第53話 パニック
「ちょっと待ってくれ、有村さん。
違うんだ、雪村先生は何も知らなかったんだ。彼女も男子グループに騙されただけなんだ」
思わず僕は立ち上がって小梢を庇おうとした。小梢は黙って下を向いて座っている。
まるで魂が抜けたようで心配になるが、小梢に構う暇もなく恋音の追撃が始まった。
「圭先生……、やっぱり知ってたんですね。
雪村先生が単なる虐めグループの一員ではなくて、A子さんが自殺した直接の原因にも関係してるって。
それで雪村先生と付き合ってるんですか?
可愛ければ犯罪者でも好きになるんですか? しかも、雪村先生は二股かけるような人なんですよ。
さっきから、雪村先生の事ばかり心配して、今日はA子さんが亡くなったことについて、『命』について考えようっていう授業じゃないんですか?
雪村先生って、同じ女なのに、酷い目に会うのにA子さんを連れ出したり、平気で浮気したり、そういう人なんですよ、それでも好きなんですか?
自分が惨めだと思わないんですか? 遊ばれてるんですよ」
恋音は興奮気味に一気にまくしたてた。
彼女の言う通りだった。今日の授業は、表面上『命』について話し合う授業としているが、実際は土門華子の死について話し合う場でもあるのだ。
それなのに、僕は小梢の事ばかりを気にかけて、この授業の趣旨を疎かにしていた。
「確かに、僕はその事件の事を知ってました。
実際に記事を書いた記者さんや、当時のA子さんの担任だった先生にも会いました。
そして、A子さんのお母さんにも会いました」
僕が話すと、一気に教室が騒がしくなった。生徒達も、小梢が虐めグループの一員である事や、事件へ関与した事は事前に知っていたのかも知れないが、まさか僕がここまで詳しく知っているとは思わなかったのだろう。
「じゃあ、雪村先生が自殺を図った事も知ってるんですね?」
何処で情報を得たのか、恋音は当時の事を知っているようだった。
「どうして、そんな事まで知ってるんだ……」
だが、それ以上に驚きの声をあげたのは委員長だった。
悲鳴に近いと言った方が良いかもしれんない。
「有村さん、本当なの?
どうして黙ってたの? ヤダ……、私ひどい事を言っちゃった……」
「今更、良い子ぶらないでよ。
アナタだって怒ってたじゃない、雪村先生の事を『ヒドイ』って、だから『死ねば良い』なんて言ったんでしょ?」
「私はただ……」
「ちょっと、落ち着いてくれ、二人とも。
君たちが雪村先生を責めたとして、この授業はそんな事をするための場じゃないんだ。
『この人は許せないから、どんな事をしても良いんだ』、『自分は正しい事をしている、悪いのは相手だ』。
例え正義感から湧いてきた感情だとしても、そういう気持ちは虐める人の気持ちと一緒だよ。
『この人が嫌いだから、意地悪してやろう』
そういう気持ちと同じなんだよ。
そういう気持ちになった時に、『どうして許せないんだろう?』、『本当に自分は正しいのか?』、『何故あの人が嫌いなんだろう?』、『こんな事をして、本当に自分の気が晴れるのだろうか?』、そういう事を考えて欲しい」
生徒には偉そうに説教したが、自分自身が興奮している事を僕は気づいていた。
またしても私情を優先させて小梢を庇おうとしている。
(土門さん……、ゴメン)
土門華子に心の中で謝った。しかし、今の僕には何よりも小梢が大切なのだ。
「今、圭先生が言った事、経験者なら答えられるじゃないですか。
A子さんが嫌いだから意地悪して、A子さんなてどうなっても良いから男子の所へ連れ出して、自分が悪い事したと気付いたから逃げて、自殺までしようとして、雪村先生が全部経験してるじゃないですか。
ワタシたちに、あれこれ想像させて話し合わせるより、雪村先生に体験談を話してもらった方が、よほど為になりますよ。
学校はズルいんじゃないんですか?
この授業だって、虐めによる自殺だけ説明して、でも実際は酷い犯罪があった事を隠してるじゃないですか。
しかも、その犯罪に加担した人を先生にして……。
雪村先生に憧れていた女子は沢山いたんですよ、みんなガッカリしてます!」
「頼むから、落ち着いてくれ、有村さん。
誰だって過ちは犯すし、失敗することもある。だけど、過ちや失敗は正す事だってできる。現に、雪村先生は努力もしたし苦しんだりもした、けど、その経験を活かして立派に教師になったんだ」
「立派な教師が聞いて呆れます。
じゃあ、その立派な大人が二股かけたりするんですか?
さっきから、圭先生ばかり言い訳を繰り返して、雪村先生は黙ったままじゃないですか、何か言ったらどうですか⁉」
恋音の問いかけに僕が答えようとしたとき、小梢が僕の手を取った。
そして、その反動で立ち上がろうとしたのだが、僕の手にしがみついている小梢の指先に力が感じられない。
小梢は立ち上がれずにうずくまると、膝をついて苦しそうに胸を抑えた。
「雪村先生!」
僕が叫ぶのと同時に、教室中に悲鳴が起きた。
「小梢! 小梢! どうしたんだ? しっかりして!
あわわわ! だれか、110番! 警察呼んで!」
「森岡先生! 落ちついてください!
男子! 保険の先生を呼んできて!」
慌てふためく僕を他所に、委員長が指示を出すのが聞こえた。
数名の男子生徒が教室を飛び出していく。
小梢の顔は真っ青で、明らかに尋常ではない。僕はこのまま小梢が死んでしまうのではないかと怖くなった。
「小梢! 小梢!」
「もう! 頼りないだから、圭先生は!
騒がないで!」
「有村さん?」
「みんな騒がないで! 特に、圭先生!
雪村先生、落ち着いて……
圭先生、手を握ってあげて」
「う、うん」
僕は言われるまま小梢の手を握った。
「たぶん過呼吸です。
落ち着かせれば大丈夫だと思います」
だが、騒ぎを聞きつけて隣の教室からも先生が入ってきて、またしても騒然とする。
「ほら! 野次馬は散って!」
その時、男子生徒に連れられて保険の先生が現れた。
集まりかけた隣の教室の先生を追い払うと、小梢に寄り添い声をかける。
「もう大丈夫よ、少し休んだら保健室に行きましょう。
有村さんだったかしら?
あなたの行動は適切だわ、ありがとう。
それに比べて森岡先生、ダメじゃないですか、教師が一番パニックになって騒いで」
保険の先生にたしなめられて、またしても僕は背中を丸めてしまう。
生徒にやりこまれ、保険の先生に叱られ、最悪の一日となってしまった……。
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