第2話

「ごめんなさい。内の優秀なメイドが迷惑をかけたわ。空閑くがつばめって言うのよ。好みだったりしない?」

 謝罪の気配などなく、ニヤニヤとしたまま雪花は心底楽しそうに言う。天ケ瀬雪花ゆきか。俺、天ケ瀬聡の妹。当然ながら実の妹ではない。ついさっき彼女の言葉通り初めて会った義妹だ。義妹と考えると、俺の頭の中には頬を染めてお兄ちゃんにわがままを言う可愛い二次元の妹が浮かんだ。もう一度、現実を直視してみる。……魔王だな。現実は非情だ。

「それはいいとして、魔王様、どこに向かっているのでしょうか?」

「良い質問だな、下僕よ。貴方が登校する学院に向かってるわ」

「えーと、雪花さん?」

「魔王様でいいわよ」

 意外とノリが良いらしい。

「雪花、学院には屋敷からどれぐらいかかるんだ?」

「徒歩十分ぐらい」

 学院が近づいて来たからなのか、人通りが増え、乱雑な言葉が飛び交う。両側には合掌造りの店舗が並んでいる。近代化が進んでいるのか、所々目を引く英語の看板が見える。

「雪津市には、宣伝文句としてよく日本古来の原風景なんて言葉が使われているのだけど。これが原風景なんて随分と近代的な子供なのね」

「宣伝文句ぐらいスルーしてやれ」

「虚偽報告は断罪されるべきというのもまた一つの考えよ」

 

 雪花の言ったとおり、10分程度で三階建ての巨大な建築物が見えてきた。私立灑桜さいおう学院。上流階級の子息子女が通う100年以上の歴史ある学院としてその手の界隈には有名らしい。俺もオタクの一人として知ってはいたが、木製の校舎の前に立つと圧倒される。ここに転校するのか?

「なに、ぼーとしてるのよ兄様。貴方もこれから天ヶ瀬家の人間として、気品と礼節を身に着けてもらわないといけないわ」

「難易度高い」

「あら、猿みたいな貴方も素敵だから、それでもいいわよ。飼ってあげる」

 真顔でそう言われた。猿のようだと思われていた。これだけの暴言を吐かれれば怒りの一つでも湧いてきそうなものだが、義妹の楽しそうな顔を見ていると不思議と暖かな気持ちになった。俺はドMかも知れない。

 実を言うと、養子として天ヶ瀬家に引き取られてた時点で覚悟はしている。さっきのは妹なりのフォローなのだろう。

「ちなみに学院の学生に気品を期待したら幻滅するわ」

「……さっきまでの会話は何だったんだ?」

「転入手続き、終わらせてきたら良いんじゃないかしら」

 雪花は言いながら、カバンから書類の入ったハードファイルを取り出す。

「あ、私は先に帰っておくわ。兄様のために寒いの中待つなんてごめんよ。帰ったら楽しみにしておくことね」

 本当に帰ってしまった。ツンもデレもない。リアル妹とはこんなものなのか。俺は苦笑いしながら、入りづらい校舎に入った。

 

 転入手続きは驚くほどあっさりと終わり、帰路につく。好奇心旺盛だからなのか、新しい土地に何だかんだ浮かれているのか、俺は帰りは少し遠回りをしてみる。

 ここがメインストリートだろうか、通学路よりも賑わっている。

「え、えーと」

 あたふたとした小さな声が聞こえた。すぐさま人の流れにかき消されて消える。たぶん、こっちだな。

「今困ります。バイトなんですよ?」

「じゃあ、LINKだけでも交換してくんない。一目惚れなんだよ」

 声色から命の危機かと思ったが、ただのナンパだった。大学生のナンパに高校生のバイト少女が迫られているようだ。ナンパ男を見たのは人生で初めてだ。レアキャラかもしれない。

「ちょっ、ホントに辞めてください。警察呼びますよ」

「なんでだよ、俺は本気なんだから良いじゃないか!」

 逸らそうとした視界の端で、男の細い腕が伸びていた。無意識にポケットに中に入れていたボロボロのお守りを握っていた。誰よりも優しくありなさい、ね。

 

「いってぇ、何すんだよお前!」

 俺は男の伸ばした腕を掴んでいた。染めた金髪の奥に見えた瞳は、絶対に恋い焦がれてるとは思えない。細い腕だと思ったが、筋肉がついている。これは駄目だな。

「大学生、最近彼女に振られたな。理由は二股。合コンには積極的に参加してるけど、悪い噂が尾を引いて相手にされない。ここで高校生の出番だ。ここの生徒なら金を持っているし、若くていい。そんな目をしてますね?」

 できる限り大きな声で周囲に聞こえるように喋る。男は青筋を浮かべている。俺は後ろの少女に目配せで立ち去るように言う。茶髪と大きな黒い瞳は確かにナンパされるだけのこともあるのかもしれない。少女が歩き始めたのを確認した後、前を見ると男の拳が迫っていた。

 間一髪、横に飛んで避ける。次の拳が迫っていた。ボクシングでもやっているのか。軌道がどれだけ読めたところで体が追いつかない。腹に重い一撃が直撃した。容赦ないなコイツ。

 男はよほど自尊心が強かったのか、この程度では怒りは収まらない。腹を抱えてた俺の顔面の前には拳がある。鼻を強打されて意思とは関係なく涙が出てくる。泣きたいのは事実だけど。下がった視界の雪が赤色に染まる。予想外に次の攻撃はなかった。

 淡い桃色の椿つばき柄が描かれた青の着物とスカート、パンフレットで見た近代化された和服を着た真紅の髪の少女が俺と男の間に立っていた。確か、灑桜の制服だ。それも女子の。

「腕に自信があるのは結構だが、逆上して振るわれるのであればその力は間違っている。と、いうのが俺の持論だ!」

 衝撃波でも飛びそうな連続した破裂音と共に、男が倒れ込んだ音が聞こえる。

「大丈夫か、少年」

 タコ殴りコースが回避できたことに安心したのか、痛みが増してきた。やっぱり正義感は身を滅ぼすよ、母さん。

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