第12話 失ったもの

 一番嫌われたくない人に、一番嫌われてしまった。


 そのことについて、俺はショックを受け、反省した。


 だが一方で、自分がどんどん世界の中心に近づいているような気もしていた。

 まるでドラマの中の世界だ。俺を中心にドラマが起きてるみたいだ。

 だったらこの後だって、俺と志築しづきが仲直りして、仲が深まって、特別なきずなが――


 そんな考えが完全に馬鹿の妄想だったことを、俺は週明けの学校で知った。

 学校中が……というのは大げさだが、学年中が騒然そうぜんとなった。


 失われていたのだ。志築のポニーテールが。ばっさりと切られて。


 志築のトレードマーク、というか学年のシンボル感すらあったポニテはなくなり、その髪は、肩の少し上まで切りそろえられたボブとなっていた。誰もが一目見て目を疑い、言葉を失った。志築と仲がよかった女子たちは、なんで? なんで? と繰り返し尋ねた。志築は笑って「んー……軽量化?」なんて答えていた。授業に来た教師までもが二度見し、不自然な態度でそれに触れなかった。国語の朽木くちき先生だけが「……驚いた。教室の景色がちがうって、こういうことか。でも、それも似合ってるぞ」と言った。志築ははにかんで「ありがとうございます」と返し、周囲の女子たちは「先生、セクハラー!」とさわいだ。

 一日中繰り広げられる生徒や教師の反応を、俺がどんな気持ちでながめていたか。


 俺のせいだ――


 十代の少年少女にありがちな、加害かがい妄想じゃない。

 自分かわいそうかわいそうの、悲劇の主人公ごっこでもない。

 ただ単純に、俺の軽率な行動が引き起こした、悲惨な結果を目にしている気分。


 ボブも可愛くないわけではないが、ポニテの方が似合ってて可愛かったから。

 志築とポニテは、完璧を完璧に高める相乗効果を発揮していたのだ。志築はどんな髪型でも完璧なわけじゃない。あのポニテがあってこそ完璧だったのだ。


 それを失わせたのは、俺だ。

 だって、――


 そのために志築は、ポニテを解いて、肩より下の髪を切ったのだ。

 嫌々、仕方なく。自衛のために。


 ……切る前、泣いたのかも。


 俺は考えないようにした。その想像は、あまりにもきつすぎた。

 そして次にひかえているのは、恐怖だった。

 女子や男子から「お前のせいだ」と指摘されることだった。

 身勝手なことに、俺は志築の痛みよりも、自分が火あぶりにされることを恐れたのだ。


 志築が「阿久津のせいだ」と言わなかったのは、なぜだろう。

 それはそれで、周囲の妄想に油をそそいで、自分を危険にさらすからだろう。

 もしかしたら数パーセントだけ、俺をかばう気持ちがあったのかもしれない。小説と現実は区別されるべきだから……そんなことを言いそうだから、志築は。


 さいわい、無神経な男子たちのほとんどは「志築がなぜ髪を切ったか」まで考えていない。志築が微妙な髪型に変えたことにショックを受けて、そこで思考が止まっている。

 だが時折、ちらちらと俺に向けられる視線を感じる。


(なあ、あれって……)


 という、共犯者が「やばいんじゃないか」と小声で聞いてくるような、もっと直接的に俺を責めるような……

 俺は必死に、関係ないふりにてっした。そうすることしかできなかった。


 勘弁かんべんしてくれ。俺自身、後悔こうかいしてるんだ。

 自分の馬鹿な行い一つで、完璧だった美しいものに、傷を入れてしまったことを。

 この三中に存在していた美しいものが、失われてしまったことを。

 俺は馬鹿で、そこまでのことになると思ってなかったんだ。


 志築がポニテをやめたことも、塾をやめたことも、数日間は話題になった。

 この時期に塾をやめるなんて、明らかに異常な行動だ。志築は家庭教師を雇うことになったと説明し「お父さん、私のこと大好きだからさ。過保護?」などと言っては笑っている。


 その笑顔が辛い。

 あの夜、俺の家の前で、瞳の奥に黒い炎をたたえて俺に向けられた、射殺すような視線。

 憎悪ぞうおだ。

 明るく振る舞っているのは、ただ単に志築が「できたやつ」だから。

 その本心は、素顔は……あっちなのだ。


 完全にへこんだ。

 やばい。絶交なんてもんじゃない。

 自分に、志築に話しかける権利も、普通の関係に戻りたいと願うことも、許されてないことがすべてから伝わってくる。完全な拒絶……


 志築の変化がもたらした効果は、絶大だった。

 デスバとうの熱狂は、沈静化ちんせいかしていった。

 もちろん、無神経な男子生徒や、何の事情も知らない他学年、地域の人たちやメディアは、俺のことをヒーローと持ち上げ続けてくれていた。だが、三中内にあった主人公瑞樹のモデルが志築だったんじゃないかという噂は、男子も女子もささやかなくなった。禁句タブーになったのだ。


 だが俺は、断筆するつもりなんてなかった。

 志築には、本当に悪いことをした。

 だからって、俺が小説を書かなくなれば元通りになるわけじゃない。

 単純に、金が手に入るチャンスがなくなる。そして俺は「やっぱりダメだったやつ」になる。


 俺がちゃんと稼げるようになってからの、親の豹変ひょうへんぶりはすさまじい。べつにあきれたりしない。単純に、その変化が嬉しいのだ。自他じたともに認める完全にお荷物だと思われていた俺が、一家の仲間として迎えられているのが心地よいのだ。


 作家を続けたい。金を稼ぎたい。でも俺は、志築をベースにしないで書けるのか?

 さんざんボツをくらっている2作目も、主人公は志築のような女子を想定していた。

 ダメだ。ぜんぜん志築っぽくないやつにしないと……でも、そんなの……


「……俺に書けるのか?」


 つい、口をついて出てしまった。俺は自分の言葉に顔を上げた。


 今は、帰りのホームルーム前にある掃除時間。

 俺は当番になっていた校舎の外掃除を、竹箒を持って突っ立っていた。


 やべ……聞かれたか?

 辺りを見回すと、そばかす面の小さな男子が、きょとんとした目でこちらを見ていた。


 手には同じく竹箒。落ち葉を掃いていたのか、制服のすそが砂ぼこりで汚れている。

 全会一致でえない男子……

 俺と志築と先生たちだけが知っている、隠れ潜む異常者……いかり哲史郎てつしろうだった。


「もしかして……次回作の話?」


「あ、ああ……」


 今日の当番、こいつがペアだったか……


 俺は、いつも一歩引いて愛想笑いを浮かべているようなこいつが、苦手だった。

 得体の知れないやつだ。一番話したくない相手だった。


 あの「次元がちがう」中1の感想文は、トラウマになっている。

 作家になった今ですら、思い出したくない。あんなの、絶対に書けないからだ。


 そしてあの感想文以降の行動も、不気味なやつだった。

 こいつは変態的なものを作っておきながら、校長を驚嘆きょうたんさせて感想文集を作っておきながら、それをアピールもしなかった。あの後、何か表彰ひょうしょうされたわけでもないから、学校の代表として提出したものの、落選したのだろう。市が賞を与えた感想文は、もっと健気で、中学生らしいやつだったはずだ。「感動しました。主人公のように、優しさと思いやりをもって生きたいと思いました」みたいなやつ。俺なら荒れ狂うところだが、こいつはとくに反応もなく、地味で冴えないキャラのまま中学を終えようとしている。中3になって、テストの点は学年トップ級になったそうだが……正直、誰もそのことを取り上げない。1年の頃と同じで、クラスメイトの誰からも嫌われてないし、特に好かれてもいない……興味を持たれていないのだ。こいつは。

 こいつこそ……さっさと小説を書けばいいのに。いや、書いてほしくないけど。


 くそ、何をびびってるんだ、俺。

 俺は作家だ。こいつはただの中学生だ。


 俺はもう、二百万円ぐらい、自力で稼いでるんだ。

 こいつはいくら頭がよくても、1円も稼いでない。


 俺の方が上だ。

 俺は、大学生や大人たちだって願ってもなれない、プロの小説家なんだ。



「な、なあ……」



 なぜ声が震える。震える必要なんてないはずだ。



「なに?」



「お前、本読むの……実は、かなり好きだよな?」



「うん」



「俺のデスバ島、読んだ?」



「もちろん」



「どうだった……?」



 木枯らしが吹く。

 隅に固まっていた落ち葉が、巻き上がる。

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