第9話 イケメンイケボの編集者

 その週の土曜日に、白戸しらとさんは我が家に現れた。


 東京から飛行機で飛んできて、空港からタクシーで直行したらしい。


 白戸さんは、声の感じから思っていた通りの人だった。

 背の高い、さわやかイケメン。

 6月なのに上下ぴっちりのスーツを着ていて、革靴もピカピカにみがかれている。小説の編集者というようなオタクっぽい感じはどこにもない。バリバリの営業マンという感じだ。


 まだ二十代だろうが自信がみなぎっていて、言動の端々はしばし余裕よゆうが感じられる。

 俺は、こんな人を電話口で驚かせ絶句させたのかと思うたびに、えもいわれぬ快感を覚えていた。俺は、この人に認められたんだ。きっと、この人よりすごいんだ。


 家に上がりこんだ白戸さんは、俺の両親を瞬殺しゅんさつした。

「話を聞いてやらんでもない」という態度で白戸さんを家に迎え入れた親は、5分もたたない内に籠絡ろうらくされたのだ。


・息子さんの小説は、とんでもない才能を感じる作品だということ

・すでにネット上で高い評判があり、売れる見込みが充分じゅうぶんにあるということ

・出版費用は全額星月社せいげつしゃが持ち、ノーリスクであるということ

・プロのデザイナーが装丁そうていし、全国の本屋に並ぶということ……


 ノーリスクで、家に金と名声めいせいがなだれ込む。

 ノーリスク。やり得。この言葉が嫌いな人なんて、絶対にいない。俺も大好きだ。

 白戸さんは俺たちにあわせるように、ゆっくりと話す。


「そんなうまい話があるかとお疑いになるのもごもっともです。ですが、弊社へいしゃにとっても出版させていただくメリットは充分にあり……つまりこれは、ここにいる誰にとっても得しかないチャンスということです」


 親父は、目を丸くして聞いた。


「……一生、食えるのか?」


 あけすけすぎる。


「いえ、そこまではお約束できません。ただ、数年間はこの1作でも、かなりの収入になると思います。デスバ島はすでに、世間で評判の作品ですから。それにもし作者が中学生と知れれば、メディアも放っておかないでしょう。注目が集まっている間に2作目、3作目とお書きになれば……上手くいけば、相当なことになるでしょう」


 親父とお袋がつばを飲み込むことがわかった。


「でも……この子は今、受験生で」


「そう……そうですよね。やはり、難関校への進学を希望されているのですか?」


 白戸さんが作った雰囲気に飲まれていなければ、白々しらじらしい物言いだ。

 この居間を見るだけで、そういう路線の家でないことは誰だってわかるだろう。

 高校に進学されるのですか? の方がはるかに正しい。

 お袋は、深くため息をついて言った。


「いえ……この子は、勉強は全然で……」


「そうなのですか? 作品を拝見する限り、とてもそのようには……」


「先日の三者面談では……落ち着いた高校に入るのも難しいって言われてます」


「ふむ、そうなのですか……」


 白戸さんは少し考えるそぶりを見せた。

 人の良さそうな目を細くして、あごを引き、だが視線はななめ上。

 知恵者ちえものが頭を働かせて考えてるなら、まさにこうだろうという姿だ。


「それなら、ますます出版されるべきだと思います。まず、中学生作家というのは、出版社の内外ないがいで誰もが認める恐るべき才能です。作家に年齢制限はありませんから、商業品質にたっするなら、若ければ若いほどいいのですよ。私立の高校なら、多少の成績には目をつぶってでも、抱え込みたいと考える高校は少なくないと思います。そういう生徒のための推薦すいせん入試ですからね。少なくとも、現在予定している私立高校の受験では、大きなプラスに見られるでしょう」


 また、やり得だ。

 本を出せば、なし崩しで入る予定だった日帝高校にはさらに高確率で入れる。俺には絶対に無理だとされている「落ち着いた高校」にも、推薦で入れる可能性が出る……そういう言い方だった。


「そこまで特殊なことではありませんよ。スポーツ推薦などは、この地域でもよくあるのではないですか?」


「ええ、はい」


「それの作家版です。スポーツ推薦で入る生徒たちは、事実上学力不問ふもんな場合も多いですから。それに、本を出しておけば、大学受験のときにはもっと有利に働きます。むしろ、進路の問題を打開だかいする有効な手だと考えていただいてよろしいかと……」


 親父は、家族でよく話してから返事をしたいと言った。

 白戸さんはあっさりと引き下がり、前向きなお返事をお待ちしておりますと言った。

 こだわっている風でもないのが余裕を感じさせ、余計に大物に見えた。

 最後、玄関げんかんを出るときに白戸さんは振り返り、


「本を出す出さないは半分仕事の話ですけど、そういうの抜きに、私は先生の次回作を楽しみにしています。1作目でこれなら、2作目はどんなに面白い話を書いてしまうのだろうって。これから先生が高校生、大学生となって、様々な経験をしながら成熟していき、どんなお話を書き続けて行かれるのか……先生の第一のファンとして、心から楽しみです。ぜひ書き続けてくださいね。阿久津あくつ先生」


 そう言って、待たせたままのタクシーに乗り込んでいった。


 その言葉は俺を感動させたが、きっとそれ以上に親を感動させた。

 自分の子供を評価し、仕事抜きに将来が楽しみだとまで言ってくれるしっかりした大人――

 こんな人は、今までに一人もいなかったからだ。


 白戸さんが去ってからすぐに、


「とりあえず、受けてみるか?」


 同意を求める風に言ったのは、親父だった。

 お袋も、笑いを押し殺すようにうなずいた。

 もちろん、俺も同意する。


 ……でも、大丈夫かな?

 親父もお袋も俺の『デスバ島』、全然読んでないけど……


 中学生同士で殺したり殺されたり、強姦ごうかんしそうになったりされそうになったり……そういう話なんだけど。人気の大部分は、グロい展開とエロい展開だし。


 こんなの、本にしていいのか?

 こんな内容で、推薦っていうのも受かるのか?

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