第17話 こんなもんか

 卒業証書を家に置くと、夜まで悪友あくゆうたちとカラオケをして過ごした。


 保守的ほしゅてきな家が多いド田舎の宮国みやぐに市では、今日の晩は家族で食べるという家がほとんどだ。俺の家も例外にれず、夜にはきっちり家に帰ってきて、俺の好物となった寿司すしをいただいた。


 あろうことか、親父は俺に酒をすすめた。


「これ、高いんだぞ。一人で飲むにはもったいない酒なんだ」


 そう言って出てきたのは、白木しらきの箱に入った焼酎しょうちゅうだ。

『千年の孤高』と書いてある。


 俺は困惑して、おおふくろを見た。

 白戸しらとさんからは、飲酒、喫煙、ギャンブルは絶対にするなと言われている。成人するまでは、ただそれだけでスクープとなり、作家としての人生は終わるという。小学生でもできる脅迫きょうはくの材料として、充分だとも。若者が注目されるとは、そういうことらしい。


 お袋はお湯を沸かしながら「外に出ないなら、今日だけはいいんじゃないの」と苦笑にがわらいした。


「ほら、一度ぐらい飲んどかないと酒の味が書けないぞ、センセイ」


「む……」


 そう言われれば、確かにそうだ。

 今のところ、登場人物が中学生の小説ばかり書いているが、大人のキャラが酒を飲む場面もそのうち書くことになるだろう。


「では、くれぐれもご内密ないみつに。親父殿、いただきます」


 俺は焼酎のおりを一口だけ含むと、のどの焼けるような感覚に激しくむせた。

 親父とお袋は笑っていた。


 意地で一杯飲み干すと、それだけで顔が火照り、頭がぼーっとしはじめた。

 どうやら俺は、酒豪しゅごうにはなれないらしい。残念だった。「酒が強い」って、男でも女でも、なんかかっこいいと思っていたから。


 中学を卒業して、一つ肩の荷が下りたような夜。

 だが、どこか物足りない、腑に落ちない、こんなもんかという想いを抱えている夜。


 昼間のカラオケで、悪友たちと高校の話になった。

 みんな、一応は県立を受けて合格発表を待っている身だが、落ちて、日帝に行くことになるだろう。本人たちもそのつもりでいるので、お調子者が「祝・三中卒業! 祝・日帝にってい入学~!」と音頭おんどを取って馬鹿騒ぎした。


 日帝は、男女共学を標榜ひょうぼうするものの、実際は「男女別学」で、男子のみの校舎と女子のみの校舎に分かれるという妙な高校だ。一つの敷地内に男子校と女子校があるだけの、男女共学。通学路で積極的にナンパをするようなたくましさがないと、青春は送れない。さらに言うと、女子の制服は罰ゲームと噂されるほど可愛くない。そう言っているのは、男子よりも女子だ。

 他の共学校に比べて、干上ひあがることが約束されているような戦地だ。宮国市内外の不良……暴走族に身を置くやつまで……が集まる場所なので、戦地と言っても何も大げさでない。毎年、夏休み明けには、クラスの4分の1が退学しているという。

 つまりカラオケは「日帝に行っても団結して、なんとか生き残ろうぜ」という決起会だったのだ。

 武闘派ぶとうは皆無かいむで、ゲームやネットが趣味というだけの俺たちは、身を寄せ合って集団として日帝を生き延びる――そういうきずなを確かめあう会だった。

 だから、最後まで言い出せなかった。

 俺、西鳳せいほうに受かってるんだ、とは。


 卒業式から1月ほど前、ちょうど2作目『密告フェス』の直しが終わった頃だった。

 推薦すいせん入試の一次選考せんこう――書類審査に合格した俺は、数日後、西鳳に面接を受けに行った。

 面接は3分もかからなかった。

 にこにこ顔の面接官たちに、西鳳の入学は楽しみか、文芸部に在籍ざいせきする意思はあるか、そう聞かれただけだった。白戸さんから文芸部の話が出たら「入る」と答えるように言われていたので「はい」「はい」と2回相づちを打ったら、あとは面接官の人がずっと喋り続けて、面接は終了した。試験というより、儀式ぎしきだったという感じだ。5分にも満たないことのためにバスで往復したのかと思うと馬鹿らしくなるほど、手応えがなかった。

 そして合格発表の日、俺は当然のように受かっていた。


 すっげー。中学生作家、すっげー……


 合格通知が来たときの、お袋の喜びようといったら凄まじいものだった。

 父方、母方、両方のじいちゃんばあちゃんに電話をかけ、さらに叔母おばにもかけていた。


 まあ、悪友たちには悪いが、お袋が喜んでくれているのは、嬉しい。

 それに、男女別学――実質男子校を避けられたのは素直に嬉しかった。

 西鳳は、制服もかわいいし。

 やっぱり、クラスに女子がいるのは嬉しい。

 というか、それ以外で学校・クラスというシステムに価値を感じにくい。

 デスバ島だって、女子グループの呼吸を知っていたから書けたのは間違いない。


 ……日帝に行く友人たちに、いつ切り出そう。

 卑怯ひきょうにも俺は、悪友たちのいくらかが県立の東校ひがしこうに奇跡的に受かり、あのグループが自然と分解されることを願っていた。その流れの中で、俺、西鳳に受かってたんだと切り出せれば、一人だけのけ者にされることはないんじゃないか。そうでもなければ、絶対に俺は友情をあきらめなければならない……

 酔っ払った頭で、ベッド(自分の売上げで買った)に大の字になり、天井を見上げる。


 ……結局あれから、志築とは一言も話せなかったな……


 卒業式だから、仲直りのイベントがあるかもと、少し期待してたんだけどな……


 さようなら、俺の初恋。


 いや、小学校の頃から恋多き男だったから、初恋じゃないけど……でも、3年間ずっと好きだったのは志築が初めてだった。あと3年一緒にいれば、その3年も好きになってたと思う。5年なら5年、10年なら10年……大丈夫、西鳳にもかわいい子いるって、俺。西鳳だぞ。志築みたいな賢くてしっかり者でかわいい女子がいっぱいいるにちがいない。元気出せ、俺。


 ……なんか、忘れてるような……


 碇……碇か? あいつはべつにいいや……


 どうせ、中学のLINEからいつでも連絡とれるし……


 新刊が出たら、また感想を聞こう。また……褒めてもらおう……


 猛烈な眠気が襲ってきた。


 俺はやっとのことで学ランの下を脱いで、よろよろとスウェットに着替える。

 脱いだときに、学ランのポケットがくしゃっと音を立てた。


 何か入ってる……


 取り出すと、茶封筒だった。


 ……なんだこれ?


 あ、朽木くちき先生にもらったやつか……

 あっぶねえ、完全に忘れてた……


 俺は二つ折りの茶封筒を広げ、びりびりと封を切って三つ折りの紙を広げた。

 そして、寝ぼけ眼でそれを眺めた。


------


【作家 阿久津あくつじん先生へ】


 君もプロだから、情報の取り扱いは知っていると思う。

 君を信頼し、なかなか言えない教師としての本音ほんねをここに書くので、秘密にしたまま、作家業の参考にしてもらえればと思います。


1、勉強をしよう

 学校の勉強なんて、雑学です。ネタの宝庫だと思います。だから、ネタ集めのつもりで取り組むと楽しいかと思います。

 また、もし君が頭のいい人間に見られたいなら、やはり勉強するのがおすすめです。実は、ほとんどの人間は勉強に耐えられません。頭がいい風に装っている人間も、だいたいは勉強に耐えられず、挫折ざせつしています。だから、もし普通に学校の勉強を続けられる人がいたとしたら、それだけで日本で上位10%に入る、間違いなく頭のいい人になります。

 例えば、君のクラスの学級委員である志築麻衣さんは「頭がいい」と思える相手ではないでしょうか。彼女は頭がいいから勉強できるのではなく、勉強し続けたから頭がよくなっているのだと思います。私は彼女が1年生のときに担任を受け持ちましたが、1年生の頃はしっかり者とはいえ、まだ年相応に子供っぽい考えも混ざる生徒でした。しかし3年生になると、君が知っている通りです。あれは、彼女が勉強の中で多くを知り、思考の段階を深めていったから身についたものだと、教師として思います。そういう生徒は、教師生活をしていれば、珍しくないのです。

 また、別の側面から言うと、勉強は、みんなが続けていくものなのです。先ほどの「勉強に耐えられない」と矛盾むじゅんを感じるかもしれませんが、いずれ道を分かつ相手とはいえ、それまでは大なり小なり触れ続けるということです。つまりみんな、頭を成長させていきます。これは、阿久津くんが勉強を捨てると、人生が進むほどに「自分よりも賢い読者が増えていく」ということになります。

 読者は作家に、思いもよらぬ素晴しい舞台を見せてくれることを期待して、本を買います。知識やそれを元にした想像力が豊かで、論理ろんり整合性せいごうせいが高い、自分たちよりも先に進んでいて、さらに上を行っている人が、素晴しい世界を堪能させてくれると思うからです。しかし、もし君だけが勉強をしなければ、高校生になった君の友人や志築さんは、君の発想に物足りなさを感じてしまう結果になるでしょう。逆に、もし君が勉強をするようになれば、今持っている力をさらに磨く形で、読者を感動させ続けられるはずです。幅広い年齢に日本中で喜ばれる本を書きたいと思うなら、作家生活の傍らに勉強にも少し向き合うことが、その一番の近道であると思います。これは、教師としての言というよりも、読書文化のファンとしての言葉です。


2、いろいろなジャンルの小説を読もう

 君が、ほとんど……というか全然本を読んでいないことは知っています。君の3年間の国語の成績は、私が一番よく知っているので。点取り問題のつもりで出した優しい読解問題も、君はとんちんかんな答えを連発します。登場人物が3人しかいない場面を、5人いるかのように解答したこともありましたね。それは君に独特の感性――才能があるからではなくて、文章を読んだ慣れが少なく、目滑めすべりを起こしているからだと思います。君だけのことではありません。君の得点帯にいる生徒は、みんなそうだからです。読書の才能があるとかないとかではなく、あまりにも経験値が足りていないと感じます。授業も、真面目に受けないし(怒)。

 全然本を読まないで、物語が書けるということは素晴しい才能だと思います。君は本当に、天才かもしれない。だからこそ、他の天才に学んでほしいのです。君のデスバ島が素晴しい本であることと同様に、本屋さんに並んでいる小説たちはデスバ島並の面白さを成立させ、出版を許された天才たちの作品です。君が思いもしなかった方向性の面白さが、たくさん存在しているはずです。物語を読まずとも物語が書けてしまう鬼才きさい・阿久津仁が、他の天才の作品をかてにしてしまったらどうなるか? それはもう、とどまるところ無しの大作家の誕生でしょう。私は編集者さんがどういう仕事をするのか知りませんが、編集者さんにおすすめの本を聞けばきっと教えてくれるはずです。様々なジャンルに触れるほど、君の才能は輝き、世の中は君をヒーローとして迎えると思います。


3、最後に

 長々と書いてしまいましたが、私はこれを君に伝えようとしたことには理由があります。

 実は、

 私はかつて、確信的に、君に一つだけ嘘をつきました。

 それが、

 もし君が、先ほど記した1と2を実践してくれたなら、いつの日か、私が何を言っているか理解する時が来るでしょう。願わくば、いつの日か私の罪が明らかとなり、大作家となった君に糾弾きゅうだんされる日がくることを。作家生活、そして高校生活、頑張ってください。


 朽木くちきゆたか

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 えぇ……なんだこれ……


 糾弾されることを願う……? 意味も感覚もぜんぜん理解できない……

 朽木先生、こんな変なおっちゃんだったとは……

 司書の先生といい、朽木先生といい、本に関わった大人ってみんなおかしくなるのか……?

 白戸さんも、あれはあれで出来すぎて、おかしい感じがするし……


 なんだよ、一つだけ嘘をついたって。

 国語の成績を4から3にしたとか? いや、2から3にしたならあり得るけど……

 第一、そんなに話した記憶ないぞ……

 しかも謎を解くためには「勉強しろ」「本を読め」なんて……


 悪い、先生。


 俺、そこまで暇じゃない……


 寝て起きたら、3作目、書かないといけないんだって……


 ゴールデンウィーク前には……初稿あげないと……


 天井が回転し、まぶたが重くのしかかってくる。


 初めての酒に誘われ、俺は深い眠りに落ちていった。


 夢の中で、俺は教壇きょうだんに立つ朽木先生に聞いていた。



 じゃあなんだ……先生……



 1と2が完璧にできてるやつが本を書いたら……



 俺より面白い小説、書けちゃうのかよ?



 例えば……碇みたいなのが……

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