第16話 卒業式

 M県の桜は、かなり早いらしい。


 3月の半ばから咲き始める桜は、俺たちの卒業式にぎりぎり間に合った。

 満開というわけではないが、つぼみから花を咲かせた桜が校門を彩る中、俺たちの卒業式は執り行われた。


 生徒も教師も、みんな、一様にほっとした顔をしている。

 それは、ほとんどの親子にとって本命である県立高校の合格発表が、まだだからだ。

 私立の発表は終わっているが、本命である県立は合否不明。卒業後にしかわからない仕組みになっているそうだ。数日後の合格発表のあと、生徒たちはそれぞれに職員室に来て、担任の先生に結果を告げるらしい。


 全国どこの中学校も、こうなのだろうか? M県、いや宮国市だけ?

 いい試みだと思う。


 本命はともかく、受験は終わっている。みんな、受かった落ちたの羨望せんぼう嫉妬しっとがない状態で、素直に別れをしむことができる。ほとんどの生徒は滑り止めに受かったらしく、ダメだった生徒も二次募集で日帝に受かっているそうだ。「望んでも高校生になれない」生徒は、学年にゼロ人だということだ。


 体育館での長ったらしい卒業証書授与が終わり、何を言っているのか不明な、あおげばとうとし。市内のとある小学校では、動画投稿サイト発の人気曲が卒業式で歌われたらしい。いいなぁ。俺もそっちを歌いたかった。


 保護者を教室の後ろに入れて、クラスで一人一人別れの言葉。

 俺はそこで、初めて志築しづきのお母さんを見た。


 遺伝だ……

 これはデスバ島で瑞樹が嫉妬されても仕方がない。美人の子は美人だ。


 だが、志築のお母さんからすれば、俺は娘を玩具おもちゃにして金と地位を得た、包丁で刺し殺してやりたい相手だろう。俺は最後の一言を言うとき、必死で志築のお母さんを見ないようにした。内容もみんなの期待を裏切る形で、無難ぶなんで大人しいことを言った。


 担任を真ん中に入れてクラス写真を撮ると「3時までには帰れよ」と言われて解散。


 この日ばかりは、携帯もスマホも公認だ。生徒たちは思い思いに記念写真を撮り、連絡先を交換する。

 生徒だけとなった教室で、男子生徒が列を作って、志築とのツーショットをせがんでいる。

 志築も楽しそうに、笑顔で一人一人写ってやっている。


 この日、志築は約半年ぶりに、ポニーテールで卒業式に現れた。

 以前ほどの髪の長さがないため短めの馬の尾だったが、女子も男子も大喜びだった。

 やっぱり志築はそれが似合う、と絶賛の嵐。

 志築も「今日は、これで写りたかったから」と照れ続けていた。


 ……やっぱり、ずっと我慢してたんだな。

 いや、これからも我慢するのかな。

 北高に行ったら、戻すのだろうか。さすがに神が集まる北高に行って、志築=瑞樹みずきなんてうわさが蒸し返されるとは思いにくい。北高に行くような完璧超人たちは、デスバ島は読まないだろ。……ん? そうなのか? いや、なんでだ? 志築も碇も読んでたし……


 ……とにかく、俺が志築にツーショットを願い出るなんてことは、できるはずもない。

 本人にその気がなくても、あの特別な日専用になったポニテが、俺を弾劾だんがいするのだ。


 ……志築の方から、話しかけてくれないかな……

 そんな風に男子と話しながら赦しを待っていると、


阿久津あくつじん先生」


 頭上から声が降ってきた。

 3年間お世話になった国語の教師――1年生の頃に担任だった、朽木くちき先生だった。


「先生が、先生って……」


「今日の仕事はもう終わった。だからもう、お前たちの先生でもない」


「は、はぁ……」


 じゃあ、何なんだ。先生が先生でなくなったらどうなるんだ。


「今まで黙ってたが、デスバ島、発売初日に読ませてもらったぞ」


「げ……ど、どうも。いや、まいどあり?」


「現金なやつだなぁ」


 ハッハッハと朽木先生は豪快ごうかいに笑う。なんだなんだと他の生徒が好奇の目を向けてくる。

 朽木先生はいつかのように、声をひそめて言った。


「……宛て書きが過ぎたのは反省してるみたいだな」


「……やっぱ先生も、わかります?」


「あんなの、誰が読んでもわかる。中学生なら、誰だって間違いは犯す。繰り返さない気持ちがあるなら、気にしすぎるなよ」


「はい。そのつもりです」


「2作目は、もう書き終わったんだよな?」


「はい。1月の終わり頃に。もう3作目を書いてるというか、書かされてるというか」



「しんどいか?」


「…………」



 答えられなかった。

 書くのはしんどくない。朝から晩まで、いくらでも書ける。ゲームとネットけだった俺がそれらに触れなくても大丈夫だと思えるほどに、書くことは苦しくない。

 だって、書いて本になれば、きっとまためてもらえて、金だって手に入る。

 だが、草案そうあんやプロットにOKが出なかったり、本文に直しの指示が入るのはしんどい。

 なんで直しなのか、どう直せばいいのかわからない時は、死ぬほどしんどい。

 そんなときは「答え」や「解き方」が乗っている学校の勉強の方がまだ優しいんじゃないかと、ふと思うことだってある。暗記なんて大嫌いだったが、暗記で済むなら暗記の方が楽だと思う。


 友人たちの前では、小説を書くなんて楽勝だとうそぶいている。

 つらいことなんて何もない。手が勝手に動く。キャラが勝手に動いて喋り出す。感性のままにキーボードを打ち続けるだけ。書けば書くほど体力回復、ストレス解消、最高……そんな風に言っている。


 だが、朽木先生の眼差まなざしは深かった。

 この国語の教師にはその奥まで見透かされている、そんな気がした。


 朽木先生は真剣な顔つきで言う。


「俺は小説なんて最後まで書けたことがないから、えらそうなことは言えん。ただ、国語は20年以上教えてきたし、いろんな作家が書いた小説を、お前よりもたくさん読んでると思う。その点から一つアドバイスしたいんだが、いいか?」


 俺が有名人になってから、ここをこうすればもっと面白くなる、そんな「指導」をしたがる人間は掃いて捨てるほど現れた。生徒にも大人にも。自分では書いたこともないのに、なぜか俺に先生をしたがる、できると思ってる連中だ。感想は受け取るが、指導は拒否だ。自分の方がすごいと思うなら、さっさと自分で書いてくれ……それ以外の感想がない。白戸さんだって「こうした方がいいと思う」ぐらいしか言わない。最終的には、俺の意見を尊重そんちょうしてくれるのだから。


 ただ、朽木先生は……2年前、俺の『完全犯罪マニュアル』の読書感想文を、内容は粗いと言いながらも、なんだか妙な形で褒めてくれた大人だった。提出は認めない、文集になるから書き直せ、そんなことも言わなかった。今のように、ひそひそ話の口調で褒めてくれた。


 だから、アドバイスとやらを聞いてみる気になった。


「……どうぞ。参考にするかどうかは、わかりませんけど」


「うん。それでいい」


 元担任は、左右をちらりと見渡してから、小声で言った。


「阿久津が作家として楽になる方法。楽に楽しく作品が書けるようになり、書いた作品が好評になり、収入も増えるんじゃないかと、俺が思う方法」


 マジかよ。そんなのがあるなら、なんだって聞く。


「一つ目。学校の勉強はちゃんとした方がいい」

 げ。


「二つ目。いろいろなジャンルの小説を、たくさん読んだ方がいい」

 うわぁ。


 最悪だ……


「先生、白戸しらとさんの回し者ですか?」


「白戸さん?」


「俺の、担当編集者さん」


「ふーん。やっぱり言われるのか」


「初めて会ったときから、ずっと」


 そして、俺が拒否し続けていることだった。


「じゃあ当たってるんだな。俺も捨てたもんじゃないな」


「嬉しそうにして……」


「まあ、理由を説明すれば長くなるから、プリントにしてきた。帰ったら読んでくれ」


「はぁ……」


 そう言って、朽木先生は二つ折りにした茶封筒をポケットから取り出し、俺に握らせた。


「頑張れよ。応援してるぞ」


 朽木先生は足早に教室を出て行く。

 やりとりを見ていた生徒が、何渡したんですか、ワイロですかとはやし立てる。


 元担任は「ファンレターだ」と言って、場を沸かせて消えた。

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