第39話 めんどくさい女

午前中の競技が終了すると、昼食の休憩が入る。

中学の運動会では、生徒は教室でお弁当を食べる事になっていて、担任を受け持っている教師も一緒に教室で昼食をとる。


僕は担任を受け持っていないので職員室で食べる事になる。その分、早めに休憩を終えて午後の競技の準備を手伝うのだ。

教師には仕出しの弁当が配られる。僕は小梢と海咲を両隣に食事するのだが、小梢から無言の圧を感じて、つい僕も無言になる。


「それにしても驚いたわ~

有村さんって、大胆ね。あそこで森岡先生を連れて来るなんて、事情を知っている者の一人として肝を冷やしたわよ」


沈黙に耐えかねたのか、海咲が口を開いた。


「観ている人は楽しめたんじゃないんですか。

新米の男性教師が女子中学生にからかわれてる図ができていたみたいで。

もっとも、誰かさんは冷汗をかいたかもしれませんが!」


小梢は冗談っぽい言い回しだったが笑えない圧を感じる。それは海咲も感じ取ったようだ。


「まあ、そんなに怒らなくても良いじゃないですか。森岡先生が悪いわけじゃないんだし、そんな責め口調で話されたら森岡先生だって委縮しちゃいますよ。

雪村先生、そういう所が可愛くない 笑」


「わたしは別に怒ってるわけじゃなくて、ただ……」


「『ただ』?」


「ああやって素直に自分の気持ちを表現できるって羨ましいと思っただけです」


(小梢……)



「ま、まあ、たしかに若いって良いな~とは思ったけど、自分の気持ちを、例えば好きな人に表現するって言うか『好き』とか伝えるのって、そんなに難しい事ですか?」


ここで僕は、ある事に気付いた。そういえば、小梢は僕に『好き』と言ったことがないように思えた。

東京で別れた夜に、土門華子の日記を読んでいるうちに僕の事を好きになっていたとは話したけど、週末のジョギングが始まってからも、ハッキリと好きと言ったことはない。

しかし、態度で分かる。小梢も僕の気持ちに応えてくれている事は。僕はそう思っている。


「あ、でも久保田先生、やっぱりストーレートに伝えるって難しいですよ。

僕も苦手かな、ちょっと恥ずかしいかもしれません」


「森岡先生も?

そんなに難しいかな? 『好き』って口にすることが」


「わたしは、どう伝えれば良いのか分かりません。

それに、ときどき不安になる……、ちゃんと伝わってるのだろうか? って」


「は~~、雪村先生ってめんどくさいのね。

そんな事じゃ、うかっりしてたら彼氏を取られちゃいますよ。

ね、森岡先生」


海咲は既に僕たちの仲を気づいているのか、少し冷やかしが込められている言い回しに感じ取れた。


「あ、いや、雪村先生がめんどくさいのなら、彼氏がしっかりすれば良いのかな……なんて、あはは……」


「二人して、勝手にわたしを『めんどくさい女』扱いしないでください!」


(そ、そういう所が『めんどくさい』んだけど……)


「まあまあ、二人とも喧嘩しないで、午後からも頑張りましょう。

運動会が終われば打ち上げもあるし、ビールの為にも頑張らなきゃ!」


結局、海咲は運動会後の汗をかいた後のビールを楽しみに働いているようだった。

短い休憩を終えると、僕たちはグラウンドに出て準備を手伝う。


グラウンドでは、少し早めに休憩を終えた生徒たちが応援合戦の準備を始めていた。

中学の運動会では、赤白黄青と4チームに分かれて勝敗を競う。


午後の競技の最初の種目は応援合戦だ。昼の休憩が終わると早速、各チームが順番に応援を披露した。


午後の競技も滞りなく進み、いよいよクライマックスが近づいてきた。

最後の二種目は長距離とクラス対抗リレーだ。先ず長距離の選手がスタートし、その後に一年生から順にクラス対抗リレーを走る。


全学年が走り終えた頃に長距離の選手が戻ってきて、最後にトラックを走って全ての種目は終了するようになっていた。


クラス対抗リレーは、生徒六人に加え担任教師が走る事になっている。しかし、高齢の教師や女性教師は代理出走が許されている。


そして、僕は運動が苦手にも関わらず、恋音のクラスの担任の井川に代わって出走することになったのだ。


小梢も一年のクラスで代理で走る事になっている。

そして、今まさに一年のクラス対抗リレーが始まった。


殆どのクラスは担任がアンカーを走るのだが、小梢は最初の走者になっていた。

スタートの号砲が鳴ると、一斉に選手たちが飛び出すのだが、小梢も中学生に負けないどころか先頭を争う走りを見せていた。


(さすがは、ジョギングで鍛えているだけあるな……)


小梢の予想外の健闘に、観客からは拍手喝さいが沸き起こっていた。


(よし! 僕も頑張らなきゃ)


一年生のリレーが終了すると、その余震も冷めないうちに二年生のリレーが始まる。

胸の高鳴りを抑えつつ、僕は自分の出番を待った。


レースは拮抗しており、一番手から三番手までが競う形でアンカーにバトンが渡された。競っていたクラスの全てが担任がアンカーを走る事になっていた。


僕は三番手でバトンを受けとった。先を走る教師は中年の太った男性教師二人だ。

誰の目にも僕の勝利は明らかだった。


(ここで、日ごろの特訓の成果を見せてやる!)


僕は猛然とダッシュをかけ前の二人を追うと、あっという間に抜き去った。


(よし! 勝てる!)と思った時だった。


ゴールまであと1/4周となる最終コーナーを曲がるときに足を滑らせ派手に転んでしまい、外側へ大きくスライディングするように地面に打ち付けられてしまったのだ。


「いててて……」


観客からは、あまりにも派手な転倒に悲鳴にも似たような喚声が上がっていた。


先ほど抜いて行った中年教師がドタドタと僕を追い越していく。後続のクラスも追いついてくる。僕は必死に立ち上がるが膝小僧を思い切り擦りむいていてかなりの出血が認められた。


手のひらも同様に擦り傷だらけだ。


僕は傷の痛みも忘れて走り出した。



なんとか順位を落とさずにゴールしたものの、足の痛みはかなりのものだ。思わず顔をしかめて耐えたが、二年生の全てのクラスがゴールし、退場の待機の列に加わると小梢が声をかけてきた。


「森岡先生、酷い怪我ですよ。本部へ行って治療してきてください」





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