩たちは波打ち際で水をかけあって遊んでいるファン……そういう風に思って、正直あなどっていた。物語という海について知っていることで言えば、俺は足下にも及んでいなかったのだ。


 そして……一人、別格がいる。

 碇だ。


 碇は、別格の扱いを受けている。それぞれ好む傾向がちがう先輩たちすべてから、格上だと見られているのだ。先輩たちが知っていることで碇が知らないことはない……そんな風な尊重のされ方をしている。崇拝されているというより、畏敬いけいの念だ。畏怖いふ敬意けいい。尊敬されながらも、恐れられている。


 文芸部での碇は、息を吸って吐くように雑多な小説を読んでいる。こいつにとって読書とは何も特別な行動ではなく、人間が歩くときに左右の脚を動かすように「気づいたらやっている」自然な行為のようだ。そして、1冊読み終わるたびに、ノートPCで何やら文章を打っている。

「感想をまとめている」らしい。家で、読書記録サイトにあげるそうだ。アカウントは教えてくれないので、どんな感想をあげているのかわからないが……一度、横から覗き見たときは、実に忌々いまいましい見慣れた文体だった。俺たちの中1のときの夏休みの宿題……あのとき先生たちが驚嘆きょうたんした読書感想文と、そっくりだった。


 変態野郎め。


 つまり当時の俺が「気持ち悪い」と感じた碇の読書感想文は、何日もかけたものではなく、たぶん読んでから書くまで、たった十数分の作業だったのだ。碇が日々やってきた日常業務の一つ。普通の中学生がああでもないこうでもないと数日悩み、かなりが投げ出す中で、こいつは慣れ方が別次元にあった。一生懸命、奇をてらった本――『完全犯罪マニュアル』を読んで、何週間もかけて読書感想文を書いた俺と、夏休みだけで何十と生まれた読書記録の中から1つを選んで宿題として提出した碇。どっちが凡な中1で、どっちがおかしな中1だったか、真相を知れば勝負にすらなっていない。こいつは、本に取り憑かれている異常者だ。


 碇の持っている小説は次々と変わる。読書数は計り知れない。学校に来ない休日も、何冊か読むのが当たり前らしいからだ。そして、ジャンルに統一性がない。すごく難しそうな海外の翻訳小説を読んでいると思えば、翌日には見るからにエロそうなラノベを読んでいたりする。一般文芸とラノベどっちが好きなのかと聞けば、きょとんとして「区別がない」と答える。

「読み終わった時に、書かれた年を予想するんだ。単行本なら奥付を見て、文庫本ならネットで調べて、予想に近かったら嬉しい。読んだ後の、ちょっとしたお楽しみだね……」

 恥ずかしそうに、そんなことを教えてくれた。「内容から、だいたい当てられる」らしい。大きく外れたら、それはそれで嬉しいとか。どう考えても変態だ。


 ああ、悔しい。


 変態。変人。異常者。


 俺は、そのどれもが、俺が欲していた最上級の褒め言葉であることに気づく。


 同時に、見栄っ張りで、コツコツした努力は大嫌いで、やりたくないことを無意味なことと言い張って、でも頭が回るふりをして逆張りをするだけの自分が、いかにどこにでもいる普通の存在だったかということも。


 特別になれると思ってやることなすこと、ド凡人ぼんじん。明日からすぐにでも特別になりたい中学生が考える、タバコ、万引き、彼氏彼女、セックス、リストカット……非行の教科書があれば第一章に載っていそうな、ありふれた逸脱いつだつしか思いつかないのが俺だ。


 今まで俺は、中学生や高校生で小説を出せたということで、普通じゃない扱いだった。

 だが、化けの皮が剥がれてきた。

 面白いかつまらないかをおいて物語を早く長く書くだけなら、恥さえ捨てれば誰でもできるということが、俺自身も、俺に近しいみんなも、わかってきてしまった。


 じゃあ俺が、特別になるには?


 もう一度、みんなをあっと言わせる、面白い話を書くしかない。

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