第40話 圭先生が好き
「あ、いや、でも……もう三年生のリレーも始まるし、もう少しだから待ってますよ」
「でも、血もいっぱい出てるし、本部はすぐそこだから、保険の先生に診てもらいましょ。
森岡先生、歩けますか?
さあ、つかまって」
「えぇーー?」思わず声がでる。
小梢は構わず僕を脇から支えるとトラックを突っ切って本部へと歩き出した。
まるで老夫婦が寄り添うような構図だ。
当然、観客がざわめく。
「すみません、スタートは少し待ってください!」
膝小僧だけじゃない、手のひらも手も擦りむいているので小梢の体操服にも僕の血が付いてしまう。
「雪村先生、大丈夫ですよ。一人で歩けます。
それに、体操服が汚れてしまうし」
「体操服なんて、洗えば良いんです。
それより、痛いんじゃないんですか?」
確かに、さっきは必死だったからなんとかゴールまで走ったが、今では歩くの辛いくらい痛い。だから、小梢の支えはありがたかった。
本部に戻り、椅子に座り改めて傷を見てみると、ザクロを割ったように真っ赤になっている。
打ち付けた膝からもジリジリと痛みが伝わってくる。
「雪村先生、保険の先生は体育館なの。
今日は熱中症で気分悪くなる子が多くて、それで体育館で休ませてるのだけど、そっちで大忙しみたいで」
本部で待機していた別の女教師が小梢に説明してくれた。
「あ、大丈夫ですよ、救急箱があれば自分でやります」
これ以上他人に迷惑をかける訳にはいかない、こんな傷くらい自分で処置しようと思ったのだが、救急箱の中身では心許ないだろうと女教師が言うので保健室へ行くことになった。
またしても小梢に支えられて歩くのだが、何といっても学校では憧れの的の小梢である。その小梢が僕にピッタリと身体を寄せているのだから周りからは異様に思われた事だろう。だが、小梢は一向に他人の目を気にしていないみたいだった。
保健室に入ると独特の臭いが籠っていた。外の歓声は三年生のリレーによるものなのか、何故か凄く遠くに感じられた。
「そこに座って」
「ありがとう」
小梢に促され、僕は丸椅子に座った。小梢は棚の中から傷の処置に必要そうなものを引っ張り出している。束ねた後ろ髪が相変わらず馬の尻尾のように揺れていた。
「なに?」
「へ?」
「じっと見てるから……」
僕の視線に気づいたのか、小梢が手を止めて振り返った。
「あ、いや、あんな大勢の前で大胆だなって思って……」
「いやだった?
わたしとの関係がバレるのは」
「そ、そんな事ないさ、ただ君の方が、何というか好奇の目で見られやしないかって、心配になっただけだよ」
「そうよね、せっかく秘密にするためにコソコソしてたのに、それが水の泡になるかもしれないんだし。
でも、やっぱり心配だったから、じっとしていられなかったの」
「ありがとう。
実は痛くて痛くて泣きそうだった 笑」
「うふふ、冗談が言えるなら大丈夫ね。
先に手の方を済ませましょうか?」
そう言うと、小梢は僕の手を握り、擦り傷を消毒液をしみこませたガーゼで拭いてくれた。思いの外しみるので、つい声が漏れる。
「つ……つ……、これは、しみるね」
「結構、深い傷もあるし、仕方ないわ。
次は、膝ね……」
小梢が処置をしてくれて、包帯まで巻いてくれたのだが、何とも歪な巻き方に二人して、その場で目を見合わせて固まってしまった。
「ご、ごめんなさい。
こういうの苦手で……、看護師さんみたいには出来ないの」
「あ、良いよ、とにかくこれで傷口は隠せるし、十分だと思う」
その時、ガラガラーと勢いよく保健室のドアが開いたと思ったら、現れたのは恋音だった。
「圭先生、大丈夫?」
「有村さん⁉」
「有村さん、あなた、勝手に出てきちゃダメじゃない。
何をしに来たの?」
小梢が咎めると、恋音は睨み返して反論した。
「保険の先生もいないって聞いたから、来たんです。
ワタシ、保健委員ですから!
それとも、邪魔でしたか?」
どうもこの二人はそりが合わないというか、お互いに嫌いあっているようだ。
何か本能的なものがあるのだろうか。
「治療なら済んだわ。
私達も戻るから、あなたも戻りなさい」
「これで治療したつもりなんですか?
ちゃんとできてないくせに、偉そうに命令しないでください」
「な⁉ 教師に向かってなんてことを」
「ふ、二人とも、止めないか。
雪村先生も大人げない」
僕がたしなめると、小梢はふてくされて頬を膨らませた。
たまに見せる仕草に、やはり可愛いと思わざるを得なかったが、今はそんな場合じゃない。
「有村さんも、ありがとう心配してくれて。
でも、大丈夫だよ包帯の巻き方は悪いけど、ちゃんと処置してもらったから」
「『巻き方が悪い』は余計よ」小梢が小さく不満の声を漏らした。
だが、恋音は耳も貸さず乱暴に包帯を解くと、先ほど小梢がしたように棚の中から薬やガーゼ、包帯と言った治療に必要なものを取りだし、僕の前に跪いた。
「やっぱり!
雪村先生、傷口を水で洗い流しましたか?」
「え、やったわよ。ね、森岡先生」
「う、うん」確かに洗ったが、雑な感じも受けた。
「不十分です!
破傷風にでもなったらどうするんです。
此処じゃ洗えないから、一旦外に出ましょう」
再び外に出て傷口を洗い流してもらい、再び保健室に戻る。
その間、女教師と女子生徒に付き添われる事になる。
まるで、年少の男子児童みたいだった。
保健室に戻ると、恋音は手際よく処置をしてくれた。丁寧に手の傷までやり直す始末だ。だが、その手さばきは見事なものだった。
まるで看護師の仕事のようだ。
「へ~、驚いた。
有村さん上手だね。まるで本物の看護師さんみたいだよ」
実際、包帯の巻き方も先ほどの小梢の巻き方とは比べ物にならないくらい綺麗に仕上がっていた。
「悪かったわね、下手くそで」
ぼそっと、またも拗ねた口調で小梢が呟いたが、恋音は意に介していない様子だった。
「えへへ、団地の小さい子がよく怪我をするから。ワタシが手当してあげてるんだ」
「そうか、有村さんは面倒見が良いんだね。感心だよ」
「見直した? ワタシの事」
「見直すもなにも、有村さんは前から立派だと思ってたよ、お祖父さんお祖母さん思いだし」
僕がそう言うと、まだ僕の前に跪いたままの恋音は、少し俯いて満足そうにはにかんだ。
「ワタシね……、圭先生が好き」
「へ?」
「なっ⁉」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます