第11話 月下の少女

 11月。

 放課後、俺は自室にもり、PCに向かって次回作のネタを探していた。


 PCは最新式のデスクトップ型だ。売上げから自腹で買った。本当はかっこいいノート型が欲しかったけど「作家は、キーボードをすぐに壊す」と白戸しらとさんに言われて、デスクトップ型にした。流行はやりつつあったPCゲームもできると言われれば、反論する気はない。ノートPCは、必要になれば買い足せばいいんだし。信じられないことだが、今の俺には高すぎる買い物ではなくなっていた。


 デスバとうの作者の次回作――世間が、大注目している。

 当然、デスバ島を超える内容にしたい。もっとすごくて、もっと面白いものを。

 だから頑張ってアイデアをまとめるが、白戸しらとさんからはなかなかOKが出なかった。


 かなり面白いネタもあったと思うのだが、ことごとく保留。

 言い方は保留ほりゅうでも、不採用ふさいようということなので、実質ボツだった。


 デスバ島を生き残って高校に進んだ瑞樹みずき麻友子まゆこが、二人一組で殺し屋を始めるなんて最高だと思ったのだが……なんかちがう、もう少し頑張ってみよう、らしい。

 かなり固いと思った『デスバトルアイランド2 ~3名生存~』も、ダメ。2名の次は3名、グレードアップした感じでいけると思ったのだが。さらに、いい閃きだと思った『デスバトルアイランドZEROゼロ ~生存者なし~』でもゴーは出なかった。なぜ? なんか、すごそうなにおいがしたのに……


 アイデアはいっぱい出る。だが、通るアイデアは全然出ない。

 どういうことだ。というか、何がいいのかわかんねえ。


 汚い部屋の中で浮いている高級OAチェアに、背を投げ出す。

 窓はカーテンが開けっぱなしで、外はすでに真っ暗だった。

 まだ午後の6時だが、辺りはすっかり闇だ。


 もう11月……意外と、時間ないのかも……?

 来年5月には次回作刊行の予定だ。そうなると、原稿はどれだけ遅くても3月頭にはできていないとまずいらしい。大丈夫……まだ4ヶ月近くある。デスバ島は、2ヶ月ぐらいで書けたじゃないか……デスバ島ほど長くなくてもいいだろうし……


 白戸さんは、そろそろ書く内容を決めたいと言っている。

 それは俺だって同じ想いだ。

 というか、今まで出した案の中に面白そうなのはたくさんあるのに……


 俺はPCから目を離し、自分用に買った初めての漫画以外の本、『完全犯罪マニュアル』を手に取る。これは俺のバイブルだ。ここに書いてあることをベースに考えれば、きっとまた、上手くいくはず……デスバ島のゴムボールによる死亡偽装ぎそうだって、ここにあったネタなのだ。ここには、みんなが知らないネタが山ほどっている。これさえあれば、俺は大丈夫。あとは想像力でなんとかなる……


 白戸さんからは、たくさん本……とくに小説を読むように言われていた。

 大人が読むうすい勉強の本(新書しんしょと言うらしい)や、『完全犯罪マニュアル』のような専門書ではなく、小説がいいと言われていた。だが、俺はそれは拒否きょひした。小説を読むなんて1冊に1ヶ月はかかる。勉強と同じだ。漢字だらけで、書いてあることが難しすぎて、頭が痛くなるのだ。だから今は、そんなことに時間を使ってる場合じゃない、と。小説なんて読まないでも、俺はデスバ島が書けたんだし。俺は他人の小説なんて参考にする必要はない。

 白戸さんはそれでも、小説を読んだ方がいいと言った。中学生に人気な作品をピックアップして、これらは読みやすい、楽に読めて面白いからと、3冊の小説を送ってくれた。だが俺は「時間に余裕ができたら読みます」と言って、そのまま放置している。

 そして今の執筆ペースだと、時間に余裕ができることなんて、未来永劫みらいえいごうない。


『完全犯罪マニュアル』の『催眠術さいみんじゅつ』の項目をめくっている時だった。

 ガラケーから買い換えたスマホがふるえた。

 悪友からのLINEかと思って見てみると『MAIからメッセージがあります』と出ていた。


 MAIエムエーアイ……? 誰だ? フレンドにはいない。クラスのグループチャットから来たのか?

 MAI……マイ? 志築しづき麻衣まいか!?


 俺は目を疑った。

 プロフィールを見ると『MAI』は確かに学級委員の志築麻衣だった。

 メッセージの内容は


『志築麻衣です。いきなり失礼します。今、家、いる?』


 なんだなんだ……これは……どういうことだ!?

 俺はすぐに返事を打った。


『いる。小説のネタ考えてる』

『家の前にいるんだけど、出てきてもらっていい?』

『俺の家?』

『そう』


 俺は動転した。なぜ志築が、日も落ちた放課後、俺の家まで来るんだ……?


『すぐ行く』


 そう打ち込むと同時に、既読きどくがついた。

 あ、しまった。『行く』じゃなくて『中に入れよ』、にしとけばよかった。

 俺は作家なんだぞ。しかも仕事中だ。言ってもいいだろ。

 おふくろはいるけど、俺の部屋までは入ってこないし。ああもう、くそ……!


 制服のワイシャツから着替えもしていなかった俺は、薄いダウンジャケットを羽織って玄関げんかんから飛び出した。


 阿久津家は、サザエさんの家を小さな木造にして、全体をうんと汚くしたような家だ。

 玄関から続く数歩ばかりの石畳の先には――


 下りた自転車を両手で支える志築が、銀色の月を背負い、白い外灯に照らされていた。


 学生コートの裾から、制服のスカートがのぞいている。

 志築は俺が出てきたのを認めると、自転車のスタンドをかけて手を離した。

 スクールバッグは、自転車の前籠に縦置きで突っ込んである。取り出す気配はない。この場を動くつもりはないらしい。スマホはどうやって打ったんだ? 乗ったまま打って、コートのポケットに入れたのか。自転車はなんだか高そうだ。というより、新品?


 志築を直視することができなくて、俺は近づく間に周囲ばかり見てしまう。

 俺は、おずおずと話しかける。

 とりあえず、この時間に制服姿で自転車ということは……


「……塾?」


「うん。この後」


 まあ、そうだろう。でもそれだけで、なんかカチンと来た。

 志築が前々から塾に通っていることは、当然に知っている。中1の頃から通っていたはずだ。だが、クラスの連中が放課後も塾で学校ごっこを――志築と一緒にやっているのかと思ったら、嫌な気分になってきた。修学旅行に、自分だけ置いて行かれたような感じだ。それってずるい。俺は一生懸命仕事をしてるのに、他の中学生は志築と一緒に青春してんのかよ。

 そんなことを考えたものだから、次の一言もふてくされたような言い方になってしまった。


「……なんか、用?」

「あ、ごめん。もしかして、忙しかった?」


 志築は俺の不機嫌さを勘違かんちがいしたようで、あわてて言った。

 さすが志築。俺が仕事で大変なことをわかってくれている。


「そうと言えばそうだし、そうじゃないと言えばそう」


「そっか。じゃあ少しだけ話させて」


「そっちは、時間大丈夫なのかよ」


「大丈夫。今日の塾は……すぐむから」


 変な言い方だった。塾って、すぐ済んだり済まなかったりするのか?

 志築は腕組みをして、顔を上げて俺を見る。



「じゃあ単刀直入に。?」



「へ……?」

 奇襲攻撃だった。

 志築のくりっとした目が……意志の強さを持って、俺を見据みすえている。

 返事――言葉を待つ目じゃなかった。大人がするような、俺の反応を探る目だった。

 なんのことだ……いや、まさか……あのことか……?


かさないから。思い当たること、ない?」


「…………」


 俺は固まった。金魚のように、口をパクパクさせていたかもしれない。

 志築は学級委員だ。志築が集めるようになっている提出物を出さなかったことなんて、何回もある。とくに、デスバ島が出てからは「忙しい」を理由に全部ブッチしているぐらいだ。

 だが、俺だってわかる。そんなことでこいつが、放課後に俺の家を訪ねてくるはずがない。

 ということは……やっぱり……

 俺は視線をそらした。


「……わけわかんねえ。やめろって。そんな、先生みたいな聞き方」


「意地悪な聞き方だってのは自覚してる。じゃあ、私に謝ることはない、でいい?」


「……当たり前。わけわかんねえ」


 志築は腕時計を見てから、腰に手を当てて、大きく息を吐いた。

 そして少し黙った後、俺を見ると、再び腕組みをして言った。


「まず、感想から言うね。デスバ島、読ませてもらった」


 き起こった感情は、変な色をしていた。嬉しい、早い、すごい……そして、やっぱり。


「勘違いしないでね。あんたに興味があって読んだわけじゃない。弟が買ってきて、絶賛するから読んだの。内容は……悪趣味だなって思うところがほとんど。登場人物の言動も、作者の都合に思えるのが多かったし。……でも少し考えさせられたし、正直、自分だったらどうするかって考えたりもして……そういうとき、ちょっと面白かった」


「あ……なんつーか……ありがとう」


 まともでない話を書いた自覚はある。道徳の教科書とは真っ向から対立する内容だ。だから志築が「ちょっと面白かった」と言ったのが嬉しかった。志築なら毛嫌いしないで「面白さ」を見てくれるんじゃないか、そういう期待を俺は持っていたから。

 喜びが表情に出ていたのだろう。志築は、すぐに釘を刺した。


「勘違いしないで。面白いと思う所はあったけど、全体的には、嫌悪感けんおかんの方がまさる作品。他の小説に比べたらいろいろと……ちょっと、小説とは思えないってのが率直な感想」


「そう。まったく新しい小説、ってテレビで言われてる」


「あんたそれって……まあ、そこを議論するつもりはない。……まあ、同学年でちゃんと一冊の小説を書けるなんてすごいと思った。それは素直に尊敬する。きっと私は、やろうと思ってもできないし」


 尊敬する……あの志築が、俺のことを……!?

 しかし、次の一言は、声のトーンが完全に変わっていた。



「でもさ。?」


「――――」



 怖いと思った。

 志築の、本気の怒りと軽蔑けいべつが、そこにあった。


「主人公の瑞樹みずき、これって私がモデルでしょ。外見そっくりだし。学級委員だし。習い事まで同じだし」


「いや、それは……そういうわけじゃ」


「あんたが何を言っても、あんたが出会ってきた学級委員の女子なんて、1人だけじゃない。1年生と3年生のときに私、それだけ。2年生のときの学級委員は男子だったでしょ。つまり、あんたが思いえがける学級委員の女子って私しかいない。しかもポニーテール」


 言いがかりだ。

 現実とフィクションを区別できていない、変な読み方をしている――


 

 志築の言っていることは全部当たっているのだ。


『志築が無人島でのデスゲームに放り込まれたら、どうするだろう?』

 それが、デスバ島の出発点で、俺が飽きずに最後まで突っ走れた理由だからだ。


「……あんたと私だけがわかるなら、まだいいけど。最悪なのは……他のみんなもわかるってことでしょ。あんたの考えてることぐらい……」


 志築は、追い詰められた人間の目で俺を見上げていた。彼女のいた息が白い。


「女子から、さんざん言われるのよ。デスバ島でひたすら……気持ち悪いことされそうになる、というかされてる瑞樹、あれ志築でしょって。前から、男子からそういう目で見られてる時があるのは気づいてたけど。デスバ島が出てから、ニヤニヤ笑いの気持ち悪い男子がそこら中にいる。学校だけじゃない。塾でも、他の中学の男子がそんな顔してる。休憩時間のたびに、私を見てヒソヒソ話してる。気づかないとでも思ってた? 私自身、読んで確信しちゃったのよ。ああこれ、私だ、って。阿久津あくつくん、私でこんな下品な妄想してるんだって」


 俺は何も言えない。

 実際、しまくっているからだ。

 でも志築、俺がそれを書かないでも、たぶんみんなしてるし……


「お母さんがね、男の人はそういう生き物だから、気持ち悪いこと考えてるのがわかっても、直接迷惑をかけてこない限りは許せって言ってた。自制心じせいしんのない男なら、軽蔑していいし距離をとれとも言ってたけど。じゃあこれはどうなわけ? これは直接的な迷惑をこうむってるに入るの? 入らないの? 小説ってのは、書き手をフィルターにかけて抽出ちゅうしゅつするようなものだから、何かしらのモチーフがあるのはわかる。それに、瑞樹が私だなんて意味が発生するのは宮国みやぐに市だけのことで、全国では問題ないことだってわかる。だから私は、あんたの気持ち一つの問題だと思った。いさぎよく謝るなら、許そうと思ってた。でもあんた……


「……ごめん」


 志築の言っていることは難しくて、どういう理屈なのかも追えなくて、俺はまいった。

 ただ一言謝るのが、精一杯だった。


「あんたね、調子に乗らない方がいいよ。男子に『今度も志築で、もっとエロいの頼む』って言われてるの、知ってるんだからね」


 志築は、吐き捨てるように言った。


「じゃあ終わり。今後、話しかけないで。絶対に」


 志築は、ピカピカの自転車にまたがった。


「……これ、新品なの。前のはいたずらされたから。塾で、誰かに汚いものかけられた」


 俺は胸がつまる。

 志築は、俺なんかが思っていたよりも、ずっと地獄を生きている。


「……だから今から、辞めにいくの。危ないから、お父さんが家庭教師にするって」


 最後に志築は沈んだ顔を見せて「……ほんと、最悪」と呟いて、ペダルを蹴った。


 志築は立ちこぎで、あっという間に去っていった。


 俺は、底冷えする夜の闇に、置き去りにされた。

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