第16話

 寒い朝、右眼球の横を鋭い突きが通り過ぎる。両手で木の感触を確かめると、躊躇いなく目の前の少女に振り下ろす。深い青の瞳が剣と剣の隙間から覗く。

「ふぁいとーーー」

 気の抜けた掛け声とともに強烈な力で俺の木刀が宙を舞った。からりと悲しみの溢れた音が響く。

「無理じゃないか、これ?」

「諦めたらそこで終わりだぞ、未来の天ヶ瀬当主」

 沙耶の父親から与えられた猶予ゆうよはたった一ヶ月。どうも冗談だと思われているらしい。俺も最初は冗談かと思っていたから人のことは言えない。


「うんいいよー。やっと本気で受け取って貰えて助かったよー。実を言うと、優秀な息子は皆、起業しちゃって、途方に暮れていたんだ」

 家で真剣な眼差しで伝えた反応がこれだ。本当にグループの長なのか疑わしいほどあっさりと言ってきた。

 ただし条件を一つ出された。それがこれだ。

「空閑ちゃんを倒しちゃってよ……じゃないだろ」

 今のが初めてではない。もう何十回も木刀は宙を舞っている。面も胴もつけなくていいと言ったときは、不安に思ったがその言葉は真実だった。空閑は俺に直接当てることなくあっさりと勝利し続けている。こっちは挑めば挑むほど息が上がり集中力が切れるというのに、あちらは常に自然体だ。

「そろそろ、学院の時間だぞー」

 沙耶はもしもの時は、「駆け落ちだ!」などと言っていたが、それじゃ駄目なんだよ。


「聡、昼休み一緒に食べるぞ」

「いや、今日はやることがあるから無理だ」

「今日は、じゃなくて今日もだろ」

 聡は振り払うように立ち上がると教室から出ていった。

「……むー」

「聡の奴、彼女を待たせるとはどれだけ贅沢なやつなんだ。羨ましい」

「本音、本音が出てるよ東くん」

 よく聡と一緒にいる東と志帆が話している。

「一体何してるんだろうな。私には何でか話してくれないんだ」

「よし、じゃあ見に行こうぜ」

 東は元気よく立ち上がる。

「いつもスカした聡の裏側でも見えるかもしれない」

「何言ってるんだ、聡はいつでもカッコいいぞ。たまに変なこと言うけど」

「変なことって」

「エレインちゃんがどうとか言うやつだ。……浮気かと思ったが、やっぱり浮気だった」

「ははは、雪花ちゃんから聞いてたけど本当にハマってるんだね」

「好きなのはいいけど、私に振り向かないのはどうかと思う。やっぱり胸か、胸が足りないのか!……ということで真実を見つけに行くぞ!」


 学院の中庭で汗を流しながら聡は龍の木刀を捌いていた。

「聡、剣道にハマったのか?」

「そういうわけじゃなさそうだけど。それだったら沙耶ちゃんに言っても問題ないし」

「相変わらず熱心にやってるね。貴方達も、兄様も」

 後ろから雪花が喋りかけてくる。

「聡は何してるんだ。どうせ、お前は知ってるんだろ?」

「彼女より知ってるなんて誇らしいわね」

「うるさい」

「兄様の彼女はあいも変わらず怒りっぽいのね。可愛い」

 蛇のような目でにジロジロとこちらを見る。こいつは苦手だ。

「で、聡は何してるんだ。いや、何のためにしてるんだ?」

「そんなの貴方に追いつくために決まってるでしょう」

 嘲笑ちょうしょうするように言った。


 俺の首元に棒が添えられる。

「私の勝ちだな」

 疲労に耐えかね地面に倒れ込む。冬空は曇っていた。勝てないな。握っていた右手が震えている。

「昼はこれぐらいにしておいた方がいいだろうな。怪我をしては意味がない」

 返事の代わりに息が溢れる。まだまだやれると言いたいのに、心臓は破裂しそうなほど動いている。


 放課後、再び刀を握り振り下ろす。昼休みよりも龍の動きについていける。距離を取られ攻撃が外れる。木刀に引っ張られた俺の頭の上に攻撃が落ちる。咄嗟に横にステップして避ける。龍の目を見て次の動きを捉える。腹には既に木刀が接近している。

「私の勝ちだ」

「ありがとうございます……」

 結局、勝てなかったか。確かに攻撃は見えている。

「見た瞬間に打突がどこに来るかも判断できているようだ。だがそこから行動までの隙きが大きすぎる。あと、見ることに気を取られ過ぎだ」

 龍はため息をつく。

「一ヶ月だったか、……そのメイドは私より強いのだろう?」

「たぶん」

「そう言われると自信をなくすな。私はお前に勝ち目がないとは思わない。が、本来の目標を忘れるな」


 家に帰って今度は空閑と試合をした。

「では、また明日挑んでくるが良い。勇者、聡よ」

 倒れ込んでいる聡を放置して屋敷に戻る。右手であくびを隠す。無意識に出てきた涙を拭いた。


 自室に戻ると文明の利器すまとふぉーーんを起動してLINKに届いているメッセージを確認する。メールで送られた来た文書ファイルをパソコンにダウンロードする。

 思いつくままに文字を打って、立ち止まって画面を見る。分からぬ。我には分からぬ。とりあえず物語を書き進めてから直すことに決めた。

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