第19話 入部!

 オリエンテーションだらけの一週間はあっという間に過ぎた。


 生徒同士で牽制けんせいしあっていたような空気も、各教科の初授業のたびに繰り返される自己紹介ラッシュでだんだんとほぐれていき、の高校生の顔が浮かび上がってくる。


 西鳳せいほうなんてところに来るのはどんなクソ真面目たちかと思いきや、ノリは三中さんちゅうの悪友たちと変わらず、助かった。ただ、本人たちは無意識なんだろうが、一息で話す量がやけに長い。俺が書いてきた小説のリズムとはかなりちがっている。


 西鳳は、いい意味で明るい高校だった。

 大学受験に向けてどうのこうの……かと思いきや、学校は勉強よりも部活動を推奨すいしょうした。

 なんとなく、二番手高校という立場がそうさせている気がする。勉強では、北高きたこうに勝てないと教師たちは思っているのかもしれない。もしかしたら、生徒たちも。だから、「勉強一色の北高に対して、自分たちは部活動中心で個性豊か、人間味がある」という方向に向かっているというか。北高も西鳳も、学校帰りには市内に1つしかない商店街で当然にかちあう。その時に対抗するために、少し躍起やっきになっている気もする。

 施設のすごさについては、県立の北高と大差ないらしい。西鳳が私立なのに大したことないというわけではなく、北高が県立なのに豪華すぎるらしい。なんでも、宮国市のギイン? のほぼ全員が北高出身とかで、北高は寄付金だけで余分な体育館が建つほどだとか。靴箱もなく、掃除も業者がするらしい。宮国のようなへんぴな場所にも、金持ちというのはいるようだ。


 そんなこんなで、部活動のオリエンテーションはとてつもない熱量だった。

 体育館で、運動部も文化部も、熱烈なパフォーマンスで新入生たちにアピールした。

 やはり、驚いた。三中には、学校の行事を前向きにこなすムードなど、存在していなかったからだ。2年生や3年生の先輩たちが、この学校での生活を肯定こうていしていることが伝わってきた。


 なるほど……変にはすに構えないで盛り上げようとすれば、学校生活ってのは楽しいものなのかもしれない。

 高校入学2週目から、放課後は部活動見学の時間となった。

 見学、体験入部、仮入部……看板を持った先輩たちが廊下をまわり、新入生を物色している。


 俺は学校命令で、文芸部に入ることになっているが……

 正直、乗り気じゃなかった。俺、小説とか読まないし。


(でも、一度も行かないのはまずいよな……)


 最悪、『契約不履行』で退学にされるかも。スポーツ推薦すいせんで入学した生徒が、その運動部に入らなければ、それは問題だってことぐらいはわかる。


 なんか嫌だなぁ……本読みの巣窟そうくつに行くの。

 でも俺は作家なわけだし、神としてあがめられるかも……?


 まさに、期待と不安が半々という気持ちだ。

 ……もう少し後に、こそっと行こうかな。


 教室でさてどうしたものかとためらっていると、なんとそこに、志築しづきがやってきた。ポニテは入学式以来ほどかれて、髪は肩の上で切り揃えられている。三中出身の西鳳生は数えるほどしかいないので、変な噂が立つ前にポニテは封印……なのだろう。残念だ。

 現に、男子を振り切って来たらしく、置き去りにされた男子連中が俺たちを見て、ひそひそ話をしている。「やっぱり作家だから……」「いや、中学が同じだろ」「ふーん……」


 志築は俺と少しだけ視線を合わせると、すぐに目をそらして、事務的に言った。


「……行かないの?」


「え?」


 なんのことかと思った。


「入るんでしょ、文芸部」


「まあ、一応」


 もしかしてお前も――? そう言いかけたとき、志築は俺の後ろを目で促した。


いかりくんと一緒に行けば?」


「「え?」」


 驚いたのは俺だけじゃなく、なぜか残っていた碇もだ。


「碇くん、入りたいんでしょ。文芸部」

「そ、それは……どちらかというと……そうかなって」

「それを入りたいって言うの」

「あ、うん、そうなのかな……?」


 あわれ、自分の感情を他人に決められる男。

 碇は照れたように頭をかきながら、言う。


「だけど……明日でもいいかなって」

「明日でもいいなら、今日でもいいでしょ」

「え? そ、そういうもの……? そうかな……?」

「そうなの」

「そうかぁ……」


 哀れ、押し切られる男。

 くそ、案外この二人、いいコンビに思えてしまった。


「ほら、一人で行く勇気がなくても、二人なら大丈夫でしょ。あんたたち」


 志築は俺の背中をバンと力強く叩くと、すたすたと教室を出て行く。


 痛ってぇ。

 思いきり叩きやがって。


 でも……


 …………


 嬉しい!!


 今の。今のって、仲良し的なコミュニケーションじゃん?

 去年のあの夜以来、絶交状態が続いていた。卒業式ですら、一言も話せなかったのだ。

 志築は、少しは俺を許してくれたということだろうか。

 妙なえんから同じ高校同じクラスになったから、仕切り直しということ……?

 もともと竹を割ったような性格の志築なら、それは充分にありえる。

 いや……今のはどちらかというと、碇を助けただけか? いや、どうでもいい。

 嬉しい。志築に背中を思いっきり叩かれて嬉しい。


「阿久津くん、ニヤニヤしてる……」


「いや、してない」


 碇が、ニヤニヤ笑いで俺を見ている。


「そうかな……してたよ。志築さんにボディタッチされて」


「お前な。ボディタッチとか変な言葉使うな」


 ボディタッチか。いい言葉だ。今度小説で使おう。


「……で。行くか? 文芸部っての」


「……うん。行かなかったら、志築さんに怒られそうだし」


「……そうだな。俺も碇を連れていかなかったら、また軽蔑けいべつされそうだ」


「やっぱり軽蔑されてたんだ」


「ああ。滅茶苦茶な」


 俺たちは、並んで廊下に出る。


「文芸部の部室、知ってる?」


「知らん。部室棟ぶしつとうってのにあるんじゃないか」


「部室棟って、どこだろう?」


「頑張れ」


「そんなぁ……」


 俺たちは二人で、金のかかった白壁しらかべの校舎を歩き回った。

 正直、文芸部への興味は薄れている。今となれば、元からあったかどうかも疑わしい。


 志築のボディタッチのせいだ。

 志築は、どこか部活に入るのだろうか。

 俺の執筆内容を監視するとかなんとか言って、文芸部に入らないかな……

 俺が小説書くなら、絶対にそういう設定にするけどな……


「志築さんのこと、考えてる?」


 碇が俺の顔を見て、たずねた。


「そんなわけない」


「僕は考えてた」


「お前、ずるいな!?」


「いや、阿久津くんと志築さんのこと、考えてたんだよ」


「どんな趣味だよ……」


「なんか、阿久津くんに、悪いなって」


「……は? なにそれ? どういう意味?」


 もしかして碇と志築、お前たち、もう付き合って――


「阿久津くんが軽蔑されるの。悪いなって」


「そう。全部俺が悪いんだ」


 いちいち強調して、むかつくヤツだ。

 だが、碇は首を振った。


「いや、そうじゃなくて……志築さんが阿久津くんを軽蔑する理由が、そういうことなら……僕だって、軽蔑されないと駄目だなって」


「え、なに? お前も書いたの? 志築をモデルにしてやばいやつ」


「ちがうよ。書いてないよ。でも……『デスバとう』は……僕も、その……瑞樹みずきは、志築さんを思い浮かべて、読んでたから」


 ……まあ、モラルは置いといて、読解問題的には正解だ。それは、国語教師の朽木くちき先生からお墨付きをいただいている。「誰だってわかる」と。しかし……


「お前……思ってたより、正直なんだな」


「阿久津先生の描写力のおかげだよ。瑞樹だけ、極端に外見描写が多いんだ。うなじがどうのとか、足首のすじがどうのとか……」


「主人公なら普通だろ」


「いや……他の女子キャラクターの10倍、男子キャラクターの30倍、それぐらい描写が多いよ。他のキャラクターは、どんな外見か全然わからないのも多いのに」


「なんだそれ。褒めてんのか、けなしてんのか」


「いや、描写密度に極端なむらがあると、作品への没入感が――あ」


 碇が急に、ぴたりと足を止めた。

 数階建てだが、少しこぢんまりとした建物に足を踏み入れた時だ。


「着いたみたい。ここが部室棟、だよね……?」


 本校から切り離されたここは、各文化部の部室で埋め尽くされているらしい。

 廊下の左右にならんだ部室のドアは開けられていて、2年生や3年生が新入生の勧誘をしている。「見学だけでもどうぞ~」「仮入部だけでもいいから」……

 まぶしい。

 女子の先輩の方々が、まぶしい。

 つい最近まで中学生だった俺たちに、もうすぐ17歳か18歳になろうというお姉さんたちは、刺激が強すぎた。かわいいなんて超えて、美しい。いやらしい目抜きにして、美なのだ。


 なるほど。白戸さんが「高校に行った方がいいものが書ける」なんて言っていたのが、頭でなく心でわかった。これはたしかに、家に引きこもって書くのと情報量がちがいすぎる。あと、日帝にっていに行ったみんな、ごめん。


 階を上がり、賑やかな勧誘が響く廊下に、一つだけ閉ざされた引き戸がある。

 逆に目立っているそれは、プラスチックの表札に「文芸部」と印刷されていた。


 俺と碇は、お互い目を合わせてうなずく。

 ……開けろよ。いや、阿久津くんが。碇に譲るよ。いや、阿久津くんが主役だよ……


 無言のまま譲り合いが行われ、俺が拳を出すと碇も拳を出した。

 ジャンケンに勝利したのは俺だった。碇は渋々しぶしぶ、扉に手をかける。


「すみません……」


 ぱんっ! ぱぱぱんっ!


「ひぃ!?」


「「いらっしゃーい!」」


 クラッカーが鳴った。きらきらに輝く柄物が碇を襲う。

 中にいたのは、4人の生徒。男子が2人、女子が2人。

 長机を田の字にようにひっつけて、縦長のテーブルのようにして座っている。テーブルの上には、山盛りのお菓子。さすが高校……! お菓子持ち込みで保護者呼び出しだった三中とは、世界がちがう!


 テーブルの一番奥、お誕生日席に座っていた女子の先輩……? が俺たちに近づいてくる。

 座っていた時と立った時で頭の高さがほとんど変わっていない。すごく小柄こがらな人らしい。


「もしかして? もしかしてもしかして~?」


 小さな体から、張り上げるような馬鹿でかい声が出ている。

 体内に収まらないエネルギーを持つタイプらしい……


「現在の日本最年少プロ作家、阿久津仁先生ですかー!?」


 そう言って小柄な先輩がボディタッチ……じゃなくて、両手で手をとったのは――

 俺じゃなくて、碇だった。


「え、いや、僕は」

「そうですよ」


 なんか腹が立ったから、俺は先輩に同意した。


「そいつが阿久津仁。中学からの同級生で、デスバ島の作者です」


 わーーーーっ!

 先輩たちは歓声を上げた。誰も疑っている様子はない。デスバ島を持ってサインをせがむ者、貯金額を聞き出そうとする者、編集者と仲をとりもってくれとにじり寄る者……

 碇は先輩たちに囲まれて、もみくちゃにされた。


「ち、ちが、僕は……」


 俺は碇の耳元でささやく。


「面白そうだから、続けろよ」


「でも」


「ばれるまででいいから」


 えぇ……と碇は情けない声を上げる。

 小柄な先輩が、碇の前に仁王立ちして元気よく言う。


「自己紹介がまだだったね。私は箱崎はこざき香織かおり。唯一の3年生にして、文芸部の部長です」


 3年生は1人だけ……ということは、他の3人は全員2年生なのか。

 箱崎先輩は、碇の後ろに所在なく立っていた俺に尋ねた。


「そっちの君は?」


「阿久津とは中学から馴染みの、いかり哲史郎てつしろうです。本は全然読みません。付き添いです」


「そうなんだ! そんな感じする! まったく読書ってキャラじゃない!」


「どうも。あと、先に一応謝っておきます。すんません」


 碇と入れ替わっていてすみません、だ。

 だが先輩は勘違いしたようで、


「いいのいいの、うちは初心者大歓迎! 活動内容って言っても年に1回の部誌と週に1回の読書会だけで、それも自由参加だから……」


 俺と碇は説明を聞く。ゆるい部活らしい。

 週に1回の読書会、それも自由参加となれば……活動内容、ほぼ無いのでは? 文化部ってこんなもんか?


 放課後、学校に自分たちだけのアジトを得て、お菓子をつまみながら過ごす……

 あれ? けっこう最高では?

 メンバーが本読みばかりでなければ、入り浸ってしまいそうだ。


「えー、部室は交流の場なので、お喋りが尊重されます。読書や宿題をしてもいいけど、静かに集中したいなら部室の外で……図書館に行ってやりましょう。お喋り側は配慮しないでいいです。携帯電話とパソコンは部室の中では使っていいけど、ゲームと動画は禁止。家に帰ってやりましょう」


 西鳳は敷地内に立派な図書館を持っている。図書室ではないのが、いかにも私立らしい。


「あのー」

「なんでしょう碇くん」

「PC持ち込んで、小説書いたりするのは?」

「おっ……そうだった。ご友人の阿久津くんはバリバリに書く人だったね」


 碇に扮している俺は、書いたり読んだりする人間だとまったく思われていないらしい。


「んー……やっぱり部室は交流の場にしたいから、お喋り優先かな。うるさい中で書けるなら、書いてもいいけど。でも図書館でキーボード叩くわけにもいかないよね……」


「先輩たちは、書かないんですか?」


「文化祭で出す部誌には短編小説とか書く人もいるけど……その期間だけパソコン持ってきたり、さっさと家に帰ってふんばる感じ。1年中書いてることはないからなぁ……」


 なるほど。基本的に読み専の人たちらしい。俺とは真逆だ。


「ま、とりあえず名簿に名前書いちゃってよ。それで仮入部になるから」


 バインダーに挟まった名簿がニセ阿久津仁……碇に渡される。

 碇は俺をちらりと見る。俺はうなずき返す。

 碇は「阿久津仁」と名前を書いた。書道でもやっているような達筆だ。千回は書いてきた俺の名前なのに、俺よりも上手くて腹が立つ。

 俺も張り合うように「碇哲史郎」と書いた。だが、暴れ回った字になった。


「碇くん……書き順がカオス……それにひどい金釘かなくぎ文字だね……」


「阿久津先生のように、頭よくないので」


「阿久津くんは知性がにじみ出てるね。さっすが~」


「あ、ありがとうございます……」


「第一志望は北高だったの?」


「あ、いや、僕は西鳳を専願せんがんで受けてて……北高は内申点が不安だったから……」


 その日、俺と碇は、素性が入れ替わったまま文芸部に入部した。


 話題は自然と文芸トークになり、ニセ阿久津(本当は碇だ)は先輩たちを圧倒した。

 先輩たちが挙げた作品に対して、ニセ阿久津が「読んでない」と言った作品はゼロだった。当然、隣で聞いていた俺が「読んでいる」と言えたものは一つもない。

 卓上のお菓子をつまんで1時間も経つ頃には、阿久津仁の株は上がりまくっていた。不本意にも、本物ではかなわない偽物の大活躍によって。


「さすがプロの作家……」

「デスバ島みたいなの書いてても、その下地にはあらゆる文芸が素養として……」

「プロは……怖いや……」


 本読みの先輩たちは、圧倒的な力量差を感じているようだ。


 ……すっげえ。

 なんか、すいすいと完全制圧しちゃったよ。碇。

 やっぱりこいつ……滅茶苦茶すごいやつなんじゃないか?


 先輩たちはニセ阿久津に畏敬いけいの眼差しを送っているが、そばで「付き添いの碇くん」をしていた俺はたまったものじゃない。


 ニセ阿久津も、先輩たちも、異常なものにしか見えなかった。

 この人たちの言ってることが……ノリが……全然わからない……

 ミステリとサスペンスのちがいは、なんとなくわかる。じゃあサスペンスとホラーのちがいは何だ。考えたこともない。歴史小説と時代小説? 何がちがうんだそれ……?


 まだ学校の授業の方が、何を話しているのかなんとなくわかる。

 あの作者が最近書いたアレはどうこうだった、なんて話題のふられ方をしても最初から最後まで宇宙語だ。俺は、そういうことができるのは碇みたいな異常者か、白戸さんみたいなプロの編集者しか無理だと思っていたのだ。

 どうやらここでは、碇ほどではなくても、多少はそれができることが普通らしい。


 残念だが……ここには、馴染めないな。


 すぐに俺は、結論を出していた。

 活動内容は週に1回の読書会って、週に1冊読むってことだろ?

 それって、全部出席したら1年でとんでもない数読むことになるんじゃ?

 無理無理、そんな読書漬け、時間的に無理。書く時間がなくなる。

 学校からは在籍しろと言われただけだから、活動には不参加でも大丈夫なはずだ。さすがに人前で書くのは無理だし、学校側もわかってくれるだろう。


 結局、この日は最後まで入れ替わったままだった。

 そのうちバレて、怒られて、なんだかんだのネタになるだろう。

 冗談とはいえ先輩たちを騙しているわけだが、今日の所はそれでいいと思った。

 本のことで質問攻めにあい、こんなに楽しそうに話す碇は、見たことがなかったからだ。

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