第55話 さようなら

職員室で一学期最後の夕会で、校長が僕と小梢の二人が異動になる事を告げ、僕は別れの挨拶を済ませた。


教頭からは『経験を積んで、いつかまた戻ってきてください』と声をかけられた。

いつも小言の多い教頭だったが、何かと目をかけていてくれたのかもしれない。

苦手だと思っていたけど、いざ別れるとなると寂しい思いがした。


校長は僕たちを守れなかったことを深く残念がっていたし、他の教員もせっかく新卒の教員が入ってくれたのに残念だと別れを惜しんでくれた。


私物は夏休み中にとりに行く事にし、僕は短い間だったが職場に別れを告げて学校を出た。


まだ日差しも強い時間帯、セミの大合唱がまるで退場を見送る拍手のように聞こえた。




「圭先生……」


「有村さん、まだ帰ってなかったの?」

学校を出たところで恋音に声をかけられた。彼女と話すのは特別授業の日以来だった。恋音とは個人的な付き合いを禁じられているが、もう転校が決まっている。少しなら良いだろうと思い、一緒に下校する事にした。


「うん、学校じゃ圭先生と話せなかったし、それに、この間の事も謝りたかったから。

雪村先生は、まだ体調が良くないの?

あれからずっと休んでるし、雪村先生にも謝りたかったけど、二学期になりそうね」


小梢と僕が転校する事は生徒達にはまだ公表されていない。

おそらく、二学期の始業式で唐突に発表されるだろう。

もしかしたら、僕たちは最初から居なかったかのように扱われるか事も考えられる。


「雪村先生には、僕から伝えておくよ」


「ありがとう。

ね、聞いても良い?」


「うん、何を?」


「あのね、圭先生って、どうして……、その、どうしてA子さんの事を知ってたの?

雪村先生とそんなに長い付き合いのようには思えないけど、どうして新聞記者さんや、昔の担任やA子さんのお母さんに会っているのかな?

て、思って」


色々と事情を知っているようだが、恋音も僕と小梢、そして土門華子との関係までは知る由もない。不思議に感じるのも仕方ないだろう。


「A子さんとは、中学一年の時に同じクラスだったんだ。その後、二年生から僕は転校したからA子さんの自殺の事も知らなかったんだけどね」


「そうか、圭先生もこの中学に居たんだもんね、その時の知り合いだったのか……。

じゃあ、雪村先生ともその頃に?

むかし付き合ってたとか?」


「小梢の事は、中学生の時は知らなかった。大学で出会って、その時に少し付き合ったんだ。その時にA子さんが自殺した事をきいて、小梢がそれに関与していた事も聞いた。

彼女は酷く後悔してたし、その関係で僕たちは別れたんだ。」


「そうか……。じゃあ、ここで出会ったのは偶然だったの?」


「そうだね、まさか小梢が居るとは思わなくてビックリしたけどね。

それはそうと、有村さんはどうして小梢が事件に関与してるって知ったの?」


「ワタシ、団地で小さい頃から仲良くしてもらってるお姉さんが居るんだ。

圭先生とは一学年下で、凄い努力家なんだよ。

高校も大学も返さなくて良い奨学金でいって、あ、今は京都の大学に通っているんだけど、夏休みで帰って来てたの。


で、圭先生の事を話してたら、雪村先生の事まで話すことになっちゃって、それで、お姉さんが当時の事を覚えていて、教えてくれたの」


「なるほど……、そういうことだったのか。

正直、いつかは知られてしまうんだろうとは思っていたけど、心の準備ができていなかったから、混乱しちゃったよ」


「雪村先生が二股かけてるって噂が流れてたし、それに事件の関係者だって知ったものだから、許せなくて……。圭先生が可哀そうだと思うと、クヤシくてクヤシくて、それでグループメッセージで皆に教えてあげたの」


「なるほど、それで示し合わせて小梢をバッシングしたという訳か」


「うん、ごめんなさい。

圭先生も、校長先生も言ってたけど、ああいう感情って虐めに似ているよね。

ほら、芸能人とかが不倫して、いつまでもニュースや新聞でバッシングして、関係ない一般人まで一緒になって叩いて……。

不倫した人間が悪いんだ、自分は正しい事を言ってるんだって気分になる。


でも、そんな筋合いなんてないし、誰かを叩いてもスッキリするわけじゃないし、今考えてみると、馬鹿な事したなとしか思えない。


それに、雪村先生って強いから、絶対反撃してくるよって皆で団結して立ち向かおうって言ってたのに、あんなになるなんて思わなかったし、雪村先生に悪い事しちゃった」


「気づいてくれて、ありがとう。

そうやって気づいてくれただけでも、あの授業の意味はあったよ」


「少しは大人になれたかな?

あ、でも、雪村先生が嫌いなのは変わらないから!」



(やっぱり、嫌いなのか……)


夏の日差しがジリジリと照り付ける。恋音の頬を汗が流れていた。今更気づいたのだが、最近、恋音は化粧をしていないようだった。何か心に変化が起きたのかも知れないと、ふと思った。


「そういや、最近は化粧をしてないんだね」


「な、なに? 唐突に。

お姉さんから笑われたんだ。『下手くそな化粧なんてしなくても恋音は十分可愛いよ』って。

圭先生が気づいたところを見ると、ワタシって可愛い?」


「まあ、教師がこんな事を言うのは不味いけど、有村さんは可愛いよ 笑」


「なんで笑うのよ~~

どうせ、雪村先生が一番なくせに」


そうだ、僕にとって誰よりも大切にしなきゃいけないのは小梢だ。

そして、もう絶対に離れたくないと思っている。だが、二学期からは別々の学校となり、住む場所も離れてしまう。今生の別れではないが、現実を考えると二人の関係を維持するには相当な努力が必要だと思えた。


もしかしたら、このまま自然消滅だってあり得る。

恋音と一緒だというのに、顔が曇っていく気がした。


「どうかしたの? 浮かない顔して」


「あ、いや、何でもないよ。

そういえば、有村さんの夢というか、目標なんだけど、きっと叶うと思うよ。

立派な看護師さんになってね」


「うん、ワタシ絶対になるよ。いつか怪我したらまたワタシが診てあげるよ。今度は本当の看護師としてね」


「あはは、怪我も病気も、できれば世話にはなりたくないかな」

そう言いながら、僕は恋音の頭に手を、ポンとのせた。


「え?」


「じゃあ、ここで」


「うん……」


道が分かれるところで恋音とは別れた。おそらくもう会えないだろう。

恋音は、僕が黙って別れたことを怒るだろうか?


僕が転校する事は緑彩にも言っていない。学校から口止めされていたからだ。

きっと、恋音は学校や僕に不信感を持つだろう。

でも、それでも恋音は自分の目標を見誤る事はないと、僕は信じている。



(さようなら……、有村さん)





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