第18話 麻衣で舞い上がる

 俺は、漫画の主人公なのかもしれない。


 そう思ったのは、後にも先にも高校入学初日、教室の中に志築しづき麻衣まいの姿を認めた時だけだ。


 うおっ、まぶし……


 白いセーラー服に青いリボン、こんのハイソックス。西鳳の制服を着た志築は、輝いていた。髪型は三中卒業式と同じ、少し短めのポニーテール。そのまぶしさに、俺は目を焼かれた。

 向こうも、露骨ろこつに驚いた顔をしていた。


 なんで、あんたがいるの――?


 入学式。出席番号順に並んだ列で、校長の(たぶん保護者向けの)挨拶あいさつを聞き終えると、俺たちは担任の教師に連れられて、列のまま教室へ移動した。

 阿久津あくつじん。この名前は、かなりの確率で出席番号1番になる宿命さだめを背負っている。案の定、俺は入学式から列の先頭で、教室でも右端の一番手前に座ることとなった。そして、他の生徒たちが席に座っていく間に――


 ちょんちょん


 と、背中をつつかれた。

 なんだと思って振り向くと出席番号2番――いかり哲史郎てつしろうがそこにいた。


 げ……背後に、お前かよ……?

 感想文集みたいなこと、やめろよな……?

 いや、あれも出席番号が近かったからそうなってたのか……


 碇は目を細めたまま、俺をつついた指先を左へそらす。


 ……?

 二つ隣の列の真ん中――教室の真ん中近いそこには、席に座ろうとしている志築がいた。


 まぶしい。女子高生志築。まぶしい。


 志築も俺と碇を見つけて、目を見開いて硬直した。

 そして、こわばった顔のまま何事もなかった風をよそおい、着席した。


 目を細めた碇が、顔を近づけてきて小声で言った。


(よかったね)


 うるせえ。それ、志築に言ってみろ。ビンタされるぞ。

 あとたぶん、志築のポニテは今日限りだ。それについてはすまん、碇。


 正直に言って、嬉しかった。

 めちゃくちゃ嬉しかった。飛び上がりたいぐらいだった。


 これは仮クラスで、このあとさらにクラス替えなんてないよな? と、担任の挨拶も聞かずそればかり考えていた。本当だよな? 確定だよな?


 運がいい。めちゃくちゃ運がいい。


 西鳳の1学年は8クラスもある。同じクラスになるのは、確率的には8分の1だ。俺はそれに勝ったのだ。純然じゅんぜんたる運だ。馬鹿ヅキだ。なぜか、碇までついてきてるけど。


 デスバとうが人気になっていったときは、軽い気持ちで転がした雪玉が巨大になっていくような感覚に驚きはしたものの、「運がいい」とは思わなかった。なんせ、約2ヶ月ものあいだ、毎日勉強するふりをしながら何時間も考え、何時間も書き続けていたのだ。自分で作り込んだ実感がありすぎて、好評について、運がよかったと思える余地が少なかった。


 しかし、志築と一緒のクラスになれたことは純然たる運だ。

 やった……少なくとも1年間、志築と一緒のクラスだ。

 中学とはちがう、自由度の大幅に上がった高校生活を、志築と一緒に過ごせるのだ。

 日帝にっていの男子校スタイルを回避できただけでなく、落ちついた西鳳でハイソな高校生活を志築と一緒に……


 舞い上がっている俺は、これが夢ではないことを確かめるように、担任に体を向けるふりをして目の端で志築の凜々りりしい顔をチラ見する。


 志築は真剣な顔で担任の話に耳を傾けている。

 引き締まった顔だ。でも、わずかにふてくされているような……


 ……俺と一緒の学校になるのは、そんなに嫌だったのだろうか。

 ……いや、もしかして……


 俺は他にも拗ねたような顔のやつがちらほらいることを知り、当然のことに思い当たる。


 志築がここにいるってことは……落ちたのか……? 北高きたこう

 志築の第一志望は、市内トップの県立北高だったはずだ。内申点がオール5に近い生徒しか受けられない、宮国みやぐに市で神々が住む所とされる場所。西鳳にいるということは、北高は落ちたにちがいない。


 マジか。落ちる……というか、負けることってあるのか。あの志築でも……


 ちくりと胸に棘が刺さる。一緒のクラスになれてよかったなんて、相手の不幸を喜ぶようなものだ。それにもしかしたら、俺のせいで塾を途中で辞めたから……


 俺は危険な考えを打ち消す。


 ちがう、きっとそこまでは俺のせいじゃない。塾を辞めて、家庭教師を雇ったって言ってたじゃないか。もしかしたら、塾よりも成績は上がったのかもしれない。志築が塾を辞めることになったのは俺のせいだが、北高に落ちたことまでは俺のせいとは限らない。


 そして、俺は教室の中にある微妙な緊張感を確信する。

 ……ここにいるほとんどが……北高を受けて、落ちてきたやつらなんだ。

 西鳳せいほうに滑り止めで受かって、北高には入れなかったから、仕方なくここに来たやつら。

 中学ではエリートとして無双してたけど、誰の目にもわかる敗北を与えられて、プライドを傷つけられた若者たち……ニタニタしているのは、後の碇ぐらいだ。なんなんだお前は。


 担任の挨拶が終わると、お決まりの自己紹介が始まった。


「それじゃあ、今日の残りは自己紹介だ。出身中学、名前、一言。これから何度もすることになると思うが、出席番号1番から始めようか」


 俺は新たな担任から目で促される。さすが西鳳、スマートな感じだ。白戸さんよりはかなり歳をくっているが、若かったころは白戸さんみたいな雰囲気を持っていたんじゃないかと思う。暴力というか武力が根底にある三中の教師とは、雰囲気がちがう。


 俺は立ち上がり、後ろを向いて自己紹介を始めた。


「……三中さんちゅう出身。今日、中学生作家から高校生作家になった阿久津仁です」


 えっ、という表情が波のように広がる。むっつり顔の志築と、ニヤニヤ顔の碇をのぞいて。


「5月に2作目が出るんで、よかったら買ってください。読まなくてもいいんで」


 生徒の誰かが「……ネタ?」と聞いた。

 すると新担任が「本物だ」と、なぜか得意げに答えた。


 生徒たちの瞳に輝きが宿っていく。俺は、大歓声で迎えられた。

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