第35話 四年ぶりの夜

「だいぶ慣れてきたみたいね」


「ああ、でも喋りながら走るのは、まだきついかも……」


小梢と週末の見回りを始めて四週目の土曜日、天候にも恵まれ毎週ジョギングを続けた事で僕も随分と走れるようになった。

それでも小梢のように走りながらお喋りするには、まだまだ鍛錬が必要だと感じていた。


僕たちが見回りしている間、恋音に出会う事はなかった。GWが明けてからというもの恋音は真面目に出席するようになり、休む場合も連絡が来るようになっていた。

その為、予定通り今日が夜間の見回りは最終日となる。


「結局、圭君の運動不足解消の為の見回りになってしまったわね」


「そ、そうだね」僕は返事をするのがやっとだ。


「どう? これからも週末のジョギングを続けない?

これから暑くなるし、わたしも夜走ろうかと思っていたの。

それに、走る場所を変えるともっと楽しいわよ」


「そ、そうだね」と喋ると息が切れてしまう。


「もう、『そうだね』しか言えないの?」


走りながら喋ると呼吸が乱れる。だから極力お喋りは控えているのだが小梢は容赦なく話かけてくるからたまったものじゃない。

多分、小梢も分かっているのだろうが楽しんでいるようにも見えた。

この辺が少し小梢の意地悪なところだ。


「ねえ、今日は早めに切り上げて、何処かでお茶でもして帰らないか?」

少しでも走る距離を縮めたいと思う僕の細やかな抵抗だった。


「良いわね。じゃあ、圭君の家でビールでも飲みましょうか?」


「へ?」


「走った後のビールって格別よ。

それに、中間テストも終わったし、打ち上げという事で!」


僕の家に来てくれるのは良いが、まさか飲むとは。だが、せっかく小梢との仲が良好な今、この千歳一隅のチャンスを逃す手はなかった。


「そ、そうだね、僕もなんだかビールが飲みたくなったよ。

教師になって最初の関門だったからね、1学期の中間テストは。

まあ、まだ採点が残っているけど……」


「でしょ? だったら、最後に有村さんの団地まで走って、コンビニで買い物しましょう」


「でも、僕の家で良いの?」


「うん、だってお母さんが邪魔するし、気兼ねしなくて良いでしょ」


そう言うと小梢はどんどん先に進んでいく。僕も置いて行かれないようについて行くが、団地に着く頃は、地べたに座り込んでいた。


「大丈夫? だいぶ慣れてきたと思ったけど、まだダメみたいね。

そんなに早く走ってないのに……」



「そ、そうなの? 心臓が破裂しそうなんだけど」


「たぶん、6分/kmくらいのペースだと思うから、そんなに早くないんだけど、帰りは歩いて行きましょうか」


「そうしてくれると、ありがたい……」


「でも、空振りに終わったけど、それはそれで良かったわね。有村さんが変わったのは圭君のおかげかしら」


「そんな事ないよ、有村さんが自分で何か目標を見つけてくれたんだと思う。

少し頑固なところなんか、小梢に似てるよ」


「わたしに? そうかな……、わたしはあの子は苦手」


確かに、登校途中に恋音と出くわした小梢は辛辣だった。もしかしたらどちらも頑固なのだから反発するのかも知れない。磁石のS局同士。


「そうすると、陽菜はN局なのか……?」



「え? 陽菜ちゃんがどうしたの?」


「あ、いや、陽菜は有村さんと相性がよさそうだったから……、独り言だよ」


「何か引っかかるけど、帰りましょうか。コンビニで買い物しなきゃ」


「そうだね……、そういえば、二人で買い物に行ったことってあったっけ?」

「たぶん、なかったかと思う」

さっきまで早鐘を打っていた心臓は落ち着きを取り戻し、流れる汗を拭きながら僕たちは静かな住宅街を歩く。


少し雲がかかっているが、星空がキラキラと輝いていた。チラチラと点滅するような星の群れに、まるで空が回っているかのような錯覚をする。


「今夜も星空が綺麗ね……、目が回りそう」


「うん、僕もこっちに帰ってきて気づいたんだけど、空が高くて星も良く見えるよね。それに、街灯が少なくて暗いはずなのに、小梢の顔が良く見える」


僕はそう言いながら小梢の横顔をチラリと盗み見した。

小梢は前を向いたまま、少し俯くと口角を上げた。


「そんなに見つめないでよ、何か照れる……」


(出た! 焦れモードの小梢!)僕の背中に武者震いが走る。

「正直、小梢とこんなに一緒に居られるなんて思ってなかったから嬉しいよ」


「そうね。仕事以外でこんなに一緒に居られたのって学生の時以来ね。

あ、このジョギングも一応仕事だけど」


「(ジョギングが仕事じゃなくて、見回りなんだけどな……)

あの頃、結構一緒に居たのに、何を話してたんだろう? あまりよく覚えてないや。結構舞い上がってたし 笑」


「うふふ、圭君、わたしの事を何かと詮索してたわよ。特にどこの出身なのかって、何回か聞かれた」


「だって、謎が多すぎたし『どうして僕に?』って思ってたし、少しでも小梢の事が知りたかったんだ」


「ゴメンね、色々と隠してて……、あ、コンビニ」



お喋りしながら歩いていたら、あっという間にコンビニに着いてしまった。今までの状況は凄く良い。しかし神様が意地悪なのを僕は良く知っている。


ここで恋音と出くわす確率はかなりの高確率と身構えたのだが、予想に反して恋音の姿は見えなかった。

少し安堵したのと、少し寂しい気もした。恋音はもう僕を必要としなくても自分の道を進んでいくのだと。



「こんなもので良いかしら?」


小梢のカゴには6缶ケースのビールとサラダ等の低カロリー系の食べ物が入っていた。


「(く、草ばかりだ……)少し小腹が空いたから、カップ麺も欲しいかも」


「ダメ! せっかく走ったのに、そんなもの食べてカロリー摂取してどうするのよ?」


「(び、ビールはカロリー摂取にならないのかよ……)でも、全部サラダや漬物とかじゃない、お腹空かないの?」


「じゃあ、たんぱく質も」

そう言うと小梢はシシャモのパックをかごに放り込んだ。


「なんだか……、小梢って僕にマウント取りたがってない?」


「何それ? 笑

早くいきましょう。喉が渇いたわ」





その夜、僕たちは四年ぶりに結ばれた。









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