第25話 険しい道

 ファム・ファタール。


 小説とか映画とかで、主人公の行動の目的となるヒロインを指す言葉らしい。

『運命の人』と訳すとか。そしてまた『悪女』と訳されることもあるとか。

 白戸しらとさんが教えてくれた。ついでに、メアリ・スーも。


 俺がこめかみを押さえながら本を読み始めたことを伝えると、白戸さんは大いに喜んだ。

 そして、編集者の千の言葉をもっても動かなかった俺が、なぜ動き出したかをたずねた。


 俺は屋上とそこに至るまでの経緯けいいを話した。

 すると白戸さんは大笑いして「さすが瑞樹みずき。ファム・ファタールだねえ」と言ったのだ。

 そして「少年は、そうでなくちゃね」と。


「君が本気でこの道を歩む気があるなら――まだ、最後の賭けが打てる」


 白戸さんはそう言った。

 もうすでに、最後の賭けすら打てない状況に向かっていたらしい。


「白戸さん……なんで、ファム・ファタールは『悪女』なんですか?」


「それはね、つらいからだよ」


「……辛い?」


「男が女にかっこつけようとする道は、けわしい道なんだ。ファム・ファタールは、そういう道に誘い込む人だからね」


「…………」


「泣き言は言えない。歯を食いしばらないといけない。そして……勝たないといけない」


「白戸さんも……若い頃、そういうことがあったんですか」


「あったね。そして今も、ずっと続いてるよ」


 声のトーンが落ちた。

 白戸さんの芝居とは思えなかった。

 苦境くきょうにあってすらいつもスマートな白戸さんが、初めて聞かせてくれた本音かもしれない。


「白戸さん。俺って、小説家として、どうですか」


「うーん。あまり、言いたくないなぁ」


「どうしてですか?」


「それは……才能があると聞けばうぬぼれて努力をおこたる。才能がないと聞けばめげて投げ出す。そういう『普通の人』には、評価なんて聞かせても……ねえ?」


 あえて挑発的ちょうはつてきな言い方をしている。

 白戸さんは、俺が「普通の人」と言われるのを何よりも嫌っていることを知っている。

 でも今まで、さんざん白戸さんが鳴らしてくれた警鐘けいしょうを無視して、自身や白戸さんを窮地きゅうちに追い込んできた間抜まぬけにはふさわしい言葉だろう。


 才能があると聞けばうぬぼれて努力を怠る。才能がないと聞けばめげて投げ出す。そういう普通の人――


 その通りだ。

 文章にしたら一行と少しぐらいだろうか。

 たったそれだけの言葉で、今までの俺はきれいにまとまってしまう。それほどに薄っぺらい人間が、ラッキーヒットに寄りかかっていただけ。それが、阿久津あくつじんだったのだ。


 長編小説を3冊書いた? それは努力?

 品質にこだわらなければ、誰だって書ける。

 独りよがりな面白くない話をだらだら長く書くだけなら、誰でも。


「失礼しました。才能があってもなくても……当面、俺のやることは、変わらないです」


「うん。いい返事だ。その言葉を信じて、一応、僕なりの見解けんかいを示そう」


 俺は心を静めて、白戸さんの言葉を待った。


「君の作家としての適性は、ある方面では優れていて、ある方面では劣っている」


「……一応聞きますけど、並ってことなんですかね」


「そうかもね。ただ、


 突き放すような一言に、俺は二の句が継げない。


「阿久津くん。君が僕の言葉から抽出すべきことは、君は完全適性ではないということだ」


 そんなのは、わかっている。

 だって最近まで、どれだけ勧められても、小説の1冊も読もうとしなかったのだ。

 勉強はしたくない。でも頭がいいことにはしたい。だから『完全犯罪マニュアル』みたいな頭が良さそうに見える本を斜め読みして、自分を賢いことにしてきた。底辺をう成績には、意味なんてないとレッテルを貼って。デスバとうが当たってからは、勉強なんて一切しなくても小説は書ける、感性で書けるとうそぶいた。素人しろうとにもかかわらず、大熟練者である白戸さんの忠告を、自分の方が正しいものが見えてると思って無視して、勝手に自滅した。


 トリックの真相は人を操る超能力……実は世界征服という深い企みがあって……


 バカ丸出しの履歴書りれきしょだ。こんなのを作家性だと思ってドヤ顔で出すんだから、クラスメイトからは微妙な顔をされ、ネットでは炎上する。そして、窮地に立ってから、やっと失敗したと気づく。適性――才能なんて、俺のどこにある?


「阿久津くん。ここからの道はしんどい。無理して続ける必要はない。歯を食いしばって進むのも勇気だけど、向いてないと見定めて道を変えるのも勇気だからだ。だからいつでも、進軍と撤退の判断をしていい。無理の先にある破滅がかっこいいというのは子供の価値観だ。大人は、破滅は純粋にかっこ悪いとしか思わない。とはいえ――」


 白戸さんは、声のトーンを変える。

 いつもの、俺を励ましてくれる白戸さんに戻る。


月並つきなみな言葉になるけど、君はまだ高校1年生だろう? 僕たちおじさんの人生観からすると、まだ生まれてすらいないよ。才能の有無は置いといて、椅子取りゲームの参加券は余裕で残ってる。作家になりたいなら、これからの時間の使い方次第だよ。がんばれ。阿久津くん」


 ハッハッハとわざとらしい笑い声で、SNS通話は切れた。

 すぐにスマホが震えて、白戸さんのメッセージが送られてくる。


『君がどうあろうと、一人の大人に向かう道を歩み始めたことを嬉しく思う』


 俺はスマホに向かって、深く頭を垂れた。

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