第3話 変な国語教師
夏休みが明けて、二学期が始まってすぐだった。
「
いきなりだった。
掃除時間の間に近づいてきた担任――
怒っている風ではない。あくまで話がある、という
すぐにピンときた。
あのことだ。俺が『完全犯罪マニュアル』で書いた読書感想文のことにちがいない。
「はぁ……あの、なんで」
「それは職員室で話す。いいか、すぐに来いよ」
念押し。
いよいよだ。来るべき時が来た、と思った。
怒られるのだろう。朽木先生は顔も体もでかくて角張った大男だが、男性教師の中では
……まさか、
怖い。どれほど絞られるかわからない。親にも連絡されるだろう。
だが、だからこそいい、ついに、という想いがあった。
朽木先生は、あれを読んだのだ。
『完全犯罪マニュアル』を読んで俺が書いた、読書感想文を。
俺ならこうするという、俺が考えた完全犯罪を。
そしてきっと、それが恐ろしい、内容に問題があると判断したから、俺を呼び出すのだ。
危険人物として教師たちからマークされるなんて、最高じゃないか。
校則違反はもちろん、地域で
だが、完全犯罪を考える
俺は教師に呼び出され、体罰を受ける。本気の指導だ。どうせなら、顔が腫れ上がるぐらいビンタしてほしい。そうすれば、明日以降俺の顔を見た友人たちに、経緯を話しやすくなる。学校側が俺を危険なやつと恐れ、本気で動かざるを得なかったか、その証拠になる。
叱られるのも、殴られるのも怖い。
だが、それで特別なやつ、完全犯罪を考えたやつ、小学校の頃は当たり前だった「知恵者」の評価が手に入るなら――俺ははっきり言って、嬉しい。助かる。嫌なことよりもいいことの方が大きい。
夏休み中、ずっとそう思っていた。だから、あの本を一生懸命読んで、頑張って考えて、書いた。あの完全犯罪になるまで、三度も書き直している。最初と次に書いたやつも完全犯罪だったと思うが、「これなら確かに実行できそう」と思わせる要素が足りなかった。だから、ボツにしたのだ。最終的に書き上げたのは、毒物を使用した完全犯罪だ。ターゲットを毒殺後、いくら調べられても故意に毒を盛ったと証明できない……はずのやつ。複数の他人を巻き込むが、その人たちが死んだり捕まったりするようなことはない。毒殺は事故できれいに片付けられるのだ。疑われはする。だが絶対に捕まらない。俺は完全犯罪の落としどころを、あえてそのラインにした。
何週間もかけて、頑張って書いてよかった……ちゃんと危険なものとして評価された!
去っていく担任の背を見ながら、俺は
聞き耳を立てていた友人たちが、すぐに話しかけてきた。
「阿久津、何かやったの?」
「いや……まあ、ちょっとな」
「ちょっとってなんだよ」
「俺もよくわからん。もしかしたら、あれのことかもってのはある」
「あれ?」
「まあ、まだなんとも」
友人たちは、煮え切らない俺の態度に首をかしげていた。
俺は話を切り上げると、すぐに考えを巡らせた。
職員室に、どんな心構えで行くべきか。お前は何を考えているんだ、読書感想文を書き直せと言われるだろう。折れるべきか、折れないべきか。折れるなら、どこまで粘るべきか。
この事態は想定していた……というより夢想していたはずなのに、実際に起きたとなれば、考えがまとまらない。一番嫌なのは、書いた事実を抹消され、口止めの約束をされることだ。 無かったことにされるのだけは避けたい。絶対に避けないと……
帰りのホームルームが終わった後、俺はすぐに職員室へと向かった。
職員室の入り口で中をうかがうと、朽木先生は席を立って俺に向かってきた。
「こっちだ」
え? 職員室じゃない? いや、それもそうか。職員室の中で怒鳴り散らすはずもないか。じゃあ、職員室前のこたつ?
有無を言わさない態度で連れて行かれたのは、職員室と斜向かいの生徒指導室だった。
通称、
これはいよいよだぞ……
覚悟を決めて中に入ったものの、そんな覚悟はすぐにしおれて、吹き飛んだ。
中には、強面の男の教師が2人、パイプ椅子に腰掛けて待っていたのである。
学年主任と体育教師だ。どちらも、最もハードな運動部の顧問。そして、恫喝と暴力を教育の手段として疑わない、ヤクザのような教師だった。保護者からの評判は「生徒想いの情熱的な先生」か「根本的に
やばい――
朽木先生だけでなく、最も危険なのが二人もついてきた。
それだけで、事態の深刻さが伝わってくる。俺はすでに縮み上がっていた。
「座れ」
言ったのは、真ん中に座っている朽木先生。
俺は返事もできず、テーブルを挟んで3人の前に座らせられる。
この構図がもう、取り調べと言うより軍事裁判だ。処刑だ。
だがそのとき、朽木先生の目が俺からそれて――入り口の方に流れた。
見れば、俺のクラスの学級委員である
扉の窓から志築麻衣が消えたのを確認してから、朽木先生が切り出した。
「呼び出したのは、読書感想文についてだ。あの内容は、妄想だよな?」
「……はい」
「お前の考えた完全犯罪だが、どこも完璧じゃない。やればすぐに捕まる。わかるか?」
「え……いや……」
なんだか、変な感じがした。
俺はもっと「道徳的に」怒られるかと思ったのだ。何の本でもいいと言われていたとはいえ、学校の宿題で『完全犯罪マニュアル』なんて本を取り上げて、その感想文に完全犯罪なんかを書いたことを……反抗的な態度のことを、頭ごなしに怒られると思っていたのだ。けしからん、大人をなめている、そういう論調で。完全犯罪の内容には触れられないと思っていた。でも、切り出し方が、思っていた角度とちがう。
朽木先生は
「
「あ、はい、一応」
「あの人は元警察官だ。あの人に読んでもらったところ、すぐにばれて捕まることが複数あるという感想だった。俺も警察捜査には素人だが、お前よりは法律にも科学にも詳しい。その俺から見ても、穴だらけな内容だった」
「…………」
俺の心には、怯えの感情がどっしりと居座っている。しかし、朽木先生の言葉にほんの少しの怒りと、恥ずかしさが
「感想文の宿題としては受理する。お前が本当にこれをやるつもりなら、わざわざ提出しないというのが根拠だ。もしお前がこれを実行したら、この感想文が証拠になるからな。そのことは、わかるよな?」
「……はい」
なるほど。全然考えてなかった。
そもそも俺には、殺したい相手なんていない。俺が書いた『完全犯罪』はただの空想遊びで、誰かに対して実行する気なんて最初からない。もし、本当に完璧で、絶対ばれないとしてもだ。『完全犯罪マニュアル』を参考にしながら、漫画の
「絶対に実行に移そうなんて思うなよ。自分の
「……わかりました」
「しないと
「……はい」
俺は声を
「しないと口に出して言ってくれ」
「絶対に、しません……」
少しでも口答えすれば、左右に控える教師に、後頭部を掴まれて机に叩き付けられるぐらいのことは起きる。むしろ、左右の二人はそういう「きっかけ」を待っている節すらある。朽木先生のやり方にまどろっこしさを覚えている感じがする。
少しの沈黙の後、朽木先生は二人の同僚教師に向かって言った。
「……もういいと思います。後は私から話しますので」
「よろしくお願いします」
そう言うと、無言を貫いていた学年主任と体育教師は気だるそうに席を立ち、生徒指導室を出て行った。馬鹿らしいことに付き合わされた、とその背中が語っている。
二人は、俺から
部屋には、朽木先生と俺だけが残された。
俺はまだ何か絞られるのかと思い、身を固くしていた。
だが、朽木先生が声を落として言った言葉は――
「……今から言うのは、他の先生には言うなよ。大人同士でも、理解してもらえないからな」
「……?」
朽木先生は、わずかに前のめりになる。
まるで、ひそひそ話を始める準備だ。
だがそこで、
「ん……?」
再び、朽木先生の視線が入り口に流れた。志築麻衣が大きな目を見開いて、中を
再び志築が消えたのを見て、朽木先生はひそひそ話を始めた。
「お前が考えた完全犯罪の内容は
「……?」
すごくいい内容……? 評価している……?
俺は耳を疑った。さっきは怒られて……今度は、
朽木先生は小さな声で続ける。だが、その語り口は少し熱っぽい。
「読書感想文は全部読んだが、阿久津みたいにやってきた生徒は、ほんのごく一部だ。中には、本を読まないで書いたなこれは、というのもけっこうある。読んだとしても、こういう感想を書けばいいのだろうと思って書いたようなやつも多い。……物によっては、そもそも親が代わりに書いたようなのもな」
朽木先生は苦笑した。
なんだそれ。親が宿題を手伝う……? どんな家だ? そんな家が、あるのか?
「そんな中、お前の感想文は生のお前の思考と声が表現されていた。楽しんで読み、楽しんで頭を使い、楽しんで書いたと伝わってくる内容だった。文章の構成もわかりやすくて、まあ……読める内容だった。だから、お前の完全犯罪は犯罪計画としては大失敗だが、その読書と感想文に向かう姿勢はよかったと思う。普段の阿久津よりも、漢字が多かったしな」
わからん。
言われてることが難しくて、全然わからん。
でもなんか、褒められてるらしい。
で、結局…………なんなの?
「あの……宿題として、OKしてくれるんですか?」
「そうだ。さっきの先生たちからは『書き直させろ』と言われたがな。別の理由を言って納得させておいた」
「…………」
全然わからん……!
この人がそこまでして、何を必死に守っているのかが、わからん。
そういえば、図書室の先生もそうだった。
本が絡むと、大人たちが、俺の知っている大人たちとはちがう側面を覗かせる。
なんか、くにゃっとする。わけがわからなくなる。
俺の困惑を見て取ったのか、朽木先生は言った。
「
言われたことは半分もわかっていない。でも、とりあえず、うなずいておいた。
「……は、はい」
「よし。……で、ここからは相談だ」
「相談?」
「その……感想文のことなんだが、文集……感想文集になる、らしい」
「は?」
なんだそれは。
そして「らしい」? この歯切れの悪さはどういうことだ。
「らしいって……」
「そういうことになったんだ。感想文のいくつかは、学校の代表として市に送ることになっている。その候補を校長に見せたら、えらく感激されてな。冊子にして配ると言い出された」
「そんなの、聞いてないというか……」
「そうだ。つい先日決まったことだからな。で、お前のは内容もあれだし……お前が希望するなら、別のを書いて文集に載せてもいい。どうする?」
「え、ちょ、ちょっと、待ってください」
「なんだ」
「その、今のを載せるのは、俺は全然いいんですけど」
「そうか」
「そんなにすごい感想文が、あったんですか?」
「そうだ」
「それは、その……俺のとは別に、ってことですか」
「そうだ」
そんな馬鹿な。
俺の完全犯罪がボロクソに言われる一方で「すごいから本にしよう」なんて感想文が?
「そんなに、すごいんですか」
「まあ……あれは……普通じゃないな……」
普通じゃない?
俺の感想文が「特別なことに見えてない」と言われた一方で?
「ど、どんなの……いや、誰の、ですか」
「……口が
「いや、でも」
「お前はよく読み、自分で考える頭がある。そうだろ?」
そう言われては、それ以上は聞けない。
いったい、誰が……どんなものを書いたんだ……?
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