第52話 逃げるんですか

思わず卒倒しそうなくらいの衝撃だった。

委員長は弁論大会でも優勝するくらい冷静に弁を振るう生徒だ。

それが冒頭でいきなり感情的な論調なのだ。


その後も彼女は容赦なく続ける。

その内容は終始、虐めを行った者への非難だった。


委員長が発表を終えると、教室は言いようのない静寂に包まれた。

ここまで一方的に虐めの加害者を非難する内容に終始するのは、明らかに不自然だった。もはや疑いの余地はない。


今朝から感じていた違和感の正体が分かった気がした。

そして、それは当然小梢も感じているはずだ。生徒たちは小梢が虐めの加害者の一員である事を知っているのだ。


「ありがとう……。

でも、発表内容が隔たっていないか?

それじゃ、単に虐めの加害者を糾弾する内容になっている。

もっと色んな意見があっても良いと思うんだけど?」


口を出すなと言われても、流石に看過できない。このままでは、小梢の精神状態が心配だ。僕は椅子から立ち上がると、つい意見してしまった。


「森岡先生は今、色んな意見があるとおっしゃいました。

だから、今発表した内容が私達の班の、色んな意見の中の一つです」


(う! 流石は弁が立つ)


「あ、いや、そうじゃなくて、単に『虐めの加害者が悪い』だけじゃなく、そうだな確かに虐めた子に非があるのは明らか……なのだけど、『どうして虐めたのか?』とか、『虐められている子がいたら、例えば同じクラスならどう対処するのか?』とか、もっと建設的な意見をだな」


「じゃあ、言います。


虐めた子が死ねば良いと思います。


それに、『どうして虐めたのか?』なんて私たちには分かりません。

じゃないんですから」


他人に向かって『死ねば良い』なんて……、何という事を言うのだろう。

僕は、呼吸が苦しくなる気がした。

そして確信が深まった。やはり彼女たちは知っているのだ、小梢が虐めの加害者だという事を。


「し、死ねば良いだなんて……、君は本気で思っているのか⁉」


「だって、そうじゃないですか。

人が死ぬまで追い詰めておいて、自分はちゃんと大人になるまで生きて、虐められた子が死んだことなんて忘れて幸せに生きているなんて、理不尽だと思います。


じゃあ森岡先生は、虐めをしている子に何と言って虐めを止めさせるんですか?

死んだ子の親に、『苛めっ子を許してあげてください』と言えるんですか? 」


たたみかけるように弁を振るう委員長に、僕は返す言葉が見当たらなかった。

彼女の言う事には、一理も二理もある。


「そ、その……だな、君の言う事は一理ある。

でも、だからと言って、その苛めっ子に『死ね』というのは、君が苛めっ子の立場になるとは思わないのか?」


「森岡先生……。

私は思っている事を、先生が意見を出せとおっしゃったから表しただけです。

実際に人に向かって『死ね』という訳ではありません。

どうして、私が虐めっ子になるんですか? それに、この授業は先生は口出ししないじゃないんですか?

他の班の発表もあるんです、時間が無くなるのでいい加減にしてください!」


「わ、悪かった……。もう黙るから、続けてくれ」

生徒に言い負かされて、またしても僕は背中を丸めて小梢の隣に座った。

きっと小梢は冷ややかな目をしているのだろうと思い、小梢の横顔を盗み見すると、小梢は焦点の定まらない感じで足元を見つめているようだった。

しかも、少し呼吸が荒い。


僕が声をかけようとすると、次の班のリーダーの発表が始まってしまった。

またしても、虐めの加害者を非難する内容だった。


そして、四班までが発表を終えたのだが、示し合わせたように虐め被害者への非難に終始した。しかも全て女子が発表者だというのも不自然だったのだが、ここに至って僕はある事に気付いた。


今まで発表したのは、四時間目が始まる前にトイレへ行った連中なのだ。

あれは、何かの打ち合わせだったのではないだろうか?

だとしたら、最後の班の発表は恋音だ。


横に座る小梢は、座っているのも辛そうだった。

これ以上は、ここに小梢を居させてはいけない。僕の不安は絶頂に達していた。


「ああ、最後の発表だが、すまない。

雪村先生の体調がすぐれないみたいなんだ、これで雪村先生は退場してもらおうと思う。

雪村先生? 大丈夫ですか、顔色が悪い」


不意に自分に向けられた言葉に、小梢は我に返ったように背筋を伸ばして僕を見つめた。やはり目が虚ろだ。



「逃げるんですか⁉」

その時、恋音の声が教室に鳴り響いた。


「に、逃げるって、何を言ってるんだ? 有村さん」


「だって、そうでしょ?

自殺した子は、逃げたくても逃げられなくって、それで死を選んだんですよ。

自分だけ逃げるなんて、卑怯だと思わないんですか?


最後の発表はワタシです。あと少しなんだから我慢してください」


「我慢って……、体調不良に我慢もないだろ」


「大丈夫です、わたしは平気ですから、有村さん、発表を続けてください」


恋音は『言われるまでもない』と言った態度で教壇に立つと、一枚の紙を広げた。

「これは、九年前の事件について書かれている新聞の記事です!」


恋音が広げたのは新聞のコピーだった。

そして、恋音は新聞の見出しと前文を読んだ。


新聞には、中学二年生の女子生徒が自殺した事と、その女子生徒が虐めに合っていた事、そして虐めグループの男子が中心となって乱暴した事が書かれていた。


恋音が記事を読み上げると、教室の中が騒めいた。


「ワタシは団地の子です。


みんなも知っての通り、団地の子は問題児が多いという事で、ワタシもみんなからは敬遠された存在だという事は分かっていました。


そして、なぜ団地の子が敬遠されるようになったか、それは、この記事のA子さんを暴行したのが、団地の子のグループだったからです。

この事件がきっかけなんです」


僕は、緑彩が以前言っていた事を思い出した。彼女は団地の子が昔警察沙汰になるような事件を起こしたと言っていたが、それが土門華子の事件だったとは、何という因果だろう。

だが、それ以上に僕は恋音が次に何をしゃべるのか、怖くて仕方なかった。


「記事の中に、暴行を働いた少年を補導、そしてA子さんを呼びだした女子生徒から事情を聞いていると書いてあります」


そこまで言うと、恋音は持っていた新聞のコピーを丸めた。

グシャグシャっという大きな音が、恋音の心中を表しているようだった。




「この女子生徒って、雪村先生ですよね」





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