第44話 宿題

緑彩の勉強に熱が入り、というより何かに集中したかったという方が正確だろう。

夕方までみっちりと勉強に付き合って、叔母の家で夕飯をご馳走になったため、帰りが夜になってしまった。


このまま帰っても良かったのだが、まだ自室へ戻る気になれず、僕はフラフラと駅の方へと向かっていた。

少し賑やかなところに居たい気分だった。


こんな時、東京なら直ぐに賑やかなところへ行けるのに、此処だとそうは行かない。

せいぜい駅前が繁華街になっているくらいで、立ち寄る所も限られている。

コンビニで買い物しても良いところだったが、僕は、普段はあまり立ち寄らないショッピングモールへと足を向けた。



小梢がイケメン男子と一緒に居る所を見られた場所だ。



高確率で生徒や保護者と遭遇するので今まで避けていた場所でもある。

そんな場所へなんの警戒もなしに異性と一緒に小梢が立ち寄った事に少し違和感もあったが、元々地元なんだし、僕が知らないだけで普段から小梢はこのショッピングモールで買い物していたのかも知れない。



そして、少し僕は期待していた。


ここで、小梢と、あるいはイケメン男子と一緒にいる小梢とばったりと会えたりするのではないかと。


田舎のショッピングモールの閉店時間は早い。もうすぐ閉店時間となるため、ショッピングモールの中は比較的閑散としていた。


日曜の夜という事も影響しているのかも知れない。



結局、立ち寄るお店もなく、僕は仕方なく書店で立ち読みをして帰る事にした。

本をネットで買う事が当たり前になってから、書店に寄る事もほとんどなくなっていた。


微かに紙の匂いのする店内をブラブラとしていると、少し離れたところを歩く小梢が目に留まった。


(小梢!)


チラリと見たところ一人のようだった。

僕は衝動的に小梢の後を追った。自分でも追ったからといって何をしようと決めていたわけではなかったが、抑制が効かなかったのだ。


「小梢!」

エスカレーターの手前で追いつき、声をかけると小梢は立ち止り僕の方へ振り返った。


「なに?」

僕を見ても、まるで『誰?』といった反応だ。

きっと、『こんな所で声をかけるなんて!』と思っているのかもしれない。


「あ、いや……、偶然見かけたから、つい……」


「そう……、別に買い物してただけよ。

あなたも買い物?」


「う、うん……、叔母の家で夕飯をご馳走になって、帰るところで、ちょっとブラブラしてた」


「暇なのね」

なんとも噛み合わない会話に、僕は戸惑う。それに、小梢の目が冷たく感じた。

よほど、この場で声をかけた事に腹を立てているのだろう。


こういう時は、『じゃあ、また明日学校で』と早々に退散すれば良いのだが、どうしても一緒に居たイケメン男子の事が気になる。


「いや、本当は、もしかしたら小梢が居るんじゃないかと思って……」


「ああ、昨日もここに居たし、あなたの予想は当たったわね」


昨日の事を僕が知らないと思っているのだろうか? もう僕は昨日の事を聞かずにはいられなかった。


「その、昨日の事なんだけど、実は見たんだ」


「何を?」


「その……、男の人と一緒だったろ」


「ふ~~ん、それで、『俺以外の男と何してんだよ』って言いたくて、ここで待ち伏せしてたわけ?」

小梢の目が冷たい色から温度が上がっていくのが分かった。

当然だろう。触れられたくない話題なのだから。


「まあ……、そう取られても仕方ない」

しかし、僕も心穏やかではなかった。平然と浮気をしておきながら、何ら悪びれる様子も見せないのだから。


「昨日一緒に居たのは、ケンちゃん。わたしの彼氏よ、それで納得?」


「か、彼氏って……」

あまりにもあっさりと認め、しかも『なにか問題でも?』と言いたげな表情だ。

僕は膝が折れる思いがした。


「ねえ、あなた、どういうつもり?

人の事をコソコソ付け回して、まるでストーカーじゃない。

自分の事をカッコ悪いと思わないの?」


「そ、それは今に始まったことじゃない。僕なんて元からカッコ悪いよ。

でも、君も酷いんじゃないか?」


「なにが?」


「だって、他に付き合った人はいないって言ってたし……」


「もう!

さっきから何? ハッキリ言えば良いじゃない!

『二股かけてたのか?』って。それで許せないなら、殴れば?」


「な、殴るなんて……、僕には……」


「どうして殴れないの? 真剣じゃないから?

本気だったら、殴るんじゃないの?」


いつにもまして挑発的な小梢に、僕はただ圧倒されるだけだった。

小梢がたまに好戦的になるのは知っていたが、今日は数段ギアを上げている感じがした。


「分かったよ。僕は他人を殴るなんてできない。

君が二股かけていたと分かってもだ。

でも、二股なんてよくないよ。その『けんちゃん』とか言う人も良い気分はしないと思う」


「じゃあ、あなたが手を引いて。

わたし、ケンちゃんの方が好きだから」


予想はしていたが、卒倒しそうなくらいの衝撃に、僕は声を出す事さえも困難なくらいに呼吸が乱れた。


「分かったよ、僕が手を引くよ。

君が幸せになれるなら、それが僕の一番の望みだから」


僕の答えに、今度は小梢は大きくため息をついて、ヤレヤレと言った表情をした。


「は~~、

ねえ?


わたしの幸せって、なに?」


「そ、それは……、好きな人と一緒に居れる事とか、好きな仕事ができる事とか……、じゃないの?」


「それが、あなたの思う『わたしの幸せ』なんだ?

『俺が君を幸せにしてやる』とは言えないのね」



僕が小梢を幸せに?


そもそも、僕は幸せの定義というものをはっきりと持ち合わせていない。

例えば、僕の幸せとは何だろう? 


これは分かる気がした。

それは、僕の傍に小梢が居てくれて、小梢が幸せでいてくれることだ。

だが、そうなると小梢の幸せが何なのか分からないと成立しない。


「どうしたの? 考えこんじゃって」


「あ、いや以前にも似たような会話をしたことがあったな、と思って」

愛莉が妊娠した時、僕は愛莉を幸せにしたいと思った。だが愛莉から『わたしの幸せって何?』と聞かれて明確に答えることができなかった。

その時、愛莉は『僕が頑張る事が自分の幸せではない』と言っていた。


「君にとっての幸せは、実はよく分からない。

ただ、僕が頑張ってどうにかなるものじゃないと思っている」


「へえ~~


じゃあ、宿題にしておくわ」


「宿題?」


「うん、わたしの『幸せ』を教えて」


それだけ言うと、小梢は僕を置いてエスカレーターを降りていった。

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