第8話 電話をかけろ

阿久津あくつ じん先生へ』から始まる、出版社の編集者を名乗るメール。


 メールには『白戸しらと 昭宏あきひろ』と送信者の名前が書かれていて、出版社『星月社せいげつしゃ』の住所と電話番号も載せられている。


 はい……? なんだこれ……?

 学校の、保護者向けのプリントみたいなのが飛んできたぞ……


 俺を先生と呼ぶそのメールは、馬鹿丁寧ばかていねいな言葉で書かれていて、すごく読みにくかった。


 とりあえず俺が読み取れたのは、

・『デスバ島』に感動した

・会って話がしたい

・本にする相談をさせてほしい

・とりあえず、この作品のすごさと素晴らしさについて語り明かしたい

・時間があるとき、すぐに携帯に電話してほしい。携帯の番号は……

 という内容だった。


 メールアドレスは、@の後ろがseigetsusya.comになっていた。

 フリーメールじゃない。@の後ろを会社名とかにするのは大変、それぐらいは知っている。俺も、自分のメールアドレスを作るときに頑張って変えようとして、諦めたからだ。

 つまりこのメール……いたずらではない……?


 いや、待て。待て待て待て。

『デスバとう』は馬鹿にしてるやつらもけっこういる。俺が舞い上がって電話をかけたら、録音されてネットに晒されるかもしれない。ネットの住人はそういうことが大好きだ。


 どうしよう?

 こういうとき、どうしたらいい? 

 わかんねえ。全然わかんねえ。

 親父とおふくろに……いや、ダメだ。全然勉強してなかったことがバレる。第一、親父とお袋は「馬鹿言ってんじゃない」と相手にしないで、メールを消してしまいそうだ。

 くそ。チャンスなのか、ピンチなのか、全然わからねえ。


 俺は混乱しながら、考えた。こんな時、デスバ島の瑞樹みずきだったら、どうするだろう。瑞樹はいつ何時も自分1人で考え、裏をかき、立ち向かってきた。瑞樹なら……


 俺は「もし俺が瑞樹で、このメールを受け取ったら」のシーンを思い浮かべる。

 たぶん、舞い上がりもせず、いたずらとも決めつけず、静かにメールを読む。

 情報を拾い出そうとする。

 そして気づく。連絡先の電話番号が2つあることに。

 編集者の電話と、出版社の番号。

 きっと、これを活用する。活用法があるから、この送信者もメールに載せてるのかもって。


 えっと……どっちだ? どっちにかけて、何を話せばいいんだ?

 携帯はなんとなくだが、怪しい。

 出版社の方は……そうだ、ネットで電話番号を調べられる!


 すぐに、星月社へのお問い合わせページが出てきた。偉そうな部署名と電話番号がたくさん並んでいる。その中で、「文芸編集部」の電話番号がメールの最後に書かれたものと同じだ。


 ここだ、まずここに電話するんだ。

 そして、白戸昭宏って人が本当にいるかどうか……聞けばいいんだよな?


 俺は初めて、親と友人以外に電話をかけた。

 電話は数コールであっさり繋がり、不機嫌そうなおじさんの声が返ってきた。


「はい、星月社文芸編集部です」


「あ、あの……」


「はい?」


「白戸昭宏さんって人、いますか」


「白戸ですね。えー……白戸は今、外出しております」


「いるんですね」


「え? ああ、編集部の人間ってことですか? そういう意味なら、いますよ」


「メールもらって……携帯の番号、今から言うのであってますか?」


「白戸からかけ直させましょうか?」


「あ、はい。俺の番号は……」


「あなた通知設定なので、言わなくても大丈夫ですよ」


「あ、はい!?」


「では」


 電話が切れた。そして1分後、俺の携帯が鳴った。


「こんにちは。星月社の白戸です」


 涼しげで頭の良さと自信を感じさせる、とびきりのいい声だった。声から想像する外見は、スーツを着たイケメンスーパーお兄さんだ。こんな声の人、現実にいるんだ……


「あっ、あ……ども……」


「もしかして、阿久津仁先生ですか?」


「あ、はい……そうです」


 すると、いい声は一気に跳ね上がり、感情が乗った。


「お電話ありがとうございます! いやぁお話しできて感激です! デスバ島、とんでもない、とんでもないですよ! あの、もしかしてすでに他の出版社でご著作ちょさくがある先生ですか?」


「いえ……小説を書いたのは、初めてで」


「初めて!? え……本当、ですか……?」


「本当です」


 賢そうな大人の声が、俺の言葉でどんどん冷静さを失っていく。


 快感だった。


 そこからの白戸さんは、何を言っても驚き、感激した。

 そしてデスバ島に出てくるキャラクターたちの名前とエピソードをあげながら、どの場面がいかに心を打ったか、普通の作家では書けないことだとか、延々と語った。

 そして、


「あの……阿久津先生、その……お歳は、おいくつですか? 声がすごくお若いような……」


「中学3年です」


「えっ……えええええっ!? ちゅ、中学生!?」


 そんな風に、最大限の驚きをもって俺を持ち上げた。


「…………」


 そして、なぜか沈黙。


「あ、あの……? 中学生だと、やばいですか?」

「ええ……いや、いい意味でやばいです。悪いことは何もないです。ただまあ、他の作家たちが、ショックを受けるでしょうね。中学生で、こんなにすごい話を書く人が出てきたのかって。……いや、すぐにご両親にお会いして、書籍化のお話をさせていただきたいです。先生にも、親御おやごさんにも、いいことばかりのお話ですから。お住まいはどちらですか?」


 住所を都道府県から言うことになったことが、信じられなかった。

 M県宮国みやぐに市南町……なんだっけ……

 番地が言えなかった俺は、ほとんど誰も使っていない最寄り駅を言った。

 白戸さんは、ご両親の都合がいい日と時間を聞いて教えてほしい、すぐに飛行機で向かうと言った。白戸さんが親と電話で話すことも提案されたが、俺は自分から親に言うので、待ってほしいと言った。親には、俺が小説らしきものを息抜きで書いていたことはさすがに知られていたが、ネットに投稿していたなんてことは知られていない。そもそも、ネットを危ないものとして毛嫌いしている人たちだ。いきなり、見知らぬ大人から息子さんのことでお話しがあるなんて言われたら、「けっこうです」で電話を切りかねない。


 白戸さんは「日程が決まったら、必ず、すぐにお電話かメールをください。すぐにですよ」と念押しして電話を切った。


 俺は晩飯の後、話があると言って親に成り行きを伝えた。

 父と母は、ネットに絵や小説や動画を投稿する文化があることすら知らなかった。

 俺が中1からハマっていたネット動画も、テレビ局がやっていると思っていたほどだった。


 東京の出版社? の編集者って人が? 俺と、親父とお袋に会いたいって言ってる。日にちと時間を言ってくれれば、家まで来るって。東京から。俺が、ネットにあげてた小説がなんかすごい人気で……本にしたいんだって。今日、電話で話した……


 お袋の第一声は「あんた、勉強しないでそんなことしてたの」だ。あきれかえった声。

 親父の第一声は「そんな馬鹿な話があるか」だ。怒りのにじんだ声。

 親父は「詐欺さぎだ。本にしてやるから数百万円払えとか言うんだ。馬鹿にしやがって。子供にはくをつけたくて払う馬鹿親が、大勢いるんだろう。でもうちはちがうぞ。だまそうったってそうはいくか。第一、うちにはどこを叩いてもそんな金ない」とまくし立てた。


 思った通りの反応過ぎて、ちょっと、なんだかな……だ。

 でもそれぐらい、俺たちにとって東京なんてものは別世界で、現実味のない話だった。


「メール、見せろ。俺がけの皮をいでやる」


「絶対に消すなよ」


「いいから見せろ」


「消すなら見せない」


「見てから決める。見せろ」


 こうなると、てこでも動かない。

 もしかしたら、子供の関心が自分よりも優れていそうな大人に向かったことに、腹を立てているのかもしれない。


 だが親父はメールを見ると、見る見る内に顔色を変えていった。

 あの、馬鹿丁寧な文章が鎮静剤ちんせいざいになったらしい。


「星月社って……あの、たしか、本屋に並んでるやつだよな? 母さん」


「え、ええ……たしか、そうだったはず」


 二人の間に「ひょっとすると、ひょっとするかも」という打算ださんの色が滲んでいく。それは俺にとって、好ましい変化だ。


「母さん……話ぐらいは、聞いてやるか?」


「まあ、いいんじゃないの……?」


 翌日、電話でその様子を白戸さんに伝えると、白戸さんは声を上げて笑っていた。

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