第21話 碇くんって、何者?

 月日つきひは流れるように過ぎていく。


 ゴールデンウィーク前に3作目『超かくれんぼ』の初稿しょこうを提出。

 さらに、ゴールデンウィーク明けには2作目『密告フェス』が発売された。


 落ち着いて評判を漁る暇もなく、6月頭には西鳳せいほうの文化祭。

 文化祭では文芸部は無料配布の部誌を出すそうで、俺は学校からこっそりと短編小説の寄稿きこうを求められた。俺の入学の条件が「文芸部に在籍ざいせきする」であった以上、断れることではない。20ページぐらいでいいということなので、白戸さんからボツをくらったネタの中から良さそうなものを選んで書き上げた。それを提出したら、今度は超かくれんぼの修正だ。白戸さんからワープロソフトでコメントをつけられており、真っ赤っかだ。他の作家はどうか知らないが、俺は初稿と同じぐらい、直しに時間がかかる。誤字、日本語の使い方の間違い、セリフや場面のカット……直す必要があると判断される場所が膨大ぼうだいだからだ。


 白戸さんとの取り決めでは「1年に3冊刊行」が目標とされていた。

 つまり、4ヶ月に1冊のペース。

 出す目標月は5月、9月、1月だ。そこが、本が売れやすい月らしい。


 俺はてっきり、作家というのは数年に1冊ぐらいだと思っていたが、そうではないらしい。作家にはしゅんがあって、その期間はこれぐらいのペースが普通とのこと。若者向けの小説なら、毎月1冊出すという人もいるそうだ。そんなことを言われたら「できません」とは言えない。実際、デスバ島は約2ヶ月で書いた。それに、デスバ島のような「金のなる木」はいくらでも、できるだけ早くほしい。頑張れるだけ頑張るべきだ。


 3作目『超かくれんぼ』の直しにかかりきりになっていると、いつの間にか5月が終わっていて、6月の文化祭当日となった。


 部員6名の共著きょうちょとなる部誌は、俺が一人で出している本よりも薄かった。

 小説を書いたのは箱崎はこざき部長、足立あだち先輩、俺の3人だけ。どれも短編なので、全部あわせても150ページ程度だ。掛川かけがわ先輩と狭山さやま先輩も小説を書くと表明していたが、間に合わなかったらしい。急遽きゅうきょ、短歌や俳句?(川柳せんりゅうと言うらしい)を書いてお茶をにごしていた。

 ……先輩たちが間に合わなかったというのは、少し驚いた。白戸さんのチェックが入らない書き殴りでいいなら、俺なら平日3日あれば充分だ。土日なら1日作業だ。毎日更新していたデスバ島の1話も、小説にしたらだいたい10ページぐらいだったし。……いくら本読みでも、そういうもんなのかな?


 そして普通じゃないあいつ、いかりは――


 20ページにわたり、おすすめの小説10冊を紹介していた。


 俺の小説が入っていないことがむかつくが、どれも大作家? の作品らしく、それなら仕方ないだろう。語り口は、碇の気持ち悪さ全開だ。興味を引く度合いで言えば、俺や先輩たちの小説に勝っているとすら感じる。実際、クラスの中には、文芸部員(俺含む)が書いた小説は読まないが碇の書評は読んだというやつがちらほらいた。あの中学ではずっと目立たなかった碇が、クラスでは一目置かれるような結果になったのだ。


 ……まあ、文芸部に入ってよかったんじゃないか、碇。

 文化祭が終わると、代替わりが行われた。

 唯一の3年生だった箱崎部長が引退。

 副部長だった2年生の足立先輩が部長となり、掛川先輩が副部長となった。

 4月から新入部員は増えず、文芸部は2年生3名と1年生2名の5名となる。

 箱崎先輩は、引退の際に言った。


阿久津あくつくん」


「はい」


「一度でいいから、読書会、来てほしかったな」


「すんません」


「まだ遅くない。新部長のもとで読書会に参加しなさい」


「行けたら、行きます」


「絶対こないやつ~!」


 箱崎先輩は泣き真似をする。文芸部において得難いキャラだと思う。


「そして碇くん」


「は、はい」


「君、書きなさい。阿久津くんをヒヤッとさせなさい」


「えぇ……僕は……」


 箱崎先輩は太い眉毛をつめて、真剣な表情で碇に言う。


「きっと、君にとってイマイチでも、他の人にとっては完璧に見えたりする。君の弱点は明確。読みすぎて、いいものに触れすぎて、そればかりを記憶に残しすぎて……目がえすぎてる。もっと無神経に……いや、君の場合は、もっと性格悪くなりなさい」


「え、えぇ……」


「以上。実は私のこと好きだったとか、付き合ってほしいとか、そういうのは後で、LINEでこそっと連絡しなさい。ここにいる面子めんつなら……ふります。……ショック?」


「…………」


 みんな、無言。

 大変申し訳ないが、箱崎部長は憧れの先輩というより、マスコットキャラ的な存在だ。


「では連絡待ってるので。それでは……西鳳文芸部に、さちあれ!」


 元部長は、クラッカーを鳴らされて退場していった。

 その後ろ姿に、2年生の先輩たちも、碇も、また遊びに来てくださいと声をかけている。

 箱崎先輩たちが率いた文芸部は、小さな部活だった。だが、仲は良かったらしい。


 文化祭の翌週、俺が家で作業していると、白戸しらとさんから着信があった。

 3作目『超かくれんぼ』も詰めの作業に入っている。

 たぶんそのことだろうと思って、俺は通話を始めた。


「阿久津君、お疲れさま。『超かくれんぼ』の表紙デザイン、来週まで待ってね」

「わかりました。楽しみに待ってます」

「いい表紙になると思う。いい表紙にしないといけない……」


 なんだか、声が疲れている。大丈夫だろうか。


「あ、そうそう、部誌読んだよ」


「え? 白戸さん、文化祭には来てないんじゃ」


「ハハハ。実は学校に言って送ってもらってたんだ。阿久津くんの著作が載る本だからね」


「は、はぁ……ども……」


「うーん、地方も侮りがたしだね。思っていたよりも全然レベルが高い。特に部長さんの短編は、かなりすごい。ぶっちゃけ、色々な大学にあるファッション系の文芸部よりも、レベルが高いというか――」


「え? 部長のって……箱崎先輩の?」


「あれ? まだ読んでない?」


「あ、はい……」


「こらこら。先輩たちが書いたものなんだから、読んでおかないとまずいよ。そういうところも、案外大事だからね」


「あ、はい、すみません……」


「で、小説も良かったけど、特にこれ……『年代別おすすめ小説十選』」


 俺はどきりとした。それは、碇が書いたコーナーだ。


「  70年代それ以前……『麻雀マージャン漂流記ひょうりゅうき』『黒い巨塔きょとう

 80年代……『白革しろかわ手帖てちょう』『せみしぐさ』

 90年代……『ランドス島伝説』『絡新婦じょうろうぐものお断り』

 0年代……『猫の太陽儀たいようぎ』『模造犯もぞうはん

 10年代……『ライオン・グリーン』『剣と鍵の季節』

 ――?」


 本気で尋ねている声だった。

 電話口の向こうで、白戸さんの目が光っていることがわかる。


「え……いや、1年生で、普通のクラスメイトで……」


「もしかして、前に阿久津くんのデスバ島を『対談たいだんの彼女』って言った子じゃない?」


 当たりだ。

 よく覚えてるなぁ……というか、地方にいる一高校生を、又聞きと記事だけで特定することができるのか……? それぐらい、あいつのやってることは特徴的なことなのか?


「そ……そうです。俺のデスバ島、すごく面白かったって褒めてくれて」


 俺は早口になっていた。


「なるほど。ということは元三中さんちゅうか。もしかしたらそのうち、僕の方から、連絡をとってみるかもしれない。というか、阿久津くんが紹介してくれたら早いんだけど」


「い、いや、そんな。あいつ、本はそこそこ読んでるみたいだけど、自分で小説書こうって気はないみたいですよ。文芸部の先輩たちから書けって言われても書かないで、紹介コーナーにした感じだし。べつに、普段も面白いこととか言わないし」


「ふうん……でも、記事はよく書けてたけどな。ちゃんと全部、本が持つ面白さを伝える紹介記事になってたし。ただのファンとは少しちがった目線でね」


「はあ……まあ、そういうのは得意なんじゃないかな、あいつ」


「わかった。それじゃ本題だけど……」


「え、まだ本題じゃなかった?」


「うん。二週間後の雑誌の取材と、三週間後の雑誌の取材、取りやめになった」


「え?」


「理由は不明。先方はごにょごにょ言ってたけど、一方的なキャンセルだね。……どちらも、他の星月社せいげつしゃの作家にするってことだから、僕としては不本意だけど、社としては許す感じ」


「他の作家のインタビューになった……? え、なんで……?」


端的たんてきに言おう。2作目『密告みっこくフェス』がかんばしくない。ネットは大荒れだ」


 文化祭の前に出た俺の2作目『密告フェス』。

 中学校が舞台で、生徒会の「目安箱」に匿名とくめいの殺人依頼が届く。いたずらだと教師も生徒会も相手にしないが、その対象となっていた生徒が不可解な自殺を遂げる。さらに二人目三人目と繰り返される。殺人依頼が、何者かによって実行されている? でも現場はどう見ても自殺だぞ? という小説だ。容疑者は目安箱を見ることができる生徒会のメンバーと、先生だけ。主人公は生徒会の一員で、自身の犯行と疑われつつも「依頼人」と「実行犯」両方の犯人探しをする……という話。


「初版1万部は完売。2刷目でプラス1万部刷るも、勢いは弱く、年内の重版じゅうはんは厳しそう――そんな感じだな」


 俺は耳を疑った。


 え、なにそれ、つまりそれって……2万部ってこと?

 刷ったのは2万部だけど、実際に買われたのは、今、1万部とちょっと?


 そんな馬鹿な。

 だってデスバ島は、初版で3万部、そこからも増刷が続いて……

 その俺の、2作目なんだぞ?

 デスバ島よりも、あんなに時間かけて、頑張って書いたのに?


 俺はてっきり、デスバ島よりも売れると思っていた。

 デスバ島だけでも相当裕福になったから、密告フェスで金持ちになると思っていた。

 日本人の平均年収ってやつを超えてしまうだろうと。

 だが、2万部だと……100万円ぐらいだ。書くのに、半年以上かけて。


「……えっと、こんなもんですか? これから伸びるとか?」


「……厳しいな。最初の1万部が売れたのは、デスバ島のおかげだよ。小説は、中身を読んでから買うもんじゃない。読む前に買うものだから。デスバ島を面白いと思ってくれた人たちが、真っ先に買ってくれた。ただ……そこからの急な減速は……買って読んだ人が『買わない方がいいよ』って周りに言わないと、この結果にはならない」


 買わない方がいい……?


「なんで? 俺、一生懸命書いたのに」


「うん。君は一生懸命書いた。すごく頑張ってたのはよく知ってるし、認める。だけど、人気商売なんだ。お客さんが面白いと思わなければ、結果は厳しいものになる。だから、編集長も、読者もひざを叩くような4作目を期待してるよ。……そうだ。僕がおすすめした本を読まないのなら、碇くんの十選を読んでみるのはどうかな? 阿久津くんには難しいかもしれないけど、ヒントはいっぱいあると思う。いいかい? 執筆に入るまでの時間を、有効に使うんだよ」


 そう言って、電話は切れた。


 俺は呆然ぼうぜんと、カレンダーの二週間後と三週間後の休日に、バツを書いた。

 宮国まで来ると言っていた文芸雑誌の取材は、キャンセル。無くなったのだ。


 梅雨のぐずついた天気が、カーテンを開けっぱなしの窓に斜線しゃせんを引き始めた。


 見る見る内に、雨脚は激しくなっていった。

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