ノックバック

糸魚川鋼二

第1話 ふつうの少年


 この物語が始まるのは、中学1年の夏休みからだ。


 俺は、自分のことを特別な存在だと信じようとする、どこにでもいる中学生だった。


 初めての期末テストが終わり、初めて受け取った通知表つうちひょうもいたって普通。

 5段階評価の通知表に並ぶのは3と2で、4も5もない。

 ひとつぐらいは4か5が……と思っていたのに、全然ない。


 なんだこれ。容赦ようしゃない。

 どうして、みんなに5を配らない?

 その方がみんなハッピーじゃないか? 大人は俺たちを、ハッピーにしたくないのか?


 中学校に入ってから、ずっと嫌な感じに襲われていた。

 この先、楽しいことなんてどんどん減っていくんじゃないか。

 そして、楽しいことは一切なくなるんじゃないか。


 視界が常に、灰色がかっていたりセピアだったりという日々だった。中学に通えば通うほど、世界が色味いろみを失っていく。人生が終わりに向かっている……

 毎日学校に行くのが楽しかった小学校とは、すべてがちがっていた。中学校は監獄かんごくのような雰囲気で、威圧いあつを武器とする男性教師たちによる、徹底的てっていてきな管理教育が待っていた。


 M県宮国みやぐに市には、優男やさおとこのような男の先生は存在しない。国語、数学、英語、理科、社会……男なら、すべての教科担当が体育の先生で通用するような、体の大きさと厚みを持っている。そうでないと務まらない――M県の中学校教師は、そういう職業とされている。


 男の先生なら半数ほどの割合で、最初の授業で、殴っても大丈夫そうな男子を一人殴った。もしくは、立たせてから足払いをかけ、床に転がすということを繰り返した。窓が汚い、この窓の掃除担当は誰だ、とか理由をつけて。理由はなんでもいい。意図的な見せしめだ。教師の方がえらい、強い、逆らえば(男子は)みんなの前でこうなる……そういうことを刷りこむのに一番手っ取り早い方法として用いられていた。


 いつの時代の話? と思ったかもしれない。

 21世紀に入って10年ほどが過ぎた、日本の話だ。


 表向きは、体罰は禁止されていたそうだが、それは「中央の話」だった。

 東京から遠く離れ、他県との交流も少ないM県では「M県のルール」が当然に存在し、中央のルールよりも重視され、親も子供もと受け入れていた。転勤してきた生徒や親が問題にすることもあったが、周囲があまりにも乗ってこない。それどころか過保護かほごのレッテルを親子共々に貼られることの方が多い。なので、そういう声は宮国という地で生きようとするほど、自然とあがらなくなるようにできていた。


 とにかく、そんな空気で、俺たちは教師の逆鱗げきりんに触れることを恐れながら、びくびくと学校生活を送るしかなかった。体育でも、最初の2ヶ月は二列と四列の縦隊と横隊、そして行進を延々えんえんとやらされる。俺たちはそれを、普通の体育の授業だと思いこんでいた。


 そこまで教師たちが「規律を守る生徒」の設計に必死だったのも、生徒会が「3ない運動」なんかをやってるM県宮国市だからこそだ。元々は数十年前の社会的な標語で「バイクの免許を取らせない、買わせない、運転させない」というやつだったらしい。それが俺たちの中学……三中さんちゅうバージョンになると「暴走族に入らない、入らせない、近寄らない」となっている。それぐらい、みんなが自然と暴走族と関係を持つ地域だったのだ。教師たちは、俺たちを非行に走らせないように、そして授業を円滑に進めるために、必死だった。


 その結果、「お前たちはダメだ」としかられ続けているような日常が生まれた。

 何も知らなかった俺たちは、理不尽りふじんに耐え、耐え続けることが普通の人生であることを受け入れろと強要きょうようされた。


 なんかつまんないな、中学って……


 俺は部活にも入らなかったし、勉強もしなかった。

 毎日、小学校の頃と同じように、放課後は友人の家に遊びに行ったり、家でゲームとネットをして過ごした。5月にあった最初の中間テストは、勉強しないでもそこそこの点だったので、期末テストもそんなもんだろう。そう思っていたら……


 夏休み直前の三者面談では、担任の朽木先生はお袋にテストの結果を見せて「学年平均より少し下」ということを言った。すでに黄色信号、このまま半年もすれば、完全に落ちこぼれる――そんな話を、重々おもおもしい口調で続けた。

 俺は怒られているような心配されているような話を横で聞きながら、むくれていた。


 俺は、けっこう傷ついていたのだ。

 自分が「学年平均より少し下」という現実に。

 真ん中に届かない一人ですよと、現実を突きつけられたような気がして。


 一応、小学校のころはあれこれよからぬことを考える知恵者ちえものキャラで通っていたはずの俺が、知恵者キャラを自負じふしない善良ぜんりょうな男子や女子に、実はおよんでいないという現実に。


 小学校のテストは「なんとなく」でもけっこう解けていたし、そういうテンションで、人生ずっと、そのまま進んでほしかったのだ。それで、自分は漫画の中に出てくる「頭を使うのが得意なキャラ」だと思っていたかったのだ。


 そんな俺が……

 全教科、まさか『ドラえもん』ののび太くんのような点数を取るなんて……


 くそ、中学の勉強は、難しい。

 難しすぎて、つまらない。

 テスト勉強というのも、やり方がわからない。


 第一、勉強なんてやる意味はない。昔は必要だったのかもしれないが、今のご時世、ネットで検索すれば何だってわかる。だから今時勉強なんて、俺たちが体育で延々とやらされる行進こうしん集合解散しゅうごうかいさん校歌斉唱こうかせいしょうと同じで、俺たちを痛めつけ、人格を否定し、人間的な思考力を奪うためだけに行われているのだ。それを無批判むひはんで受け入れられるやつだけが黙々と勉強し、いい点をとって、教師たちのお気に入りの人形になっていく。俺は、とてもそんな風には生きられない。だから、教師が言うには「まともな大人」にはなれないらしい。


 あーあ。この先ずっと、俺の人生お先真っ暗なのか……


 そんな鬱々うつうつとした日々が変わったのは、あの日だ。

 忘れもしない。俺の人生を決定づけたのは、あの日――夏休みの3日目だ。


 俺が、初めて学校の図書室に行った日。


 俺はその日、悪魔と出会った。


 妙ちくりんでへんてこな、悩める悪魔に。

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