第5話 目の端で追う

 いのりは通じない。


 パズルにピースが当てはまるときのような、嘘くさい現実が飛び込んでくる。


 なんとか「やばいやつ」「実はすごいやつ」という評判を維持したまま数ヶ月が過ぎ、中1も終わりが見えたころの昼休みだ。

 学級委員の志築しづき麻衣まいが、ポニーテールを揺らしながら、いかりの机にふらりと向かった。


 不自然な行為だった。

 俺は男子たちとネット動画の話をしながら、目のはしでそれを追っていた。


 そう、俺は志築麻衣に片思いしていたのだ。

 いちいち、強調するようなことでもない。このクラスにいる男子の半分以上はなんだかんだ、志築麻衣に恋をしている節があった。

 俺たちがあと1学年も上だったなら、みんな少しは素直になれただろう。「志築って、いいよな」などと言って、冗談半分本気半分で、牽制けんせいしあったりして。だが俺たちはまだ中1で、異性という現象そのものを文化として受け止められない、受け止めたら負けのような、チキンレースの中にいた。まだ、ゲームのキャラクターで、女キャラを使うことすらためらうような年頃だったのだ。


 俺たちの視線を集める志築麻衣は、碇の隣の席をひっぱりだし、スカートを折って腰掛けて、やや真剣な表情で質問を始めた。


 そう、その表情がいいのだ。

 他の女子とはちがう、マジになときはマジになる感じ。ポワポワしてない。意志をもって、私はこれが気になるとか、私はこう思うとか、「志築の言葉」を言い出しそうな感じ。

 その凜々しい表情で、志築の口から出た言葉は――


「碇くん、いつもあんな風に本読んでるの?」


 だった。

 その言葉が聞こえただけで、俺のテンションはしずみきった。


 ああ、志築が、あのおぞましい読書感想文の話を始めた。

 そして志築が俺に、完全犯罪をつづった感想文についてたずねてきたことはない。

 他の男子や女子が話題にしていても、それに乗ってきたことはない。

 俺は露骨ろこつにスルーして、碇には尋ねに行く――

 それが意味するところは、俺でもわかる。


 志築は俺の感想文には興味をもたなかったが、碇の感想文には興味をもった。それだけだ。


 さすが頭のデキがちがう志築。もしそんなことになれば、そうなるだろうと思っていた。

 だが、ささやかな救いもあった。質問を重ねる志築の表情が、決してあこがれや友好ゆうこうというものではなかった点だ。ほとんど、取材というか、事情聴取というか、そんな表情だった。志築はどうやら、なぜそんな考え方をするのか、いつからそんな考え方になったのか、そんな考え方で本を読んでいて楽しいのか――そんなことを聞いているらしい。単純に疑問が生まれたから、女子グループを離れてでも聞きに行ったという風だ。志築らしい。

 対する碇は、いつも以上にひきつった笑顔で、しどろもどろに答えている。自分の感想文について、いきなり問い質される。それも、クラスで注目を集める才色兼備の女子から。非日常的なことに思えただろう。べつに、碇のキャパシティが低いことを笑っているわけじゃない。志築が動くと、大抵の場合は誰にとっても事件となって、非日常が出現するのだ。


 俺は友人たちには悪いと思いながらも、必死に二人の会話に聞き耳を立てていた。


「本、どれぐらい読んでるの?」

「それは……」


「あの感想文、どれぐらいで書いたの?」

「えーとそれは……」


「碇くん、あれ、どう思う?」

「……うん、それなんだけど……」


 志築の声はよく聞こえる。しかしごにょごにょとしゃべる碇の声が聞き取りにくい。

 ええい碇、はっきり話せ。俺も人のことを言えたくちじゃないが、今だけははっきり話してくれ。いや……ちがう。終われ。早く会話よ終われ。「志築が碇の感想文を話題にしていた」なんて情報が広まれば「阿久津よりも碇」という流れに一気に傾く。みんなに注目される前に終わってくれ!


 そのとき、他の女子が「まいー」と志築のもとに寄っていった。

「昼休み終わるよ、トイレ行こー」と志築を誘う。

「トイレぐらい一人で行きなさい、一緒にできないでしょ」と志築が言う。さすが志築。正論。

 しかし3年の先輩が鏡の前を占領していて、怖いとかなんとか。

 志築は「仕方ないわね……」と言って、碇との話を切り上げて教室を出ていった。


 志築が去り、碇が大きく息を吐いたのを俺は見届けた。

 俺も、ひそかに胸をで下ろした。


 よかった……何事もなく終わった……

 志築と碇が意気投合し、えんというかきずなというか、そういう雰囲気も生まれなくてよかった。

 志築が碇に抱いた印象は「すごいけど変な人」「思ってるよりも変人」ぐらいだろう。


 ……変人、か。


 ちっくしょう。いいなぁ。


 


 俺は恐らく、志築からは「子供っぽい男子」に見られている。

 俺が「やばいやつ」とおだてられて調子に乗っている時に、遠巻とおまきに向けられるすずしげな目が、そう語っている。


 ……なんで俺は、こんなにヒヤヒヤしているんだろう。

 俺がもっと馬鹿だったら、いや、読書感想文なんか一生懸命に書かなかったら、碇のすごさだって気づかないでいられたのかもしれない。俺は全力で、自分で最高だと思える完全犯罪を書いたから、碇の感想文を見て「俺にはできない」とわかってしまったのだ。


(書くときよりも、書いた後がしんどいかも)


 その通りだ。

 すごい、予言よげんかよ。

 名前も知らないまま消えた、本に救われたっていう図書の先生。変な先生。


 ふと、思い当たる。


 もしかしたらあの人も、俺と同じような道を行ったことがあるのかもしれない。

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