第12話「恋愛マスター」

 3月31日、日曜日。


「はいじゃあ、落としますよー」


 頭上から凛とした声と共に、宣言通り私のハンカチがヒラヒラと落ちてくる。


「ありがとうございます!」


 私は風で飛ばされ、桜の木に引っ掛かってしまったハンカチをわざわざ上に登ってまで取ってくれた彼女にお礼を言う。


「困った時はお互い様ですよ。ということで早速ここから降りる手伝いの方を……」


「本当にありがとうございました!!」


 その時ちょうど彼女の背後から日が差し、元々綺麗だったその容姿がもはや神々しく見え、そのことに興奮してしまった私は大声でもう一度お礼の言葉を伝えた。


「あ、うん、どういたしまして。ところで私がここから降りたいからそのまま下で受け止めて……」


「では失礼しました!!」


 お礼を伝えた私は自分がこの後、体育館で行われる入学式に参加しなければならないことを思い出し、大急ぎでこの場を後にした。



……

 4月6日土曜日の早朝、学園の女性寮の一室に僅かだが明かりがついていた。眠い目をこすりながら机に付けられている蛍光灯の光の下でスマホに何かを入力している彼女の名は、特別クラス1年出席番号15番の臼井桃子うすいももこ


 ちなみに特別クラスは毎年女生徒が非常に少ないため、男子と違い寮は1人1部屋与えられている。なのでこのように朝早くから屋内で多少物音をたててもルームメイトを起こしてしまうという心配はない。


 彼女はいつもより少し早くから起き、黙々とメールをうっていた。そのメールの内容は



……

 私の帰りを待ってくれてるお母さん、お父さんへ

 慣れない寮暮らしですが私は元気にやっています。

 知っての通り私は中学生のころ特に得意な教科もなく普通の成績でお母さんは有名な学園の授業につい ていけるか心配していましたが、今のところはついていけてます。

 全ての教科を担任の桐八先生が教えてくれているんですが先生はとっても教え方が上手いんです。(ちょっと口は悪いんですが)


……



 そこまで打った桃子は手を止め腕を組み考え始める。


「う~ん後はやっぱりクラスメートのことを書いたほうがいいよね」


 そこで彼女は今日までの学園生活をざっと振り返り始める。


ーーー

 今から5日前、4月1日月曜日。


(ふう、昨日は寮のベットがふかふかですぐ寝てしまった、まさか10年以上の付き合いの実家の布団よりも気持ちよく寝てしまうとは……)


 そんなふうにベットの気持ちよさのことを思い出してると、この季節特有の心地よい暖かさもあいまって、段々と彼女のまぶたが下がっていく。


「はっ!!」


 完全に意識が落ちる寸前の所で、彼女は自身が眠りかけていたことに自ら気が付き、大声をあげて勢いよく目を見開く。


(まずい! こんな吞気に寝てるわけにはいかない。何でも聞いた話によると都会の学校では『なかよしぐるーぷ』というものがあって、その中に入れないと3年間、孤独な学園生活を送ることになる! そうならないためにも誰かお友達になってくれる人を探さないと!!)


 そう決意すると周りを見渡しまずは誰に声をかけてみるかを考え始める。


(やっぱり席の近い人からいった方がその後も何かと話しやすいよね。左隣の人はまだ来てないみたいだから、まずは右隣のえーっと……)


 ターゲットを右隣の席に座る少女に絞ると、ガサガサガサ! 桃子はバックの中から昨日貰ったクラス全員の名前が書かれたプリントを取り出し、相手の名前を確認する。


(えっと、片桐さんっていうんだ。よし! まずは片桐さんに話しかけてみよう。けど一体どんな話を振れば……興味ない話題をいきなりしたら嫌われちゃうだろうし、今日は天気がいいですねなんかは無難だけど、それじゃあきっと印象に残らないだろうし)


 桃子は隣に座る片桐にその様子を悟られぬように気を使いながら、どんな話題で切り込もうかしばらく考え込む。


(あ、そうだ食べ物の話でいこう! 食事に興味ない人なんていないから、これならきっと盛り上がるはず!)


 ついに話題を絞り込めた桃子は深呼吸をすませて自分を落ち着かせ、桃子は椅子を引き片桐の方を向く。


「初めまして片桐さん! 私は臼井桃子です!」


「あ、どうも初めまして私は片桐夏樹かたぎりなつきです」


 お互いの自己紹介も済んだところで桃子はすかさず前もって用意していた話題を口にする。


「片桐さんはどの虫が1番美味しいと思いますか?」


 元気はつらつに質問した桃子とは裏腹に、片桐の頭の中では虫という主語と美味しいという形容詞がどうしても結びつかず軽いパニック状態に陥っていた。


「私はやっぱりセミですね。あ、セミといっても幼虫の方ですよ? 成虫もいいとは思いますが、幼虫の方がしっかり身が詰まっていて味も濃厚で私、大好きなんですよ!」


 夏になると母親が必ず作ってくれた、セミの幼虫の素揚げの味を頭の中で思い出しながら桃子は片桐に熱弁し、それが終わると『次はあなたの好きな虫料理を教えて下さい』とその目を合わせて訴える。


「……」


 しかし片桐は楽しそうな桃子とは対照的にその顔は無表情で、2人の間を数秒の沈黙の流れる。


 バンッ!! かと思ったら何故か片桐は突然机を手で叩き、その勢いのまま席から立ち上がる。


「ちょ! ちょっとごめん! 私トイレ行ってくるね」


 片桐はそれだけ言うと桃子を残し教室から出て行ってしまった。直前の流れからして、片桐はその言葉通り急にトイレに行きたくなったのではなく、一度桃子との会話から離脱したくてそう言ったのだと誰もが普通わかるものだが、彼女の場合は違った。


(……そっかお手洗い我慢してたのか! いやーこれはタイミングが悪かったなー)


 少し特殊な環境で育った彼女は人を疑うということを知らなかった。



……

 一方トイレでは


「どんな初対面の話題のチョイスだー!!」


 誰もいないことを確認した女子トイレで片桐夏希は大声で先ほどの熱い桃子のセミの幼虫食レポに突っ込んでいた。


「ふぅー危なかった。もう少しで初対面の人に大声で頭どつきながら突っ込んでしまうところだった……あの目からするとどうもあれはボケじゃなくて話題提供で言ってるだろうからいきなり頭叩いたりできないよなー。けどせっかく声をかけてきてくれたんだし悪い子じゃないはずだ、今度は私から声をかけて仲良くなろう」



……

 片桐が去った後の教室で桃子は次に声をかける相手を見つけるため、キョロキョロと周りを見渡していた。


「おはようございまーす」


 桃子はその声に反応して前の方の入り口の方を見る、するとちょうど魔昼が教室に入ってきたところだった。


「あれは!!」


 桃子は魔昼の姿を見た瞬間、雷に撃たれたような衝撃を覚えた。なぜなら彼女は既に魔昼との間にとある縁が出来ていたからだ。


(昨日、桜の木に引っ掛かったハンカチを取ってくれた人だ! あんまりにもかっこよかったから、てっきり上級生の方かと思ってたけど、まさか同学年の同じクラスだったなんて……そうだ! ボーっとしてる場合じゃない! まずは昨日のお礼を改めてしないと!)


 そう思って桃子は早速魔昼の元へ駆け寄ろうとしたが。


「よう、おはよう魔昼」


「明日香ちゃんに中学校であんたはいつも遅刻ギリギリに登校するって聞いてたけど、高校生になって生活態度を改めたの?」


 その前に彼女が煉と会話を始めたのを見て、なぜか桃子の足は止まり、その場で声も上げずに桃子は驚いていた。


(あの人男の人と話してる!! しかもすごい親しげ、まるで幼い時からの知り合いみたいに!!)


 実際のところ本当に幼い頃からの知り合いなのだが、当然桃子はそんなことは知らず思考はどんどん加速していく。


(昨日は殆ど先生の話を聞いてるだけでクラスメイトと話す時間なんてなかったはず……それなのにもうあんなかっこいい人と仲良くなってるなんて! きっとこの人がおばあちゃんが昔言ってた恋愛マスターさんなんだ!!)



「いえ、ただ、あんた明日からもちゃんと学校来なさいよ、遅刻せずに」


「は?」


 わけのわからないといった顔をしている煉を置いて魔昼は自分の席にむかう。


「ふぅ」


 手提げバックを机の横にかけ、机に座り一息つく魔昼。そこへ。


「あ! あの!! 昨日はどうもありがとうございました!」


 挨拶もなくいきなり後ろからお礼の言葉を貰って少し驚いた魔昼だったが、当然彼女も昨日の桃子との出来事はまだ記憶に新しかったのですぐに状況を理解した。


「あなたは昨日の、同じクラスの人だったのね。これからよろしく……えーっと、そういえばまだお名前は聞いてなかったわね」


「あ! はい! 私は臼井桃子っていいます!」


「じゃあこれから3年間よろしくね臼井さん、私は桂木魔昼っていいます」


「魔昼さん!」


「うん」


「じゃあこれから恋愛マスターと呼ばせてもらいますね」


「うん?」


 尋常じゃない程のバカ男、約2名と昔から付き合いがり、それに散々振り回され大概のことでは驚かないと自負していた魔昼だが、さすがにこの桃子からの言葉の不意打ちによって彼女の思考は大きく乱れる。


(恋愛!? えっ、なに? この子今なんて言った? あだ名的なものを付けられたっていうこと? だとしたらその呼び方はちょっと辞めてほしいんだけど……どういったものであれ、折角つけてくれたあだ名を断るのも失礼だし)


 そんな風に魔昼が突然授けられた『恋愛マスター』という不名誉な称号を、波風が立たぬようどう断るのか考えているうちに桃子は早くも次の話題に移る。


「えっと……魔昼さんは今までどれくらいの人とお付き合いしてきたんですか!?」


「はい?」


 瞬間、魔昼の脳裏にはさっきまで話していた1人の男の顔がちらつく。


(いや! いや! あれは違うから!)


 しかしすぐにその可能性を自分自身で完全否定してからこう答えた。


「う~ん恥ずかしいことに0人なんだよね~」


「え!? 恋愛マスターさんなのにいたことないんですか!!」


 魔昼が心の中で『だからその恋愛マスターってなんだー!!』と叫びを上げた時、横から1人の少女がこの会話に加わってきた。


「なになに? 恋愛話?」


 加わったのはこの2人が話している様子を自分の席から眺めていた明日香であった。


「一応そうみたいよ」


 恋愛マスターという概念がなんなのかよくわからないが、一応話題は恋愛だと魔昼は判断して答えた。


「は! 初めまして! 私は臼井桃子っていいます! いま恋愛マスターさんから恋愛の極意を教わっていました!!」


「いや教えてないわよ!?」


「初めまして桃子ちゃん、私は椎名明日香、よろしくね~。ちなみに魔昼ちゃんは将来私と結婚するから手を出したらダメだぞ」


「え!? 明日香さんと結婚するということは魔昼さんは実は男性だったんですか!?」


「いや私は女だし明日香ちゃんのことは好きだけど結婚はしないから」


「え~」


 魔昼の言葉を聞き桃子はよかったと安心して胸を撫で下ろし、落ち着きを取り戻した。そして次は明日香に質問をする。


「ちなみに明日香さんも恋愛マスターさんなんですか?」

 

 そう聞かれた明日香は魔昼と全く同じように『恋愛マスターってなに?』と思いつつも、彼女ほどは酷く動揺せず、すぐに言葉を返した。


「いやー残念なことに私は違うんだよねー」


「いや私も違うから」


 自分だけは違うような発言をして『恋愛マスター』という称号の授与を躱した明日香、魔昼もそこにすかさずその発言に訂正を入れ自身も『恋愛マスター』ではないことを主張する。


「なーに言ってるのよ魔昼ちゃんには6歳の時から運命の相手が……」


 誰にも知られたくない自分と煉の関係を漏らされると思った魔昼は、ガシッ! 明日香の両肩をわし掴みにして少し強引に自分の方を向かせる。


「やだなー明日香ちゃん、そんな幼稚園通ってる頃の恋は恋愛て呼ばないのよ?」


「……そ、それもそうね」


 『絶対話すな』という強い念が込められた魔昼の視線に怖気づいた明日香は大人しくその話をなかったことにした。


「?」


 そんな脅迫が行われているとは知らない桃子には今の状況がよく読めていなかった。



……


という感じで2人とは出会いました。その後も2人とはよくお話したり、お昼を一緒に食べたりしています。魔道名家出身のお嬢様と始めは仲良くなれるか不安でしたが2人はとっても優しいです。


なので私のことは心配しないでください。こっちでも楽しくやって行けそうです。


……

 


メールを締めくくり、1度手を止める桃子。


「ふーっ、書けたー」

 

 一息ついてから彼女はメールを送信し、役目を終えたスマホを一端机に置き、登校の支度を始める。


「よーし今日もがんばるぞー」

 


……

 その日の午後。


「……つまり陣くんに私と煉の関係を言いふらしたのはあんただったのね加賀斗?」


 人気のない屋上に続く階段の踊り場で、正座をしている加賀斗とその前で腕を組んでそれを見下ろす魔昼。


「そうです」


 すぐ目の前にいる魔昼がギリギリ聞き取れるくらいの細い声で自分がしたことを認める加賀斗。それが魔昼の神経を逆撫でしてしまった。


「いつもは無駄に大きな声出すのに今日は随分静かなのね~? 体調でも悪いの?」


「えっと少し気分が悪いからもう部屋に戻りたいかな~、なーなんて」


 その瞬間、それまでしていた魔昼の不自然な笑顔が消えたことに加賀斗の謝罪を後ろから見守っていた明日香はいち早く気づいた。そして気づくと同時に耳を両手でふさいだ、その直後


「気分が悪いのはこっちのセリフよー!!!」


 明日香の予想通り、魔昼の大声と加賀斗に向かって降り注ぐ雷魔法の騒音が人気のなくなった土曜午後の校舎に鳴り響いた。そして


(お父さん、お母さんやっぱり名家のお嬢様達は恐ろしいです……私もしかしたらもうお父さん達に会えないかもしれません)


 校舎を探検中の桃子に偶然その一部始終を見られていた。


続く

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