第2話 変な司書
夏休み3日目は、図書室に行くことになっていた。
親に作らされた「夏休みの計画表」には「としょしつに本をかりにいく」と、俺の
というわけで、俺は自らが作った計画表に
市の図書館に行くという選択肢もあった……らしいが、どこにあるか知らない。家から遠いと聞いていたので、行くわけもない。第一、「宿題のために市の図書館に行く」なんてお
……それに、学校の図書室の方が、
あいつ、放課後に本を借りて帰るらしいから……
もしかしたら……もしかするかも?
そんなこんなで、俺はめんどうくさいという気持ち半分、何か起きるかもという期待半分、中学校の図書室に向かった。
朝目覚めて計画表を見たときは「なんで今日にした……」と予定があるわけでもなくぼやいたが、飯を食って制服を着れば、もう楽しみが勝っていた。「休みだけど、中学校に来てもいい日」というのは初めてだ。
何か面白いことが起きますように。
願わくば、志築麻衣と会ってお喋りできますように。
家を出て30分後、俺は
ヨロシクオネガイシャスオラーハシレーサッサトトレー
ブオオオオープーブオオー
え、えぇ……?
校門をくぐるなり、俺はへこんだ。
運動場では、野球部が大声を上げてしごかれている。
校内では廊下に等間隔で並んだ吹奏楽部が、譜面台に向かって黙々と音を出している。
せっかくの非日常感がぶち壊しだ。がっかりした。もっと、人気のないがらんどうな学校を想像していたのだ。これでは、普段の放課後と大差ないじゃないか。
図書室の中は、お祭り騒ぎだったりしないかな……
お通夜だったらさっさと切り上げて、家でネット観よう……
俺は二階に上がり、渡り廊下に繋がる引き戸を開ける。
渡り廊下の先にある「離れ」には、1階に視聴覚室が、2階に図書室が収まっている。
渡り廊下から離れに入り、図書室の入り口に辿り着いただけで、俺は重圧を感じた。
真夏の昼だというのに、差し込んだ
この離れ全体が放つ
俺は身震いした。
なんだか恐ろしい。得体の知れない感じが。
自らを奮い立たせて扉を開けてみると、かび臭い匂いがむわっと襲ってきた。
「あら」
入り口のそばにあるカウンターから、女の人が顔を上げた。
図書室の先生らしい。
その人は、まだ二十代……真ん中ぐらい? の、眼鏡をかけた女の人だった。
すごい美人という風ではなかったが、綺麗な人だったと思う。というのも、当時の俺たちにとって「お姉さん」は女子高生で、女子大生ともなるともう「おばさん」。それ以上となると、綺麗とかかわいいの判定で語る相手ではなかった。それにもかかわらず、俺はその人を一目見て「お姉さん」だと思ったからだ。女子高生に見えたというわけではない。だが「おばさん」と言うには何かちがう、そう思うべきではないと、俺の中の基準がエラーを起こしていた。
若い図書の先生――長い
「こんにちは。本、借りに来たの?」
俺は、無言でうなずいた。
同年代でも親世代でもない女の人と話したことなんて、ない。
下心じゃなくて、単純に距離感がわからない。
するとその人は人差し指を立てて、部屋の奥を指し示した。
「でも、残念」
残念……?
部屋の奥に目をやると、図書室の入り口に向き合うように2つの棚がある。
その棚の上部には「読書感想文におすすめの本」という手書きのポップが貼られていた。
しかし、棚の中に本はなく、からっぽだ。
「夏休みの宿題用にコーナーを作ったんだけどね。全部、借りられていったの」
「え……?」
全部、借りられていった?
「あっという間だったから、急いで、第二弾と第三弾もやったんだけどね。それも全部持っていかれちゃった」
宿題となったら現金だよね。普段は数人しか借りていかないのに。いや、今の子はしっかりしてると考えるべきなのかなー。とりあえず、もう疲れたから第四弾はやらない。おしまい。残念だったねー……
図書の先生は笑いながら、
「あの、いつ……?」
いつまで本があったの、という意味で聞いた。すると先生は、
「初日に第一弾。昨日の午前中に第二弾。で、今日の午前中に第三弾。司書としては繁盛してくれるのは嬉しいけど……君は3日出遅れたねえ」
「…………」
……うそ。
なんだか、ひどい裏切りにあった気分だった。
みんな、ちゃっかりしてる。必死じゃないか。他人に見えてないところでは。誰も、夏休みすぐに図書室に本を借りに行くなんて言っていた友人はいなかった。そういえば、テストの日の朝に「全然勉強してない」「やべー、終わった」と言って、ものすごく高い点だったやつらもいた。なんだそれ。なんだこれ。みんな、ちゃっかりしてる。いや……しっかりしてるって言うのか……?
そして俺は、知らずのうちに3日も出遅れていたらしい。
なんだよ、ここでも俺は真ん中より下かよ。
俺は
目の前の女性に
「イライラしてるねー。でも、なんでもいいんじゃない?」
「…………」
「読書感想文、漫画以外なら、なんでもいいんでしょ?」
その通りだった。
読書感想文は、漫画以外なら、どの本の感想でもいいと言われていた。
だが、そもそも俺は、本を読みたくない。感想文だって書きたくない。
だから、楽に読めて感想も書きやすい「攻略本」を借りに来たのだ。
それがすでに尽きていると知ったから、むくれているのだ。
「君は、どんなのが読みたいの?」
「……楽で」
「楽で?」
「……面白いやつ」
言ってやった。俺は読書感想文なんて真面目にやる気はない、宿題なんて真面目にやる価値はない、そう言ったつもりだった。
きっと怒るだろう。そうでなくても、気を悪くするだろう。
しかし、俺の八つ当たりのような言葉は、あっさりと打ち返される。
「読むのが楽で、面白い。大事だねえ」
え? 大事なの?
「当たり前のことなんだけど、大人になるとなぜか言えなくなる。若者の
え、なに……何言ってんの? カクシンってなに?
図書の先生はうんうんとうなずいて、今にも「素晴しい」とか言い出しそうだ。
でも、なんか、いやだ。
こんな先生もこんな大人も、知らない。
「ちゃんとしたのを読めとか、頭がよくなるのを読めとか、言わないんですか」
「お、やっとまともに話したね」
話せるじゃん、さっきまで動物の鳴き声みたいな会話だったよ……山から出てきたばかりの
図書の先生はけらけらと笑った。
「本……物語を読めば、勉強になることもあるかもね。でも、勉強のために物語を読むなんて、それは
大丈夫なのだろうか。
そんなこと、もし他の先生に聞かれたら、この若い先生が怒られそうだ。
「でも、楽で面白いの……もうないんでしょ?」
「さあ。人の段階によって、ちがうから」
「ヒトノダンカイ?」
「その人のレベルとも言う」
「レベルって……」
挑発的な言い方だった。
俺は、自分のレベルが低いと言われているような気がして、むかっときた。
「気を悪くしないでね。たぶん、山登りと同じ」
「山登り、ですか?」
「そう。初心者と上級者で『楽しい山』もちがってくるでしょ。初心者は、登りやすくて低い山でも充分に楽しめる。適度に疲れて、
そういう考えがあるのかと思いつつも、俺は「わかってない」と思った。
例えば俺のレベルが低かったとしても、「じゃあレベルが低い人用の本を読みます」なんて話にはならない。それは自分のレベルが低いことを認めて、周囲に見せることになるからだ。
基本的に中学生は――その逆なのだ。
無茶をすることの方がかっこいい。普通じゃ選ばない道を行く方がかっこいい。
だから、聞いてやろうと思った。レベルが高いなら、どんな本を読むのか。
「先生は、高いんですよね。レベル」
「わかんない」
即答された。俺は面食らった。まただ。また、返ってくる言葉が変だ。自分はレベルが高い、だからこんな難しい本も読める、そう返ってくると思っていたのに。
なんなんだ、この人は……
「わかんないのに、図書の先生してるんですか」
「まあ、中学生よりは、いろいろと読み慣れてると思うけど」
「……国語の先生よりは?」
「さあ。人による?」
なぜ俺に聞く。聞かれても、答えられるわけがない。
「……じゃあ、なんで図書の先生を?」
「それは答えられる。本に救われたことがあるから」
なんだそれは。
俺は一気に興味を失った。
「なんかさ、生きてるとしんどくて」
「は……?」
「昔のことじゃないよ。今だってそう」
「え……?」
まず、聞き間違いだと思った。
イマダッテソウ……? 今だってそう? 生きてると、しんどいのが?
そんなのは「俺たちの言葉」だ。「働ける、まともな大人」になった人間の言葉じゃない。大人はそんなこと言わない。学校で働く先生なら、思うはずもない。
でも、このお姉さんは言った。俺の方を見ないで、当たり前のことのように言った。
なんか、辛いのだろうか?
というか……そんな話、初対面の俺にするか?
誰に対してもそうなのか? 距離感、おかしくないか……?
やっぱり、本なんか読んでる人って……やばい?
「驚いてる? きっと、特別な話じゃないよ。誰だってそんなもんだって。大人も、けっこうあれこれ悩みながら、そうは見えないように頑張って生きてるんだよ。なんかそうするのが、意地なのか礼儀なのか、なぜか当たり前のことにされちゃっててさ」
そんなこと言われても、見当もつかない。
「生きてると、どんどんいいことが起きると思えなくなって、よくないことばかり予想できるようになって。で、だいたい当たるんだよね。ほらやっぱりって感じで」
「…………」
だけど、言ってる意味はわかった。
まさに中学に入ってからの俺が、そうだったからだ。
むしろ、俺たちのそういう
その人は、ため息まじりに言った。
「でも、たまにとんでもなく面白い本に出会えて。人間、こんなの書けるんだ、最高、捨てたもんじゃないって、1日ぐらい思わせてくれる。思い返すたびに、またあんな作品に会いたいなって思う。だからまあ、生きてると嫌なことの方が多いけど、少しはいいこともあるから、生きてみようかなって思う。ずっと、その繰り返し。だから私の人生、本に救われてるの」
「…………」
「
魚は空気に感謝してるのか……? この人の頭の中では……
しかし、妙な例えだが、なぜか理解できてしまう。
毎日、学校から帰ればゲームかネット動画。親は
「君、少しでも興味を持てそうなの、借りていきなよ。何でもいいんだから」
図書の先生はそう言うと、カウンターに目を落として、手元にあった本に透明のフィルムをかけ始めた。俺はその本のタイトルを見て、目を
「それ」
「これ?」
「その本……」
「これか。『完全犯罪マニュアル』。まあ、楽しそうだよね。完全犯罪って、絶対にバレない犯罪でしょ? なのにマニュアルがあるなんて、この本の存在自体が不思議だよね」
「借りられますか」
「できるけど……これで感想文書くの?」
「なんでもいいって」
「そうだろうけど……きついかもよ?」
「レベル、足りないですか」
「んー……その可能性もあるし、それ以外のこともある」
「それ以外のこと?」
「そう。これで君が感想文を書くと……」
その人は、俺の目を覗き込むようにして言った。
「書くときよりも、書いた後がしんどいかも」
……まあ、宿題を出した国語の先生――担任の
学年中の教師から、不気味な生徒だとレッテルを貼られるかもしれない。
でも俺は、そんなことは気にしない。
というか、『完全犯罪マニュアル』で感想文を書いて
めちゃくちゃ、かっこいいのでは? 完全にやばいやつでは?
最高だ。真ん中より少し下、何もない中学生でいるよりは、絶対マシだ。
「大丈夫です」
「本当に? 読むのはともかく、感想文はおすすめしないよ」
「大丈夫だから」
「わかった。学生カード出して」
生徒手帳のカバーに挟んでいた、新品同様の学生カードを渡す。
図書の先生は、俺の名前をまじまじと見る。
「
カードと本のバーコードを機械で読み取ると、重たい本が手渡された。
「返却期限は、夏休みが終わってから一週間後。頑張ってね、阿久津くん」
本をスクールバッグに入れると、俺は早足で図書室を後にした。
思えば、図書室には一歩しか足を踏み入れていない。
あの先生は、どこまでわかっていたのだろうか。
これから、俺の身に降りかかる様々な出来事について。
(書くときよりも、書いた後がしんどいかも――)
だが、あの言葉の真意を確かめることはできなかった。
図書室の先生は、二学期から別の人に代わっていたから。
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