第20話 お口あんぐりの先輩

 俺と碇の入れ替わりは、ものの数日でバレた。


 そりゃ、同じクラスで外見もぜんぜん似ていないのだから、噂話でほころびが出る。

 先輩たちからは、部室の中にあった手作りのハリセンで、笑いながらパチンとやられただけだった。まあ、こんなもんだろう。

 ところが、そこからの反応はちがった。



「納得できない……」



 パイプ椅子にちょこんと座った箱崎はこざき部長は、口をあんぐりと開けて呆然としている。


「本当に『こっち』が阿久津あくつじん先生なの……?」


 2年生の眼鏡男子、足立あだち先輩が学生証と俺たち本人を見比べている。


「オーラからしたら、誰が見てもいかりくんでしょ」

「プロの作家がまったく本読まないって、そういうもの?」


 そばかす男子の掛川かけがわ先輩、メルヘン女子の狭山さやま先輩も、疑惑の眼差しを向けている。



「納得できない……」



 再びの箱崎部長。すごく納得できないらしい。


「先輩、お口閉じて。虫が入りますよ」


「はい……」


 箱崎部長はロボットのように口を閉じる。目は死んだままだ。


「……俺は書き専で、碇は読み専。それでいいじゃないっすか」


「ま、まあ、確かに? 実際、阿久津くんは大先生なわけだし……」


 箱崎先輩は、うーんと腕組みして考えている。


「書きのエースが阿久津くんで、読みのエースが碇くん。それでいっか。大型新人が2人! 今年の文芸部は、大収穫。文芸部の未来は明るいね!」


 部長は、そんな風に締めくくった。みんなが拍手をする。

 今のところ、たった2人しか新入部員がいなくて、本当に明るいのだろうか……?

 そういえば、先輩たちだって3年生が1人、2年生が3人と、学年に数名レベルだ。

 音楽系やイラスト系の部活はもっと大所帯だと聞く。ボードゲーム研究会なんて、入部希望者が殺到して体験会すら順番待ちだと聞いていた。西鳳せいほうでも、本読みというのはレアなのか? 頭のいい高校だから、文芸部ってもっといると思ったんだけどな。


 ……いや、それもそうか。

 中学どころか小学の高学年から、俺たちの共通の話題はネット動画だった。

 コメントをつけられる動画投稿サイトが出て、音声合成ソフトが歌って、その歌にイメージビデオがつけられて……MADという切り貼り動画が流行って……誰でも楽しめる終わらない娯楽が、ネットだったのだ。しかも無料。優等生たちだって、当然に入り浸っていた。地元の中学生が書いたというデスバ島がなければ、三中さんちゅう宮国みやぐに市で「小説」が話題の中心になることなんて、一瞬たりともなかっただろう。読書なんて、それほどまでレアな趣味になったのだ。


 俺は勝手に作り上げていたイメージと、現実のズレを認識する。

 西鳳みたいな頭のいいやつを集めた高校で、ここにいる5人しか読書趣味がいないなら……大丈夫なのか? 作家業……?


 いや、まあ、俺のデスバ島は全国で何万人と売れてるわけだし。

 そう、日本はものすごく広いんだ。きっと大丈夫だ。


「そんじゃ俺、次の作品急かされてるんで、帰ります」


「お、おお……プロっぽい……!」


 足立先輩が憧れの目で俺を見る。気持ちいい。

 椅子から立ち上がった俺に、箱崎部長が尋ねた。


「阿久津くん、木曜日の読書会は?」


「すみません、パスです」


「あら残念。余裕があるとき、まず1回、参加してみてよ。聞くだけでもいいから」


「できれば、します」


 俺は、部室を退散した。

 扉を閉めると「最近、こんなミステリを読んだんだけど……」と部長の声が聞こえた。

 読み終わった本について、おすすめしたり、文句を言ったり、それだけでも楽しいのだろう。俺も、漫画やゲームについてなら当然覚えがある。それに、たった数日とはいえ碇の楽しそうなふるまいを見ていたら、よくわかる。


 悪い人たちじゃなさそうだが……

 俺……書くばっかりで、本読まないからなぁ……


 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前から志築しづきが歩いてきた。俺と目が合う。


「え?」


 ここは部室棟ぶしつとうの三階。なんで志築が、ここにいるんだ。

 志築は俺を見て、努めて無視するように視線を外した。


「待てよ。なんで?」


「なんでって。部室があるから」


 無視されないでよかった。

 ボディタッチされたものの「絶対に話しかけないで」は今でも耳に残っている。


「部室? 部活、入ったのか?」


「別に、あんたに言わなくてもいいでしょ」


「言ったっていいだろ。そっちは、こっちのこと知ってるんだし」


 そして俺は知っている。志築は、こういう言い方に弱い。

 公平であることを重んじる。一方的に有利であることを嫌う。育ちの良さが生んだ欠点かもしれない。


「……広報部」


「コウホウブ?」


「そう。元々は新聞部だったんだって。でも今は、ネットを使った広報活動も多いから、広報部って名前が変わったんだって」


「は、はぁ……なんで?」


「あんたさ、小説家なのに言葉が足りない」


「え?」


「『なんで?』じゃ、『なんでネットを使うの』『なんで広報部に入ったの』、どっちか判断つかない。話しかけてきた時も『なんで?』だったけど『どうしてここにいるんだ?』でしょ。そこまで言わないと、『なんで俺を追ってきたんだ』にも取れるし」


「え……それ、ダメ?」


「ダメというか……あんたの言葉、いちいちこっちが解釈かいしゃくしないといけないのよ。阿久津くん、本当は何が言いたいんだろうって。聞く側とか読む側に頑張って頭使わせてるの。そういうの、気をつけたらもっとよくなるんじゃないの。小説」


「そうなのか?」


「だから、なんでプロが私に聞くの」


 志築は、半分本気で苛立っているようだった。


「……無駄話してないで、帰って頑張れば。3作目」


 3作目。その言葉に、俺は少し苦いような嬉しいような気分になる。

 志築は数えている。俺の2作目がそろそろ出ることを知っている。


「心のボディタッチ……?」


「いきなり、なに気持ち悪いこと言ってんの。頼むから私みたいなキャラ出さないでよ」


「それはしない」


「うん。じゃあね」


 志築は、広報部の部室の中に消えていった。


 引き戸が閉まると、中から賑やかな声が聞こえてくる。

 ……いいなぁ。

 俺、文芸部じゃなくて広報部に入りたかったかも。

 文芸部にいても、先輩たちと碇の話、全然わかんねえし……


 俺は首をふる。

 ちがう、そもそも俺には時間がないのだ。

 俺はどちらかというと、部活には入らず、放課後にバイトしている生徒たちの側なのだ。

 バイトどころじゃない。俺にとっては生業せいぎょうだ。もう始まっている社会人生活の、生計を営むための仕事なのだ。一生の仕事なのだ。


(帰って頑張れば。3作目)


 ……単純なもんだ。

 それだけで今日は、足取りが軽い。しっかり頑張れる気がした。

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