第4話 ガチでやばいやつ

 11月。言われていた文集が出て、生徒全員に配られた。


 結果から言うと、俺は賞賛しょうさんを勝ち取った。


 読書感想文の文集なんてものは誰も読まないかもと心配したが、そんなことはなかった。


 原稿用紙に手書きだった読書感想文は、有志たちの手で片っ端からPCで打ち直され(内申点ないしんてんかせげるとかで、多くの生徒がこぞって参加した)、ちゃんとした本となって出てきた。


 てっきり、裏表印刷した紙を流れ作業でホチキス止めさせられるのかと思っていたが、印刷業者に頼んで、少し厚いハンドブックのようなものになって出てきた。

 自分の書いた文が活字になり、しかも本になっているというのはなんだか嬉しい。感想文は人によって書いた長さがちがっていたので、1ページに1人か2人でっている。みんな嬉し恥ずかしで自分のページや、その周辺のページに目を通すぐらいはした。


 その結果、「やばいやつがいる」ということで、俺の感想文は注目を浴びた。


 読んだ本は『完全犯罪マニュアル』。さらにその感想として、自分ならこうするという完全犯罪を語っているのである。先生たちから見れば穴だらけという俺の計画も、中学生たちにはそうは映らなかったらしい。俺はすぐに「奇妙キャラ」「異常キャラ」「裏表キャラ」「実は頭がいいキャラ」「怒らせたときの復讐ふくしゅうが一番恐ろしいキャラ」などの認定を受け、畏敬いけいの念を向けられるようになった。


 快感だった。


 上級生たちが「あいつらしいよ」と、俺に指をさしながらひそひそ話をしている。

 クラス一の秀才しゅうさいにも「本当は、俺なんかよりお前の方が頭がいいのにな。俺はあんなこと、考えようとしても考えられない」なんて言われた。最高だ。

 友人たちとの会話で、少し含み笑いをするだけで「また、何かヤバイこと考えてるんだろ」と言われるポジションを手に入れた。「そんなことないって」と笑い返すだけで、やばいやつの評判を維持することができた。授業で当てられればほとんど答えられない俺だったが、それですら「本気を隠している」ということにしてもらえた。テストの点がさっぱりなことも。


 だが――

 文集がもたらしたのは、俺にとっていいことばかりではなかった。


 文集には、たしかにいたのだ。


 校長が気に入り、文集を出そうと言い出すようなものを書くやつが、一人。


 朽木先生が「普通じゃない」と声を漏らしてしまうようなやつが。


 そいつの名前は、いかり哲史郎てつしろう

 背は低く小柄で細身、そばかす面で、いつも人の話にあわせて一生懸命ニタニタしている。クラスの隅で会話をしているおとなしい男子グループの、さらにそのすみっこが定位置ていいちだ。運動は全然ダメ。勉強はクラスで5番目ぐらいと、かなりいい。しかし良すぎる方ではないので、誰も話題にしない。嫌われてはいないが、好かれてもいない……似たタイプの男子をのぞけば、誰からも興味を持たれていない、そういう男子だ。つまり、えないやつだった。


 俺も、話したことはほとんどない。話しても、「うん」とか「そうだね」しか言わないから、仲良くなろうという気が失せてしまった。


 だから、あいつの読書感想文なんて誰も注目しなかったのだろう。


 だけど俺は、俺よりもすごいやつが一人はいる――ということにされている――という先生の言葉を知っていたから、手当たり次第、全員の感想文を読んだ。


 意外にも、まったく辛い作業ではなかった。


 なんせ、スポーツ万能なイケメンだろうが、学年一の秀才だろうが、9割以上は、俺よりもつまらないと感じるものを書いていたからだ。残りの1割は、けっこうやるな、もしかしたら俺よりすごいこと書いてるかもと感じる連中。途中までは、その中の誰かが校長のお気に入りなのだと思って読んでいた。


 だが、灯台とうだいもとくらしというやつだ。出席番号順で俺のすぐ後ろ……俺のページをめくった次のページに、そいつはぴたりと張り付いて、隠れていた。

 それは、なんだかよくわからない、奇妙な文章だった。



『朝顔のれる夏 感想』 碇 哲史郎


 面白かった。20××年に『背の耳』で日本サイコスリラー大賞特別賞を受賞し、デビューした筆者の、3作目にあたるミステリ・サスペンス小説。筆者の持ち味と言えばこれでもかと盛り込まれる矢継やつばや叙述じょじゅつトリックだが、本作は前2作に比べて散発的な消化をけ、終盤の一撃で印象を持っていく構造に変わっている。これは、筆者の腕が早くも円熟えんじゅくを見せ、序盤と中盤について、キャラクターが牽引するモチベーションを構築し、息もつかせぬトリックで引っ張る必要性に迫られなくなったからであろう。結果、その試みは成功し、本作では前2作の「面白いが疲れる」「面白いが混乱する」という弱点を解消したことで、娯楽小説ごらくしょうせつとしてより高次元こうじげんの完成度にたっした。この構造は恐らく、昨年文芸誌に掲載けいさいされた『閃光蝿』(単行本未収録)の好評に後押しされてのことに思う。その根拠に、本作には執筆途中で設定の改変を行ったと思われる箇所がわずかに見られ、例えば……これは……~(中略)~

 ……というわけで、本作は3作目にして新たな代表作と呼ばれるにふさわしい作品であり、筆者の評価に大きく貢献するだろう。同時に、本作はキャラクターものとしてまだまだ拡張の余地を残している。私の予想では、シリーズ化されることは間違いない。傑作けっさくシリーズの誕生に立ち会えた幸運を噛みしめ、この本を世に出した作者と関係各社に最大の感謝を述べたい。


 ……なんだよ、これ。


 こいつ、何読んでんだよ。

 いや、何を、どういう読み方してんだよ。


 日本語が書かれてることはわかる。だけど、宇宙語にしか見えない。漢字だらけだし、言葉も難しくてわからない。


 たぶん、書いてあることは「面白かった」「作者に感謝」ぐらいのこと……?

 だが、それを言うまでの、こいつの考え方が、なんか気持ち悪い。


 こいつは本当に、こんなことを考えながら読んでいるのか?

 こいつは、本に書かれている外の空気まで、吸い込みながら読んでいないか。


 そんなことが、できるわけない。

 嘘だ。インチキだ。たぶん、何かのパクリなんだ。

 それを先生たちも信じて、騙されて、みっともない――


 ……そうだろうか?

 大抵の先生ならいざ知らず、朽木先生まで騙せるだろうか……?


 この気持ち悪い文章は、背後から俺の喉元に突きつけられたナイフだった。

 表のページでは、俺が考えた『完全犯罪』が、学校中の生徒にチヤホヤされている。すごい、完璧だ、あいつは人を殺しかねない、絶対に将来大犯罪を起こすぞ……そんな風に。


 しかしページをめくって裏を見れば、これだ。

 もっとやばい。


 俺の「俺ならこうする」が子供の戯言ざれごととしか思えなくなるような、もっとぬめぬめしていて、ズブズブしている、真性の変態が正体を現している。大人なら、こんな文章が書けるのだろうか? いや、俺の親父とおふくろには絶対無理だ。なんか、学校の先生たちにも無理な気がする。そして碇は、それを中1で書いているのだ……


 碇って……本当は、めちゃくちゃヤバイやつなんじゃないか?

 というか、変態では?


 文集を渡されたその日から、俺の、調子に乗りながらも恐怖に怯える日々が始まった。


 俺は視界のすみで、碇を監視するようになった。

 あいつがいつ「僕の感想文も読んでみてよ」とみんなに言い出すか、恐れていたのだ。

 俺の読書感想文の話になるたびに「でも、碇もすごいよな」と誰かの口から出ないか、気になって仕方がなかった。表と裏で比べ読みされれば、どちらが「本当にやばい」のか、きっとわかってしまうから。


 俺はただ祈るばかりだった。


 誰も碇に気づくな。

 気づかないでくれ。


 頼む、俺を「すごいやつ」のままでいさせてくれ……!

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