第15話 ビジネス

 高校のえらそうな人が「入試課の磐田いわたです」と挨拶あいさつした。


 俺たちでもう何人目なのだろう。仕事で仕方なくやっている、という雰囲気がにじみ出ている。


 白戸さんは、流れるような動作で名刺を取り出した。


星月社せいげつしゃ文芸編集部の白戸です。阿久津あくつじん先生の、担当編集者をさせていただいております」


「は……?」


 そりゃ、「は?」だろう。高校の人は、口をパクパクさせている。


「阿久津先生……いや、『デスバトルアイランド~2名生存~』はご存じでしょうか?」


「え、ああ……テレビでやってますな。うちの息子も、買っていました」


「さすがですね。西鳳せいほうのご教諭きょうゆともなると、若者の文化にお詳しい。お察しかと思いますが、こちら、作者の阿久津仁先生です」


「えっ……!? いや、そうか……たしかに、地元の中学生が書いたと噂になっておりましたな……でも、失礼ながら、本当に……?」


「本当でないと、私も東京から出てきてお供したりはしませんね」


「なんと、東京から……」


「いつでも、編集部にお確かめになってくださってけっこうです」


「あ、いや、失礼しました。あまりのことで、驚いて」


「阿久津先生は、こちらの高校か、もう一つの私学への推薦すいせん入学を希望されています。今日は、そのご相談に上がりました」


「いえ、ぜひ何でも質問してください。当校としましても、学力以外で優れた才能を持った生徒に学びの場を提供したい想いから、推薦入試制度を設けておりますので」


 すごい、磐田さん、完全にやる気になった。目の輝きが変わっている。

 白戸さんは相手の言葉にゆっくりとうなずいてから、磐田さんの目を見て言う。


「素晴しい理念だと思います。阿久津先生は執筆のためご多忙たぼうで……これは、わたくしども出版社が悪いのですが、家庭学習やテスト勉強の時間を削ってまで次回作の執筆にあたっていただいております。執筆だけでなく、雑誌やテレビからの取材など、どうしてもお時間をいただくことになってしまって。しっかりと勉強に集中していただくことも、編集者が用意すべき環境だと思っているのですが……」


「いえ、はい、わかります。当校はトップアスリートの生徒や、芸能活動をしている生徒も、在籍ざいせきしています。プロフェッショナルの世界ですから、他の生徒たちと同じように学習時間が取れないことは致し方ありません。日々のスケジュールを聞くと、誰が聞いても感服するような内容ですから。ですが当校は、そのような生徒とその保護者からも、入学後は高い満足感があると言われており……」


 なんだこれは。

 こっちが気に入られるために頑張るのだと思っていたら、向こうがこちらの気を引くようなことを言い出した。すでに、風上と風下がわからなくなっている。


 白戸さんと磐田さんは、お互いを褒め合うようなことを延々と言い続けている。

 そしてさりげなく、白戸さんが言った。


「先生のデスバ島は、本を読み慣れていない人が読むと露悪的ろあくてきな小説に見えるかもしれません。ですが、プロの目から見ると、純文学的じゅんぶんがくてきで深いテーマがしっかりと埋め込まれています。今朝のワイドショーでも、識者しきしゃの方がそう指摘していましたが、さすが慧眼けいがんだと思いましたね」


「そ、そうなのですか。すみません、私自身はまだ拝読しておらず」


「いえいえ、この時期、ご多忙の極みでしょう。仕方ないことです。……で、今、私が言ったとおりですよね? 先生」


 来た。合図だ。これは、待ち時間の間に打ち合わせしていた言葉がある。


「……人間はお互いを信じられるかという太宰治の『走れメロス』的な内容や、属性がちがい一度ひび割れた友情でも心で通じ、異なる道でも共に歩み続けるのが親友だという直木賞なおきしょう作品『対談たいだんの彼女』からも触発しょくはつされた内容です」


「は、はぁーっ!?」


 磐田さんは、驚きに眼をいた。


 嘘だ。俺は、瑞樹みずき……志築しづきが、獣欲じゅうよくたぎる男たちからピンチになる場面ばかり考えて、設定も、場面も、思いついていったのだ。

 筋道を決めたプロットなんてなくて、まさに1日ごとに続きを考えて書いていたのだ。最後、どうやって恭兵きょうへいを倒すかも考えていなかった。リボルバー拳銃の弾は、6発全て使ったつもりでいて、お手上げだった。何かいいネタないかな、と『完全犯罪マニュアル』をめくっているうちに、ゴムボールで脈を偽る、死人のふりをするという項目に出会ったのだ。そういえば、死んだ麻友子はゴムボール持たせたな……麻友子が実は撃ち殺されてなくて、弾が1発余ってることにしたらどうだろう? 麻友子はずっと、死んだふりをしてて……それも瑞樹の指示で……ラッキー、麻友子が瑞樹に撃ち殺される所は書いてなかった。あの日は、それまでの会話を書くので疲れて、「書かないでも、何が起きたかわかるよな」の気持ちですっ飛ばしたのだ。麻友子にダイイングメッセージ書かせてたけど……でも大丈夫だよな? これもフェイクってことになるよな? うん、きっと大丈夫、いけるいける……そんな感じ。

 だから、『走れメロス』や『対談の彼女』っていうやつと似たようなテーマになったのは、偶然だ。対談の彼女っていうのも、デスゲームものなのかな? どれぐらい似てるんだ?


 仰天ぎょうてんしている磐田さんに、白戸さんはしてやったりの笑みで話しかける。


「……とまあ、先生はこれからも日本の文学界に衝撃を与え続ける方ですから。先生にとって最高の環境をお選びすることも私の使命と思いまして、出しゃばらせていただきました。いや、お恥ずかしい。しかし私も編集部も、先生の才能にはれ込んでいますので」


 ……白戸さん、初めて電話で話したとき、こんな感じだったな。


 とにかく自然に、好感と信頼を稼ぐ言葉を連発する。

 浅い物を書いてはいない、忙しいから成績表はよくない、しかし頭はいい、これからもっと大物になる、そのために最高の環境(高校)を探している、編集部も編集長も才能を高く評価していて、全面的に応援している……


 相手が言葉から受け取る印象を知り尽くしていて、先読みしながら、破綻はたんのないストーリーを用意し、言葉を並べている。しかもたぶん、相手の出方によって細部を細かく調整しながら。情報を収集しながら、リアルタイムで話を作っているのだ。


 ……「作り話」、俺より上手いんじゃないか?


 白戸さんには悪いけど、白戸さんの話術わじゅつを側で聞いていると、詐欺師さぎしっていうのもこういうスキルを持っているのだろうと思ってしまう。思い返せば、初めて電話で話したときも、俺は終始しゅうし気持ちよくさせられっぱなしだった。今ならわかるが、白戸さんはあんなに驚くタイプの人じゃない。あれは今日と同じ、俺に気に入られるための演技だったにちがいない。


 二人は、相談のまとめに入っている。


「……ふむふむ。つまり、ホームページにある応募条件の成績を下回っていても、推薦入試で合格する可能性はあるということですね?」


「え、ええ。そうですね。あれは少し誤解を招きやすい表現になっていて、来年は削除しようという話も出ておりまして。応募条件を満たしていなくても、合格する可能性はあります」


「可能性がある、か……推薦入試は1校しか応募できませんからね。うーん……先生を合格か不合格か不安な状態で、お待たせするようなことは……先生、その間も書けますか?」


 俺は思ったままを答える。


「無理です。数ヶ月は厳しいかも」


「数ヶ月? それは……そういうことなら、確実に受からせてくれる所に……」


 磐田さんが、慌てて口をはさんでくる。


「いえいえ、合格の可能性は『充分』あります。出願しゅつがんさえしていただけるのなら。当然お渡しするつもりでしたが、もしご心配でしたら、いつでもこちらにご相談を……」


 人目をはばかるように、名刺が出てきた。

 白戸さんはその名刺を静かに、しかし素早く受け取って名刺入れに入れる。


「ありがとうございます。磐田さんに、充分に合格の可能性があると言っていただけて、先生もご安心されたでしょう。磐田さんにお会いできてよかった。やはり先生は『持って』ますね。時代の寵児ちょうじって、こういうものかと思いますよ」


 これは俺にもわかった。相手の名前を強調している。これで落ちたらあなたのせいだぞ……星月社とは絶縁ぜつえんだぞ……と暗に言っているような。大人って怖い。


 最後に、白戸さんは俺に笑顔を向けて尋ねた。


「先生から、何かご質問等はありますか?」


 事前の打ち合わせでは、興味をもっている風を演出するために、何か一つ、変じゃないこと、普通のことを質問するように言われていた。

 普通……普通って言ってわれても……西鳳を目指す生徒の普通が、見当もつかない。


「あの、質問というか、お願いというかなんですけど」


「なんでしょうか?」


 磐田さんは、とても受験者に見せていいレベルではない笑顔を俺に向けた。


「テストの順位が張り出されるのは、嫌だなって」


「――――」


 白戸さんの目に一瞬だけ動揺が走った。

 え、阿久津くん、なんだそれは――


「いや、なんか、勉強で競わされるのとか、嫌だなって」


「あ……ああ。当校は大丈夫ですよ。やはり、保護者から不評でしてね。数年前から、やめております。希望する生徒には各教科の順位を伝えますし、全国模試などでは順位がわかりますが、本人だけです。教室や廊下に張り出すようなことはありません」


「……ということです。大丈夫ですかね、阿久津先生?」


「はい。大丈夫です」


 一瞬だけ妙な空気になったが、事なきを得たようだ。

 立ち上がると、白戸さんが磐田さんに右手を差し出した。


「磐田さんにお会いできてよかったです。先生のご入学、楽しみにしています」


「ええ、ぜひ当校を受験していただけることを願っております」


 二人は固く、握手をする。

 すると、磐田さんが俺の方にも手を伸ばしてくる。

 笑顔の白戸さんが「握り返せ」と目で言っている。


「……自己紹介、まだでした。阿久津仁です」


 頭を下げながら磐田さんの手を握ると、熱っぽい、強い力が返ってきた。


 なんてことだ。確かに、受かった気がした。

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